カレイドスコーピオ

インビジブル

10.ワイルドカード / 41

「その前に国舘、聞きたいことがある」

 表情一つ変えず切り出した仁王に、国舘は意外そうな顔をした。

「冷静ですね。こういう時くらいもう少し面白い顔が見れるかと思ったのに。良いですよ。何ですか?」
「いつからじゃ。少なくとも最初の鏡の時より以前なのは間違いなさそうだが」
「何だ。やっぱり気づいていたんですね」
「気付くも何もあからさま過ぎじゃろう。表裏の接触点だったあの鏡には、下手に何かを仕掛けるのはかえって難しい。だから俺も最初は、無川に成り代わっていたヤツが出入りを妨害していたと思っていたぜよ。だが、消えたあともしばらくはそのままだった。表裏のどちらかから意図的に誰かが塞いでいたとしか考えられんぜよ。裏側には俺がいるからまず無理じゃ。だとしたら表側しかない。あの時、表にいたのはお前さん一人だけぜよ」
「あぁ、良かった。さすがにそれすら気づいてもらえなかったら、どうしようかと思った」

 嬉しそうに表情を崩した国舘が、指先で器用に紙片を捻る。柳生の押し殺しくぐもった声にと切原が同時に仁王を見やる。
 切原と彼の名前を呼ぶ国舘の声が響いた。

「仁王先輩はそんな前から違和感に気づいていたのに、今の今まで俺のことこんなになるまで放っておいたんだぜ。お前や柳生先輩の時とは違ってさ。酷いと思わねぇ?」
「こんなになるまでって……そもそもお前が変なこと始めなきゃ、こんな風にならなかったんだろ」

 切原は吐き捨ててから、自分の発言にふと考え込むように口籠った。
 やがて彼の唇が掠れた音を紡ぐ。

「ちょっと待て。”また”? またって何だよ? 見捨てたってどういう意味だ?」

 彼の自問につられて、も先の国舘の言葉を反芻する。彼の言い分はまるでと彼女が結論に至るよりも早く、切原が混乱したような声色で仁王の名前を呼んだ。
 仁王がゆっくりと切原に振り返る。その横顔は、国舘を見る時と全く同じ温度を孕んでいた。瞬間、彼の中で疑問が確信に変わっていく。

「ま、さか」
「質問に答えんしゃい。国舘」

 すぐに国舘に向き直った仁王が声を荒げれば、いよいよ国舘は楽しそうに声を上げて笑い出した。

「ほら、やっぱりそうだ! それが仁王雅治なんだよ。お前は自分にごく近い人間にしか興味がないんだ。本当にそっくりで反吐が出る」

 ばちりと彼らの真上の照明が爆ぜた。かろうじて繋がってはいるが、明滅の頻度は先程よりも増えている。彼らを取り巻く光源が一段階弱まる中、それまで彼の顔右半分を覆っていた彼の指の隙間より、滲み出るように一滴伝い落ちていった。
 もう一度照明が瞬き全容を照らし出す。誰かの息を飲む音が響いた。
 彼の手がゆっくりとそこから剥がれていく。ごく短く引いた糸は、すぐにぷつりと切れた。

「何だよ。お前、その目……」

 切原の震えた声に、国舘自身よりも早くそれが反応する。
 不規則に視線が揺れるそれと視線が絡んだ瞬間、彼は言いようのない嫌悪感を覚えて口元を覆った。

「に、仁王くん。これってまさか。あの時と同じ……」

 の脳裏にその光景が鮮やかに浮かび上がる。
 ふいに右手の甲が疼いた気がして、咄嗟に彼女はそこへ手を当てた。そうして特に変化がないことを確認してほっと胸を撫で下ろす。

無川は一度見てるからのう。あれが進むとこうなる」

 国舘の赤く熟れた右目は、左目よりも一回りほど大きく、不自然に盛り上がっていた。
 目蓋や睫毛らしきものはなく、まるで眼球をそのまま眼窩へ乱暴に押し込んだようで、眼球の縁の肉は盛り上がり、そこから周囲に向かって脈打つ数本もの血管が浮かび上がっている。
 現に、周囲を窺っているのか、眼球そのものの動きは常に目まぐるしいが、瞬きといった動作は見られなかった。
 異様なその姿に、切原はいよいよへたりとその場に腰を落とす。国舘の頬をどろりとした血が伝い、顎から滴り落ちた。

「そろそろ、話を戻しましょうか。で、答えは?」
「……無川

 それだけで彼の答えを察したが戸惑いながら口を開きかけると、仁王はもう一度彼女の名を呼ぶ。すぐ近くで呆けたままの切原をちらりと見やってから、は僅かに頷くとポケットから細く折られた小さな紙片を取り出した。そして、それをそのまま二つに一息に破った。静電気に似たぴりぴりとした感覚が彼女の指先に走る。

「これで、無川の分は解除したぜよ。柳生のも解きんしゃい」
「無理な話だ。柳生先輩にはもう少しだけ付き合ってもらわないと」

 国舘が手招きするように手首を返すと、柳生を拘束していた糸が国舘の方へと引かれ、彼は嫌にも応にもそれに従わざるを得なかった。
 柳生は促されるまま国舘のすぐ隣に立った。国舘の血濡れの右手が。柳生の首の後ろへと添えられる。

「さすがにもうそろそろ潮時かな。仁王先輩の手が届かない場所まで行ったら、柳生先輩は解放してあげる」

 そう言って彼は目を細め、指先に力を込めた。

「やっと捕まえたぜよ」
「!」

 仁王がそう口走った次の瞬間、国舘の持つ黒い呪符が、青い炎に包まれ勢い良く燃え上がった。

2015/05/21 Up