
彼らの会話は、こうして横から聞いているだけで、特定の地域をごく自然に連想させる。唯はそれ以外にも、少しばかりの懐かしさも同時に感じていた。
今でこそ神奈川県に落ち着いたが、父親の仕事の関係で数年置きに転校を繰り返した唯にとって、大阪は三番目に長く過ごした土地である。
長くといっても、小学三年生の春から五年生の冬にかけてまでの二年と少しの期間だが、彼女の元来の性格が影響してか、孤立はしなかったものの、色々と苦労した記憶しかない。
唯に対して、非常に上手く距離感を詰めてくるクラスメイト達は確かに多くいた。だが、一方の彼女が、それに応える能力があまりに乏しかったというのも起因し、少々厄介だった。
仮に親しくなったとしても、遅かれ早かれ転校することになれば、築き上げてきたものを再び崩さなければならない。だとすれば、最低限の付き合いにのみ留めたほうが、負担は遥かに軽く済むという極端な考えだ。
随分と可愛げがないものだと唯は自嘲し、そう言えば、一体いつからそんな風に考えるようになったのか、大阪より以前の時はどうだっただろうかなど、そんなことが唯の頭をよぎった瞬間に、彼女の思考に被せて店内アナウンスが流れた。
「あ、呼ばれた。取りに行かなきゃ」
「無川さんは、何買うたの?」
「猫用の首輪です」
「へー、めっちゃええやんか。写真とか持ってへんの?」
「一応、携帯で撮ったのなら……」
「おぉ! 黒ニャンコやん! 可愛ええなぁ! 名前は?」
「ネロです……あ、あの……」
唯の携帯電話を覗き込む忍足の背後で、無言のまま二人のやり取りを眺めていた財前が、ペットショップの出入り口へ向かって歩き出す姿を見かけて、慌てて忍足に声をかける。
「あ、財前待ちぃや。堪忍な。あいつ、いっつもあんな感じやねん。明日もお互い頑張ろうな。だから待てや。財前!!」
「あ、注文書」
「忘れとった。あ、無川さん明日も試合観に来るん?」
「はい。一応そのつもりです」
「良かった。これ、代わりに出しててくれへんか? 全部記入済みやけど、もし何かあったら、ここに書いとるの俺の番号やから。えーと、あとこれタグの分」
「え? それはちょっ……」
「領収書とかは、明日渡してもらえばええから。ほな、よろしゅう!」
忍足は唯へ注文書と現金を押し付けるようにして渡すと、彼女の返答を待たずに財前の後を追って走り出してしまう。
残された唯は、注文書を抱えたまま呆然とその場に立ち尽くしていた。
唯が自宅に戻ると、酷く不機嫌そうな顔をしたネロが、玄関マットの上に座り込んでいた。
彼女が声をかければ、ふいと顔をそらして立ち上がり、階段を駆け上ってしまった。この分だと、せっかく新調した首輪の交換に相当手間取りそうだと、苦笑を漏らしながら彼女も彼に続いた。
部屋に入れば、ベッドの上で丸くなったネロの姿があり、ご機嫌伺いも兼ねて伸ばした彼女の腕をあからさまに嫌がる様子から、唯はひとまず諦めて、他から手を付けることにした。
携帯電話を開くと、切原からのメールが届いていた。それを確認するよりも先に、彼女はアドレス帳から仁王の番号を探し出す。彼にこうして電話をするのは初めてのことではないが、メールと異なり電話に関しては、どうにも毎回やけに緊張してしまうのだ。
彼が電話に出ることは少ない。彼女も余程の事情がない限りは、留守番電話へメッセージを残したりもしないが、残したところでかけ直してくれるかも正直怪しいところだ。電話に出なければ、メールに切り替えてさえしまえば事足りるのだ。
こうしてみると、やはり仁王と唯との間は一方通行だ。切原と比べてしまうと、より顕著にその部分が浮き彫りになるが、そもそも比べるものではないと、発信を押すのと同時に唯はそこで結論付ける。
流れてくる呼び出し音を聞きながら、電話が終わったら次にするべきことをぼんやりと考えていると、唐突に通話が繋がった。
「……もしもし」
電話での仁王の第一声は、普段の彼の声よりも幾分か低めになる。まるで、機嫌が良くないようにも感じるが、特にそういう訳でもなく、他のレギュラーたちであっても同様らしい。
頭のどこかで、既に通話は繋がらないだろうという感覚だったのもあってか、唯は思わず言いよどんでしまった。
仁王は仁王で、唯からの着信であるのは分かっているはずだ。それでも、彼はもう一度同じ言葉を繰り返した。だが、変わらず返答が来ない様子に、彼は小さくため息をつく。
「無川から、そろそろ電話が来る頃合いだと思ってたぜよ。柳のことじゃろう?」
「……すみません。仁王くんが電話に出ると思ってなくて」
正直に理由を告げれば、仁王の笑い声が聞こえた。
「無川は、明日も試合を観に来るつもりなんじゃろう?」
「はい。そう言えば、中止になった試合の分って結局どうなったんですか?」
「赤也からのメールをまだ見てないのか。決勝だけ一週間延期になったぜよ……もし、明日来るつもりなら、何が起きるか分からない以上、無川は来ない方がいい。参謀が随分と興味を示しとるのが、少々気になるがのう」
仁王の言う通り、確かに柳の行動は気になるところだ。結局のところその理由も上手くはぐらかされ唯も聞けずじまいだった。
何か特別な理由、あるいは心当たりが彼にはあるのだろうか。そんなことを考えたところで、仁王と同様に柳がそう易々と真意を告げるはずもないのは明らかだった。