カレイドスコーピオ

インビジブル

10.ワイルドカード / 39

 仁王の意図が飲み込めていない様子の切原に、彼は持っていたペットボトルを放った。
 慌ててそれを受け取った切原は、巻かれていたラベルを見てあぁと漏らす。

「これって、丸井先輩が好きなやつじゃないッスか」

 俺は好きじゃないけどと切原は付け足して、彼はそれを仁王へ投げ返した。

「俺もこいつは苦手じゃ。前に丸井に無理矢理飲まされてのう」
「そうそう! 砂糖そのまま溶かして飲んでるみたいにすっげぇ甘いんだ。炭酸だからまだ飲めるけど、抜けて温くなったら最悪。これ好きだって言ってるの俺の周りじゃ丸井先輩くらいだって」
「じゃろうなぁ。そんな調子だから販売当初はネタ的に人気があったらしいが、最近は相当売れてなかったらしいのう。出入りしてる業者に確認してみたら、ここの商品コードで管理状態を調べてくれたんじゃ。丸井がこれを買った日、つまり無川の絵が切り裂かれた日は、三本しか売れてないことかが分かったぜよ。一本は無川が、残り二本は丸井が買っていた。一本は自分用、もう一本は頼まれたものじゃ」
「頼まれた? それって……」

 切原がペットボトルと国舘の顔とを交互に見比べる。仁王は軽く頷いてそれに応えた。

「国舘は知っていたか知らんが、どうやらこいつは学校に卸す為だけに作られとる商品らしく、その辺のコンビニや自販機では売ってないそうじゃ。そして、丸井が買った翌日に自販機の商品入れ替えがあったから、実質これが最後の一本と言うことになるかのう」

 ペットボトルのラベルに印字された数字の羅列を指先でなぞりながら、仁王はのんびりとした口調で続けた。

「お前さん、丸井にジュース代として渡した金の中に憑代を混ぜたんじゃろう? 勿論目的は一つ。丸井を操るためぜよ。無川の絵を切るという割と単純な指示だから、別に丸井が憑代を肌身離さず持ってなきゃならないほど制約が厳しいものじゃない。丸井の手に憑代が渡った時点で、お前さんの目的はほぼ達成したと言っても良い。それに、他のやり方を選択した場合に憑代が丸井の手元に残ってしまうという懸念点も、丸井がジュースを買えば自販機が回収してくれるから問題はないぜよ。無川も以前、この自販機の釣りから憑代を回収したこともあるし、もしかしたら、以前からこの手を試していたのかもしれんのう」

 仁王が国舘にも見えるように手をかざす。その指の先には小さく折り包まれた呪符があった。彼が器用に指先を使ってそれを解いていくと、やがて十円玉が顔を覗かせる、切原の息を飲む音が響いた。

「これがその憑代じゃ」
「え?」

 初めて反応を見せた国舘に仁王が喉奥で笑えば、彼も軽く息を吐いてもう一度瞑目する。

「どうしてという顔じゃな。丸井の弟が、珍しい硬貨を集めているらしくてのう。まぁ、珍しいと言っても価値が付くようなレベルのものじゃなく、ギザ十とかその程度だが。お前さんが渡した憑代が、少しばかり面白い所がある十円だった。これは昭和六十四年。七日間で終わった特別な年のものじゃ。実際の所は、平成に入ってからも数ヶ月は造幣されていたらしいが、十円に限らず全体の発行数は他の年に比べて少ない。それを覚えていた丸井は、弟にあげる為にとっておいたそうじゃ」

 仁王の指先で真上に弾かれた十円玉が、軽やかな音と共に宙を舞う。その放物線を国舘は目線だけで追っていた。
 国舘の口元がゆるりと持ち上がる。

「憑代は、それだけじゃただ脈をを留めたものに過ぎないぜよ。呪術として還元させるのなら、それを実行させるための式を組み込んだ何かしらの媒体が別に必要じゃ。丸井の時も例外じゃない。だけど、柳生の時のようにあからさまに目立つものを渡せば、いくら丸井でも不審がるに決まっているからのう。わざわざ憑代に十円玉を選んでいるのにそれは本末転倒じゃ。だからーー」

 ふいに仁王の目が鋭くなる。
 今度ははっきりと国舘は笑っていた。

「リスクを承知で使ったんじゃろう? お前さん自身の血」

 舞い落ちた十円玉を指先に捕らえた仁王が手首を捻れば、硬貨の表側が国舘の目に飛び込んでくる。
 元々経年により全体的に汚れ変色していたが、平等院鳳凰堂の模様がやけに黒ずんで見えた。

「血は、こういう時に使うには手っ取り早いからのう。これがどこに繋がっていたなんて、お前さんも俺も調べるのは容易じゃろう?」

 仁王が言い終わるのと同時に、周囲が二、三度ゆっくりと瞬いた。廊下に連なる蛍光灯は、特定の場所においては時間帯によって管理されている。その光が、三人を余すことなく照らし出した。
 切原は咄嗟に仁王を見た。彼の唇はゆるく弧を描き、それはただ真っ直ぐに向けられている。そのまま辿れば、国舘も全く同じだった。
 目をそらせば、窓硝子に薄く浮かび上がる自身と切原は目が合った。困惑した表情は、この場では酷く場違いだと彼を煽った。
 彼の中でふつりと沸き立つ音が広がっていく。

「……参ったな」

 軽くかぶりを振った国舘がそう漏らした瞬間、彼の身体は廊下の壁に打ち付けられていた。

2015/05/10 Up