カレイドスコーピオ

インビジブル

11.全国大会 / 29

無川さんって、去年絵で賞を取っとったでしょう?」

 財前は、前触れもなくそんなことを口にした。
 おおよそ彼からは想像もつかない話題に、はただただ以外そうな表情を浮かべると、財前は再びコートに視線を戻してから続けた。

「桜の絵。タイトルは忘れよったけど。ああいう感じの絵ってなんて言いはるんでしたっけ? あぁ、退廃的やったかな」
「確かに去年桜の絵は描いてましたけど。あの、財前くんも絵を描いてるんですか?」
「俺? 俺は描きまへんわ。無川さんの絵もたまたま観たんです。絵とか良く分からへんけど、あの絵は何となく好きです。てっきり今年も出とると思っとったんですが、なかったと聞いて少し気になっとったんですわ」
「それが、今年は出展までに間に合わなかったんです」
「間に合わんかった……そうですか」

 その言葉を最後に、財前との会話は途切れた。
 気付けば目の前の試合は終盤に差し掛かっているが、相変わらず点の取り合いが続いており、試合の結末は最後までもつれ込む様相だ。
 それでも彼らの表情は、ただ純粋にテニスを楽しんでいるといった好意的なもので、外野から眺めていてもまばゆいばかりだった。
 ところがと財前のごく限られた範囲だけ、そことは対比している。彼女は途端に逃げたくなった。
 絵画展のことは終わってしまったとはいえ、未だに彼女に後悔とはまた違ったわだかまりを残しているのは間違いなかった。美術部の部員や、立海のレギュラーたちは察してかそれをを話題にすることはなく、まさか財前にこのような形で再び揺さぶられるとは、彼女も予想はしていなかった。そしてそれは、思った以上にを動揺させた。
 あからさまに見えたとしても試合が決したら今度こそ立海側に移動しようと、そんなことを考えながらはラリーを眺めていた。

無川さんは、高校に行っても絵を続けはるんですか?」
「そのつもりですけど……」

 彼のそれは、妙に含みのある言い方だった。
 財前の問いは、彼女にとって全く解せないものに他ならなかった。考えずとも当然という頭があったのはもちろん、中身は違くとも彼もまた思うことは同じなのだろうというどこか確信めいたものを抱いていたからだ。
 も同じく疑問を持たずに、彼に尋ねようと彼の横顔に視線を流したところで、突然一切の言葉が出てこなくなった。内心そのことに彼女が戸惑っていると、財前の方がへと向き直る。
 彼がすいと目を細めた。

「良えですね。そういうの」

 に対して敬意があるわけでも、ましてや揶揄するわけでもない言葉だった。ただし、財前は彼女の返答についてあらかじめ予想していたようで、それが先の彼の行動に如実に表れている。
 一方のが、そこからかろうじてすくい上げることが出来たのは、自分と財前の間には、互いに良しとするものに対しての価値観に途方もない溝があるという事実だけだった。
 それを知ってか知らずか、彼は話題を決して変えようとしない。

「中学でテニスは終わり、高校では別な部活やる言いはる先輩って意外と多いんですよ」
「え? どうして?」
「理由は人それぞれですわ。単に飽きたって人や、才能ないって見切りつける人、怪我で辞めざる得ない人」
「……」
「芯から楽しめれば良えって人間は、ごく一握りです。あの人たちも例外じゃあらへん」

 財前がそこで初めてふっと軽く息を吐いた。
 が困惑しているのは彼も良く理解している。それでもなお、その亀裂にさらに押し広げるように彼は饒舌に続けた。

「あの人たちの中学のテニスは昨日で終わったんです。何だかんだ言うて、きっと立海と青学の決勝は俺たちに押し付けて観ないですよ。そういう人たちですから。けったいな話ですわ」

 財前の言い方は、まるで彼自身も例外なくそうであるようにと示唆するものであったが、にはどうしてもそれを彼に指摘することが出来なかった。

「あぁ、余計な話ですね。こんなん。それに、白石部長が柳さんとこそこそなんかやっとるみたいやけど、それも俺には関係ない話やし、関わるだけ野暮っすわ」

 そう言って財前がを見る。
 言葉では否定しているものの、彼の眼差しは彼女の一挙一動を探るものにほかならず、それを感じ取ったもまた、精一杯財前に倣って知らぬ存ぜずを通すしかなかった。
 やがて財前は自身が締めた通り、それ以上は特別何も発さず、初めの頃のようにただ試合を傍観する側に戻った。
 そうして試合が終わったのは間もなくのことで、勝利を収めたのは立海の方だった。

「先輩ら、弱すぎちゃいます?」

 握手を交わし合う先輩たちを目に、ぼそりと財前が漏らす。
 同意を求めるような彼の視線に、はとうとう立ち上がるといよいよ立海側のベンチへ向かって歩き出したが、彼は特に引き止めなかった。

「……あーあ。少し余計なこと喋り過ぎたみたいや」

 彼女の後ろ姿を眺めながら、財前はそんなことを呟いた。

2017/04/03 Up