
四天宝寺の姿はすぐに見つけることが出来たが、唯は遠巻きに彼らを見たまま声をかけるのを躊躇した。
そこにいたのは、確かにレギュラーたちだったが、金色、一氏、石田と彼女とは面識が薄い人ばかりだった。
遠山の件で顔こそは把握していたが、彼らとは柳を通して二言三言話した程度であり、相手が彼女の顔を覚えているかも怪しいところだ。
白石や遠山、あるいは財前だったとしたら、忍足へ代わりに渡すように頼めるだろうが、財前に関しては昨日のリアクションを見る限り、彼女に対してはあまり良い印象は抱いていないように感じられた。
そうしてみると、やはり白石か遠山にうまい具合に遭遇できればという考えに行き着いてしまう。
遠山の姿も見えないが、彼の体調についても藤ヶ谷からの話だと、問題なく回復し、今日の試合に影響は全くないそうだ。
唯は近くのベンチに腰を下ろす。すると、それまで気にならなかった周囲の音が、彼女の鼓膜を撫でた。
「今日も暑いよね」
「ねーやんなっちゃう……ねぇ、聞いた?」
「また出たんでしょ? 例の子。なんかさ、一人でいると狙われるって」
「じゃあ、私たちは大丈夫だね」
「あ、あと、会っちゃったら、何でもいいからお菓子あげると良いらしいよ」
「なにそれー初耳」
どうやら影の少年は、本日も早々に行動を起こしているらしい。それよりも引っかかったのは、顔の見えぬ少女たちがが話している後半のくだりだ。
“一人でいると狙われる”あるいは“お菓子をあげるといい”といった部分は、昨日の時点では一切なかった話だ。
直感的に唯は、これは影の少年の話に、ありがちな尾ひれがついたただけのことだと思った。こうやって人の間を巡る噂話が、思わぬところで広がりを見せるさまは、あの立海で流行ったこっくりさんと全く同じだ。
この先も人によって与えられる糖分で、それはゆっくりと肥大化していくのだろう。そしてその内のいくつかが偶然にでも事象と重なれば、それは噂の枷から外れ、紛れまない事実として現れるのだ。
「……無川さん?」
すっかり彼女たちの会話に気を取られていた唯は、上から降りかかった声にばっと顔を上げた。それから彼女がつい、しまったという表情を浮かべてしまえば、ただでさえ常に好意的ではない色を滲ませている彼が、眉間の皺を濃くするのは当然のことだった。
その瞳が、言葉を発さずとも唯に声をかけたのは失敗だったと強く主張していた。
「あ、すみません。ちょっと考え事をしていて、ごめんなさい」
「俺こそ、声かけへんほうが良かったみたいで」
二人の間に沈黙が横たわる。気まずいという言葉ではすまされないほど、彼女は財前に対して何もかもをしくじってしまっていた。
「立海のコートは反対やのに、わざわざこっち来とるいうことは、謙也さんに用事ってことでしょう? あいにくやけど、白石部長と席外してますわ。俺が代わりに伝言しますけど?」
「なら、忍足くんにこれ渡してもらってもいいですか? ペットタグの領収書とお釣りです」
「謙也さんも本当に人使いが荒くて困りますわ。まぁ、これは俺が原因みたいなもんやし、すんまへんでした」
「いえ、じゃあ、それ、お願いします」
「あ、待ってほしいんやけど」
早々に去ろうとした唯を財前が引き止める。
「無川さんって、もしかして……あー、いや。無川さん一人やろ? 立海んとこまで送りますわ」
「だ、大丈夫です。もうすぐ四天宝寺も試合ですよね」
「一人でいないほうがええですよ。ほら、昨日のみたいに」
そう言って、財前が彼女の前を歩き出す。
送るといった割にその歩調は速く、唯は慌てて後ろを追いかけていく羽目になった。
「……なんや。予想しとったのと随分違うてましたわ」
財前のその呟きは、ちょうど蝉のジジジという叫び声に被さり、唯の耳に届くことはなかった。
立海がいるコートに近づくにつれて、にわかに周辺の空気が騒がしくなっていくのを二人は感じていた。
ひそひそと話しているような他校の生徒の姿はもちろん、そのほとんどが立海の生徒であることに、ただただ嫌な予感が唯の中で膨らんでいく。
先立って歩いている財前が表情は分からないが、場のただならぬ雰囲気は気になるらしく、時折辺りの様子を伺う仕草を見せた。
這い上がる不快感を振り切れずに、唯は自然と足元に視線を落として歩いていたが、やがて彼女の姿を見つけ投げられた切原の声に、それが杞憂ではないことを突き付けられた。
「無川先輩! 今電話しようと思ってた。柳先輩が! きっとあいつのせいだ!」