カレイドスコーピオ

インビジブル

11.全国大会 / 1

 その日は朝からとても蒸し暑く、道を歩けば街路樹のどこからか響いてくるジジジという蝉の鳴き声が、鬱陶しさにより拍車をかけた。
 黒く焼けたアスファルトから、人の往来する影の隙間から、ゆらゆらと何かが立ち上っている。それら越しに見る風景も同じく揺らめいていて、まるで世界のすべてが歪んでいるかのようにすら錯覚する。
 彼女が自身の首筋を伝い落ちていく汗を慌てて拭えば、それすらも酷く熱を帯びていた。

「こんなに暑いんじゃ、皆はもっと大変でしょうね」
「……です……ね」

 覇気のない声にどうしたのかとが横を見れば、げんなりした顔をしている佐竹がいた。
 彼の額には前髪が張り付き、時折それをうざったそうにかき上げている。彼もまた既に汗だくだった。
 ほんの少し顔を上げるだけで、ぎらぎらとした光が彼女の瞳を炙る。

「よりによって、今日が今年の最高気温ってどういうことだよ。あっちー……」
「もし辛かったら私一人で行くので大丈夫ですよ。それに、今日は佐竹くんにとって大事な日でしょう」
「あーいや、どうせ分かるの夕方だから暇なんで。それにすっげー癪だし」
(……癪?)

 ペットボトルを頬に押し当てながら、佐竹はぶっきらぼうにそう零す。
 とりあえず彼の最後のぼやきは聞き流したほうが良いだろうと判断したは、疑問は胸中に留めて苦笑いで返した。
 彼とこうして会場へと続くこの道を歩くのは、これで二回目になる。
 つい一ヶ月ほど前に関東大会が行われた会場で、今度は全国からの代表が集いその頂点が決まる試合が執り行われる。
 常勝を謳う立海の三連覇という重圧の渦中に訪れた関東大会の敗北は、彼らにとってもっとも忌むべき日だったと言って過言ではない。

(幸村くんの気持ちも分からないわけではないけど……)

 自身が不在のおりに起きたことだ。もしかすると、彼は他の誰よりも今日この日に思い入れがあるのかもしれない。
 だが、それを差し引いたとしても、一昨晩の彼の言動には引っかかるものを感じていた。
 あの朽ちかけた拝殿の中でひとしきりの話が終わったあと、別な話を始めたのは幸村だった。
 彼は、明後日の全国大会のオーダー修正について切り出し、予定していた国舘のシングルス3の穴埋めを仁王で補填する提案をしてきたのだ。
 国舘は今も病院に入院中だ。彼の心情は計り知れないが、少なくとも昨日見舞った柳の話では、表面こそ気丈に振る舞っていたが、その影に滲ませる落胆は相当なものだったという。
 それも無理はない、彼の左目の視力は治療でどうにかなるものではないのだ。まだ右目があるから日常生活に不自由はしないにしろ。彼のテニスプレーヤー生命に致命的な打撃を与えたのは間違いがない。
 彼はテニスを辞めるかもしれないと、あまり感情を表情に乗せることをしない柳もこの時ばかりは辛そうにそう言った。
 そして同時に親友でもある切原の動揺も未だに色濃く残っている。彼もまた試合に影響がないと良いがと柳はその点も懸念していた。
 幸村の言う通り、このような状況下で、誰を国舘の代わりにするのかというのは重要なことだった。
 仮に新たなレギュラー候補を選出しようにも残された時間はあまりにも少な過ぎる。だとすれば、必然的に元々レギュラーである仁王に白羽の矢が立てられるのは当然だった。
 仁王にしてもレギュラーの座を自ら一旦降りてみせたのは、ジョーカーと彼の思惑が上手い具合に重なったことに起因する。その結果がどうであれ達せられた今となっては、彼が幸村の提案を断る理由はない。
 二つ返事でそれを了承した仁王と、当たり前のように同意をしたレギュラーたちの姿を見て、つくづくこの場に切原がいなくて良かったとは思った。
 その時の彼女の脳裏には、幸村から以前指摘された言葉が浮かんでいた。
 あの時のレギュラーたちの表情は、美術部とテニス部は違うと言った時の幸村とそれと全く同じで、やはり自分とは根本的には遠く強い人たちなのだとは改めて痛感させられた。

「ーー先輩? 無川先輩、聞いてます?」
「え? あぁ、ごめんなさい」

 佐竹に呼ばれてが顔を向けると、不思議そうな表情をした彼と目が合った。
 国舘の事故は、彼はもちろん、学校側とレギュラーたちしか知らない。これは、事件が発生したのが夏休み中の夕方だったことが影響していた。
 オーダー表が発表されれば、国舘がいないことは他の生徒の目にも明らかになる。さすれば必然的に生徒間へ噂として広まるのだろう。
 もちろん、事実のみが伝播され真実はたちにの中でのみ完結する。それは国舘も例外ではない。
 全くもって皮肉な話だが、それが彼にとっても最善なのだと、そう自身を納得させていたのは自分だけではないことをは願ってやまなかった。

「ったく。あー、あちぃ。図書館なら涼しんだろうな……あ、どうせ立海は勝つんですし、決勝までそこいません? いや、冗談っすよ」

 そんな彼の本心がいくらか混じった言葉に、思わずは笑みをこぼしていた。

2015/07/13 Up