
試合中に限っての話ではあるが、切原の豹変ぶりについては、彼女も校内練習で何度か目にしたことがある。だが、その時はこれほどまで顕著ではなかったはずだ。
試合が終わったあと、精根尽き果てたといった様子で、丸井にしなだれる切原の表情は唯には見えなかった。それでも試合中の彼の殺気立った雰囲気が、既に消え失せているのだけは分かった。
切原を支える丸井を始めとしたレギュラーたちに動揺の様子はやはり一切なく、こうなることもきっと計算の内だったのだろう。
切原にとってこの結果が善なのか悪なのかと唯からの立ち位置から鑑みれば、単純な答えは後者に行き着く。けれど、切原のそして彼らにとっての答えは、恐らく彼女とは全くの逆だ。
もうこれ以上、彼女には踏み入るのは許されない境界なのだと、唯は目を伏せることにした。
それからの試合は、これまでの立海の試合と同様に、圧倒的な力の差を相手に見せつける展開だった。
仁王が柳生以外とダブルスを組み試合に臨むのを唯はそこで初めて目にしたのだが、相手コートをまっすぐに見据える仁王の横顔を眺めて、思わず彼女の唇が震えた。
「やっぱり、楽しいんだ」
相変わらず表情の変化に乏しい彼に抱いたそんな彼女の言葉は、周囲の歓声にあっけなく押しつぶされた。
立海と同じくして、別コートで試合が始まった四天宝寺と青学との試合は、立海とはまた違った盛り上がりを見せたことを唯は藤ヶ谷づてに聞いた。
四天宝寺の試合にも興味があったが、二か所で同時に行われる試合を観戦するのはは不可能で、それを唯が少々残念に思っていると、藤ヶ谷は後で録画したものを見せてくれると言ってくれた。
四天宝寺と青学、どちらが勝ってもおかしくない試合だったらしい。立海にとっては青学に勝ち進んでもらわないと、関東大会での雪辱が晴らせないというのもあり、青学が決勝に駒を進めたのは満足のいく結果であることには違いないのだが、唯にはやはり残念に思えてならなかった。
今日の試合はこれで終了だ。決勝戦は一週間後に再びこの場所で行われ、来週の木曜日からは新学期が始まる。唯にとって中学校生活最後の夏休みの終わりはもう目の前まで来ていた。
立海のレギュラーたちは、これからすぐに学校に戻り、本日の試合の振り返りと練習に入る。一週間という予期せぬ準備期間が設けられたとしても、それは青学にとっても同じだ。双方にとって一秒たりとも時間は惜しいはずだ。
だからこそジョーカーの今後の出方だけが非常に気がかりであった。
もちろん、影の少年のこともあるが、幸いにも今のところは昨日の派手な動きは見られず、仮に解決しなかったとしてもこのまま収束してくれれば、それはそれで構わなかった。
仁王も柳も、ひとまずはジョーカーと影の少年は別物と判断はしたらしい。唯がそれを柳の口から聞いた際、彼がどこか落胆しているように感じられたが、彼女がその違和感を尋ねることは結局出来ずじまいだった。
「唯はこのあとどうすんの?」
「画材を少し持って帰りたいので、私も学校に一旦戻ろうかなと思ってます」
「そっか、暑いから気を付けろよ」
「丸井くんもこれからまた練習ですよね。頑張ってください」
「あぁ、今日ぐらいは軽めの練習メニューになる……わけないか。見ろよあの柳の滅茶苦茶楽しそうな顔」
げんなりとした表情の丸井が、軽く顎をしゃくった先を見れば、柳と真田が何やら話し込んでいる。少しばかり盛り上がっているその様子は、丸井にとっては非常に望まないことのようだ。
それでも一つの山場を越えた安堵感からか、丸井も他のメンバーたちの表情も明るい。あの仁王ですら、普段よりもずっと柔らかい表情で柳生と話しており、やはり彼らに圧し掛かるプレッシャーは相当なものだったのだろう。
そんな彼らを一通り眺めた唯は、あれと首を捻った。一人だけ姿が見えなかった。思えば、柳と真田のそばに彼がいない時点で、その変化に気付くべきだったのだ。
「おい。唯、どうした?」
きょろきょろと周囲を見渡す唯に、つられて丸井の視線も揺らぐ。
「幸村くんがいないなって」
「幸村くん? だったらそこにいるじゃん」
丸井にそう言われて振り返ると、確かに二人から少し離れたところに幸村が立っていた。
幸村と唯との視線が絡み合い、思わず唯が口を開きかけたところで、彼の瞳がふと右に流れた。明らかに何かに気を取られた様子で、そのまま振り返りかけた彼はその動きを一旦止め目を伏せる。
たった一瞬の出来事だ。それでも酷く不安を煽るものであったのを唯も丸井も肌で感じ取った。
幸村は再び目を開くと、今度はまっすぐに唯を見据えた。何か言いたげに彼の唇が微かに震え、はっと我に返った唯と丸井が制止の声を上げる前に、彼は振り返っていた。
次の瞬間、幸村の身体がゆっくりとその場に崩れ落ちていく。
そして、二人は間違いなく彼の声を聞いたのだ。
「見つけた」