
異変に気付いた国舘が身体を引くよりも早く、彼の左手首を伸びてきた腕が掴んだ。青い火の粉がその動きに合わせて空を舞う。
彼の身体を拘束していた青い光の帯も、彼が振り払うように腕を薙げば、いともたやすく千切れ掻き消えた。
続けざまに迫りくる右腕が国舘の首元に宛がわれる。彼が持つ呪符の一辺が、国舘の首筋に浅く食い込んだ。
「はは。そうこなくちゃ面白くない。でもおかしいな。いくら二人の見た目がそっくりでも血も肉も違う。こんなこと普通は出来ないはずだ。ちゃんとネタばらしくらいしてくれるんでしょうね。仁王先輩」
変わらない声色で国舘がそう言い放つと、彼もにやりと口の端を吊り上げる。それからわざとらしくかぶりを振れば、彼に引っかかっていた眼鏡がリノリウムの床に落ちた。小気味よい音を立ててレンズが二人の足下で砕け散らばっていく。
「柳生」
破片の行く末を視線の端で捕らえながら、仁王が柳生の名前を呼べば、彼もまた自身の眼鏡を中指で押し上げているところだった。跳ねた髪を撫で付けて整えるその様子を目の前に、一体何が起きたのかと呆然とした顔で切原と唯はそれを見つめていた。
「もしかして、無川先輩も知らなかったんスか……?」
こくりと唯が切原に頷いてみせると、柳生が困ったように眉を下げた。
仁王と柳生が入れ替わることはそう珍しい話ではない。現に仁王に成り済ました柳生に気づかず憑代を渡してしまった出来事は唯の記憶にも新しい。
今回もまたそれに気づくことが出来なかったが、当時の唯と今の彼女では決定的に異なっている点がある。
(仁王くんと柳生くんの魂魄炎の色は全然違うはず。どうして?)
彼女はもう一度、目の前の仁王の姿をした柳生を見つめた。それから、同じように仁王の方へと視線を向ける。
それぞれの身姿に見合った色を再確認すると、国舘ですら欺いた仁王のやり口について、彼女の疑問は更に深まった。
「柳生は、弱炎(じゃくえん)体質じゃ」
唯も切原も初めて聞く単語に互いに顔を見合わせる。
一方の国舘は、あぁと合点が言ったように声を漏らした。
「通りで俺も気付けないはずだ。仁王先輩ならいつかは使ってくる手だとは思ってたけど、俺の認識が甘かったみたいですね」
「あ、あの。柳生先輩。弱炎体質って一体?」
遠慮がちに切原が柳生に尋ねると、彼は仁王の方に視線を向けた。仁王も拘束されたままの国舘も揃って笑みを返すばかりだ。
柳生はそれを見ると僅かに頷き、切原に向き直る。
「弱炎体質とは、魂魄炎が常人より弱い性質を持つ人のことを指します。私の場合、魂魄炎は萌葱色ですが、体調が芳しくない時など、稀にそれが消えてしまうことがあるらしく、そう言う時には殊に霊的なものに対する抵抗が弱くなるそうです」
そう言えば、以前仁王が柳生に対して霊的に弱いと警告したことがあったが、背景にはそういう意味があったのかと唯は思いながらも、それがどうやって今の状況に繋がるのかまだ上手く結びつかなかった。
柳生はともかくとして、仁王が同じ弱炎体質であるとは考え難い。
「そういうことか。俺のしたことが完全に裏目に出たってとこですね。あぁ、じゃあその時から仁王先輩は下準備してたって訳か」
「鏡の中でお前さんの罠にかかって力が抑え込まれた際、同時に俺の魂魄炎もかなり不安定になったからのう。やるには絶好のチャンスだと思ったぜよ。それに弱炎体質にはもう一つ特性がある。魂魄炎が完全に消えた滅炎(めつえん)状態に陥った際には、個人差はあるが一時的に他人の魂魄炎の影響も受けやすくなるんじゃ。大体は自分に近しい人間、肉親とかの炎の色がそのまま移るが、上手くやれば意図的に移すことも出来る」
「それでも、柳生先輩はともかく、仁王先輩の方は弱炎体質とは無縁だから大変だったでしょ」
「あぁ、おかげさまでレギュラー落ちするくらいにはのう」
「あはは。そのまま落ちてくれてても構わなかったのに」
冗談めかして言う国舘の姿に、唯はぞっとしたものを感じた。
明らかに彼の立場は先ほどと逆転しているはずだ。現に、その身体は完全に仁王に封じ込まれており、彼が不審な素振りを見せようものなら仁王はまず黙っていないだろう。
それなのに彼の態度は全くと言っていいほど揺らがない。彼の佇まいからは、まだ何かを隠し持っている。そんな予感がしてならないのだ。
「ところで、切原はいつから影喰が視えるようになったんですか? 少なくとも俺は切原には直接けしかけてなかったはずだけど」
唯は切原を見やった。確かに彼はそもそも影喰が視えなかったはずだ。これまで襲われたという話も聞いたことがない。
話の流れから少なくとも合宿の時には視えるようになっていたらしい。そうなると、本当に仁王は大分前からこの計画を裏で立てていたことになる。
切原の反応から察するに、仁王は画策の一環として影喰の可視化と国舘への接触を切原へ指示しながらも、柳生の弱炎体質および関連する事柄については一切を伏せていたらしい。
仁王の腹の内を知るのが困難なのは今更の話だ。今回のようなケースであれば、事情を知る人間は少なければ少ないほどその効果もより高まるだろう。
彼女にも理屈は理解出来る。
だがその一方で、どうにも釈然としない感情が沸き起こったのもまた事実だった。