
国舘が窮屈そうに首を捻って、後方に視線を流した。
黒い彼の瞳の縁に歪んだ仁王の姿が写り込む。
「影喰の出所は気になっていたからのう。無川に潜り込んだ奴を引きずり出した時、ついでに捕まえておいたぜよ。当時から大分弱っていたし正直期待もしてなかったが、合宿前に赤也に接触させたら、弱くだが影喰が視えるようになった」
「そっか。じゃあ、次からはもう少し俺も慎重に動かないといけないかな」
「次、か。まぁこれで一つはっきりしたのう。お前さんは、まだ幸村が持っていたものを手に入れていないみたいじゃな」
仁王の言葉に国舘は僅かに目を細めるだけで、否定はしなかった。
その意味を咄嗟に理解することが出来なかった唯だったが、幸村について記憶を辿るとすぐに病室が荒らされていた時の出来事を思い出した。
ここのところ色々なことが五月雨に起き、ましてや今身近な人間がこうしてその隠された素面を現したという事態に、彼女の頭からもすっかり抜け落ちてしまっていたが、あの病室の家探しと言っても過言ではない荒れようには、未だに謎が残るばかりだ。
だが、仁王がその幸村の持っていたものについて具体的な明言は避けたことから、彼もまたそれが何であるかまでは知り得ていないのだろうか。
「全部フェイクだったなんて、コート上じゃなくても立派に詐欺師の看板下げてますよね。でもまぁ、そっちはまだ急ぐ必要はないかな。それに、幸村部長にはちょっと俺も簡単に手が出せない事情もあってね」
「手が出せない? どういう意味じゃ」
「そんなこと、今はどうでも良いだろ。それよりも、あんまり狼少年が過ぎると、その内、誰も信用してくれなくなりますよ」
狼少年が最後にどうなったかは良くご存知でしょうと、そう言った国舘と唯はほんの一瞬だけ目が合ったような気がした。自然と彼女の表情が険しくなるが、既に彼の意識は彼女に向けられてはいない。
ばちん。もう聞き慣れたその音が、より主張を濃くした瞬間、彼らの周囲の明度が落ちた。思わぬ出来事に、いくつかの影が動揺を滲ませる。
いよいよ蛍光灯が完全に切れたのと、暗く沈んだ夕日が雲間へと忍んだのは、計ったように同じタイミングだった。
もちろんそれを国舘が見逃すはずはなく、彼は素早く身体ごと捻って、仁王の拘束を振り払い駆け出した。
彼の足音の様子から、向かう先が先ほど唯が姿を見せた階段であることを理解した仁王は、舌打ちをしてから新たに呪符を取り出し二つに折ると、そっと唇に挟んだ。
国舘に逃げられてしまうわけにはいかなかった。彼の口から内包された真実を引きずり出さない限り、根本的な解決にはほど遠く、まさに今がその絶好の機会なのだ。
口元の仁王の呪符が微かに青く瞬く。すると、国舘の眼前にある階下階上どちらもの階段の中腹あたりに、格子状の青い光の線が浮かび上がった。
それを見て、階下に降りるべく一段下段に踏み出していた国舘の足が止まる。
まもなく追いついた仁王たちは、向き直った国舘と対峙した。双方の間の距離は二メートルほどだ。
弱々しい蛍光灯に混じり、淡く青い光が彼らの顔を照らし出している。
「逃がさんぜよ」
仁王の右手人差し指には、先ほどの呪符を細長く折り巻き付けてあった。彼が国舘と同じようにその手を軽く薙ぐと、階段を塞ぐ青い光の線の群れに更に新たな線が絡まっていく。
それらが国舘を捕らえるための蜘蛛の糸であるのは、誰の目にも明らかだった。
「さぁ、どうだろうね?」
もう一度、階下へと視線を送った国舘は、にぃと口の端を吊り上げる。
彼の左目からとめどなく滴る赤が、彼の足下に新しい染みを作った。
「こんなものじゃ、まだ温い」
国舘の右目がゆっくりと二、三度瞬いたかと思うとひたりと閉じられた。
そうして再び押し上げられた瞳が周囲を見回し、切原の姿をとらえると、彼は絞り出すような声を上げた。
「……き、切……原?」
掠れ混じりに呟いた瞬間、痛みが走ったのか彼は咄嗟に左目を押さえた。そこでようやく己の身に異変が起きていることに気づいたのか、手の平にまとわりついた血に驚いたように息を飲む。
「は? 何だよ。これ?」
呆然としてもう一度左目に触れた彼は、脈打つそれに身体を強張らせた。
仁王たちの間から僅かに覗いた窓ガラスに映る己の姿に、国舘が短い悲鳴を上げる。
「何? こ、これ、何? 俺、目、どうなって……」
国舘は、切原に助けを乞うような瞳を向ける。混乱したままの彼の足が、反射的に一歩後ろへと下がった。
「国舘!!」
次の瞬間、ぐらりと国舘の身体が傾いた。
切原が国舘の名前を叫んだが、その声に真っ先に反応したのは、彼自身ではなく左目のそれだ。
ぎょろりと切原をねめつけるそれから溢れた血が、細かな飛翔をもって床へと散らばっていく。
国舘の腕が切原に向かって助けを求め伸ばされるが、それを彼が拾い上げるにはあまりにも遠すぎた。