
切原の指が国舘の肩口にきつく食い込んでいる。
怒りを隠すことなく突き立てる彼の瞳はとても鋭く、国舘を真っ直ぐに貫いているが、一方の彼はまるでこの状況を楽しんでいるかのように笑みを浮かべたままだった。
瞬間、切原は目の前がかっと赤くなるのをありありと感じた。膨らんだそれを止める術を持たない彼の指先にはいっそう力がこもり、爪先は更に国舘の肩へと噛み付いていく。
通常なら痛みを感じるであろうそれにも、目の前の彼は一切動じず、その右手はぴったりと自身の右目に宛がわれ剥がれない。国舘の口の端が愉悦に歪んだ。
そんな様子を前にして、切原は燃え上がった衝動に真っ向から冷水を浴びせられたような感覚を覚えたが、今度は張り付いた指先がぴくりとも動かない。国舘の空いている左手が、切原に向かっておもむろに動き出したのを彼は視界の端で捉えた。
嫌な予感がして息を飲むと、切原の身体が強く後ろへと引かれた。
「赤也。やめんしゃい」
仁王が切原の腕に触れると、強張ったままの彼の指先からふいに力が抜け、切原はそこでようやく国舘から離れた。少し遅れて疼き始めた指先の痺れる感触に、切原は悔しそうに唇を噛み締める。
「酷いな切原も。俺のこと試すなんて」
「……っ!」
国舘がわざとらしく自身の肩を撫でさする。彼の表情、声色の全てが切原の神経を逆撫でた。
反射的に再び振り上げられた切原の手を仁王が抑え込む。そんな自身の行動とは裏腹に、切原の顔には動揺の色がありありと浮かんでいた。
仁王は切原の前に割って入ると、国舘を睨みつける。
「赤也は、ずっとお前さんを信じてたぜよ」
「でしょうね。少なくとも仁王先輩にこうやって逆らうくらいですし。まぁ、ペットボトルのことは完全に誤算でした。丸井先輩の趣向までは頭に入れてなかった」
「その割には、随分と余裕そうじゃな」
「当然だろ。どっちの手札が有利だと思ってんだよ」
そう言って国舘は、左手に持っていたジョーカーのカードを仁王に見せつけるようにしてぐしゃりと握る。更に放られたそれを足で踏み潰した。
カードはみるみるうちにぼろぼろと崩れ、跡形もなく消えた。
「……誰だ、お前?」
一連の動作を仁王の背後から眺めていた切原が、奇妙なものを見る目をして呆然と呟く。
ほんの少し前までいつもと何も変わらなかった眼前の彼は、親友の姿を象った得体の”何か”にしか切原には見えなかった。
ばちと弾けるような音が響くと同時に、国舘の真上の蛍光灯がゆっくりと点滅する。
「何だよ。切原まで。ホント酷い言われようだ。ねぇ、仁王先輩。俺と取引しませんか。今回はノーゲームってことにしてくれたら、そうだな。全国大会が終わるまでは大人しくしてます。どうですか。悪くないでしょう?」
切れかかった照明を見上げてくすくすと笑いながら国舘がそう提案すると、仁王は軽く肩を竦めただけだった。
「……残念だな。仁王先輩の方は、やる気満々って感じか」
ちらりと国舘が階段に視線を寄せた。ちょうど照明の死角となるそこへ佇んでいた小さな影が揺れる。
「おまえさんがのんびりしている間に、退路は無川が塞いだぜよ。取引とは笑わせるのう。それは俺にとって全く利がないじゃろう」
「そんなことないと思うけどな。それにしても無川先輩、かくれんぼが随分と上手になりましたね。全然気づかなかった」
唯はそれには応えずに、国舘の横をすり抜けて仁王の元へと走り寄った。そして、俯いていた切原と目が合う。彼女が複雑そうな表情を浮かべると、彼は再び俯いてしまった。
「ま、いーや。そっちがその気なら、俺も遠慮する必要ないし」
すっと国舘の左手が真横に伸ばされる。彼の人差し指と中指の間には、仁王がそうする時と同じように折り畳まれた黒い紙が挟まれていた。
そのまま国舘の指が僅かに上に反った瞬間、彼から少しだけ離れていた教室の扉が突然開いた。瞬間、扉の影に伏せて様子を伺っていた柳生が、体勢を崩して廊下へと倒れ込んだ。
国舘は続けざまに指を右下に払うように素早く薙いだ。身体を起こしかけた柳生の顔のすぐ近くで、青い火花が散る。
驚いた彼が顔を逸らせば、再び爆ぜる音と共に彼の頬に触れるくらいの距離で火花が舞った。
「さすがに保険はかけてたか。仁王先輩。もう一回だけ聞きます。それとも、また見捨てるんですか?」
仁王の顔を見据えた彼の指がくるりと左回りに小さく円を描いた。先ほどよりも激しく柳生のそばで火花が爆ぜる。
柳生がそれに驚いて身体を後ろへと引くとのと同時に、柳生の身体のほんの少し外側にいくつかの青い光が浮かび上がった。
まもなくそれらは柳生の周囲を旋回し始め、まるで幾本の青い糸のような軌跡を残していく。
国舘がぼそりと何かを呟くと、それらが一瞬にして柳生の身体に巻きつき締め上げる。彼がが指先を動かすたびに、その拘束は段々と強まっていき、柳生が苦しげに呻いた。その様子に国舘は満足そうに笑う。
「さあ、どうしますか。仁王先輩?」