
藤ヶ谷の話が聞き流せない内容だと感じていたのは、唯も柳も同じだったようだ。
「けど、呼びかけられて振り返っても何も無かった人もいるのよ」
もちろんそういう時は、そんな男の子なんて立ってなかった訳だけどと彼女は付け足した。
話を聞いていた柳が、考え込むように顎に手を当てる。
「俺が調べた話では、昏倒後、さほど時間を空けずに意識が戻っていると聞いているが」
「えぇ、多少の差はあるみたいだけど。ただ。その後に訴える症状は熱中症とほぼ同じ。顔面の蒼白と多量の発汗とかね。完全に気を失っちゃった人は本当に熱中症だったんでしょうね」
藤ヶ谷が手帳に貼っていた付箋を柳へと手渡した。
そこには人名がリストアップされており、各人の隣には○あるいは×と記号が振られている。
「ざっと書き出しただけで悪いけど、私が確認しただけでもう九人はその男の子に声をかけられているみたい。一番最初は氷帝の芥川くんね。彼の話が聞けたら良いんだけど、もう会場にいないみたいだから残念だわ。まぁ、今のところ分かってるのはここまでかな」
「藤ヶ谷先輩。このリスト、名前とかどうやって調べたんですか……」
「それは内緒」
佐竹のそんな問いに、藤ヶ谷は悪戯に笑うだけだった。
そうして彼女は手帳を閉じると、再び柳に向き直り憂鬱そうに呟いた。
「大会本部にも潜り込んでみたんだけど、中止の方向で話はまとまってるみたいよ」
藤ヶ谷がそう言い終わった瞬間、遠くで救急車のサイレンが響いた。
「さっきの話だが、無川の見解を聞かせてくれ」
一通りの話が終わったあと、再び情報収集に戻る藤ヶ谷と別れることになったのだが、その際彼女は佐竹に手伝って欲しいと彼の返答はお構いなしに連れて行ってしまったため、この場には唯と柳だけが残っていた。
二人きりになってから、開口一番に柳は唯にそう疑問を投げかけてきた。
「見解って、大会が中止になることですか?」
「いや、その前の話だ」
「小さな男の子の話、確かに気になりますね」
あぁと柳は答えて手元のノートを捲った。
彼もまた藤ヶ谷と並行して調査をしており、彼女と同じ結論に至っているらしい。
「現時点で軽度を含め搬送または医務室に運ばれた人数は三十人だ、その内、八割にあたる二十四人が熱中症の症状を訴えている。更にそこから”例の少年に声をかけられた”と証言しているのは九人にものぼる。藤ヶ谷も言っていたが、一番始めにそのことを訴えたのは氷帝の芥川慈郎だ。もっとも芥川は夢と混同していたようだがな」
藤ヶ谷と同様に、柳もこれだけの短期間の間に多くの情報を手に入れている。唯が驚いていると柳はふっと笑みを零した。
「良くそこまで調べたなとでも言いたげな顔だな。藤ヶ谷の情報収集能力には目を見はるものがある。だが、俺も無川も彼女が知り得ない情報を既に持っているだろう」
「はい……ジョーカーですね」
唯の答えに柳は頷いた。
「ジョーカーは仁王くんに取引を持ちかけてました。見逃してくれたら全国大会が終わるまでは大人しくしてるって」
「だが、それは決裂に終わった。ならば大会中に何かしら仕掛けてくることは容易に想像出来る話だ」
「でも、立海以外にまでジョーカーは危害を加えるんでしょうか」
柳は以前ジョーカーが仁王に対して何かしらの怨恨を抱いている可能性が高いと指摘している。その余波として、立海レギュラーに矛先が向けられているのは今更のことだ。
ところが、今広がりを見せる少年の話は他校にまで及んでいる。
仁王の性格上、影響を及ぼす範囲が身内ならまだしも、他校の生徒となればそこまで重要視しないはずだ。
「俺もその部分がどうにも解せない。安直にジョーカーと結びつけるにはまだ早いだろう。せめて、その少年とやらに俺も接触出来れば、参考データが取れるのだが」
柳は表情を変えずにさらりとそんなことを口にする。
だがもし彼が同様の被害に遭ってしまったとしたら、立海にとって大きな痛手になるのは必至だ。
唯のそんな考えはどうやら表情に出ていたらしく、彼はノートから顔を上げると続けた。
「俺はそういった類のものは視えない。データありきで物事を考える性格なのだと自負もしているが、弦一郎ほど懐疑的でもないつもりだ。ましてや仁王や無川に対してまでそんな色眼鏡を通す考えもない。だからこそ己の目で一度は確かめたいというのもあるのだが」
「柳くんらしいですね。でも、視えないなら視えない方が良いかもしれません」
「無川は後悔しているのか?」
「それは……きっかけはどうであれ自業自得だと思っています。今も知って良かったとは心から言えません。でも……」
「でも?」
唯はそこで一旦話すのを止めた。
彼女の視線が柳の横をすり抜け、遥かその先に向けられる。柳もつられるように振り返ると、二人に向かってくる鷹敷の姿が見えた。
「ここにいたんですね。探しました」
「あぁ、すまない。他校の動向を調べていた」
「それは僕の仕事です。データならいつでも渡しますから今は蓮二こそ体調を第一に考えて下さい」
鷹敷が険しい表情で責めるように言うのは、彼もまた熱中症を危惧してのことだろう。
「無川さんも水分補給には気を付けて下さい」
「ありがとうございます。気を付けます」
「あ、そうそう。美術部に作成していただいた横断幕ですが、決勝戦で使わせていただきますね」
「金ちゃん! おい! 金ちゃん!!」
突然飛び込んできたその大きな声に、唯が勢い良く振り返った。緊張を孕んだ音に、周囲がにわかに騒ぎ出す。
そうして唯の目に映ったのは、少し離れたところにいた四天宝寺のレギュラーたちの姿だった。