
その光を初めは彼の魂魄炎だとばかり思っていた唯だったが、すぐに違うことに気が付いた。
彼の手の平の上では、青い光に混じって、靄のような黒いものがゆっくりと渦巻きながら蠢いている。彼女の視線がそれに釘付けになっていると、やがて靄の中央に、仁王が書く呪符に似た文字が一瞬浮かび上がった。
唯がその文字を拾い上げる前に、彼は手の平を握り込んでしまう。青い光と黒い靄は混じり合わずに彼の手から滴っていく。
「赤也を助けた時にちょっとしくじってのう。こいつのせいで、今の俺は殆ど霊感がない」
「霊感がないって、もしかして、絵から出てきたあの時の怪我って、やっぱりただの怪我じゃなかったんですか?」
「あぁ、これでも大分抑えとるが、中々しぶとくてのう。もう少し時間がかかりそうじゃ」
そう話している内に、光は徐々に収束し、完全に消えた頃になって仁王はゆっくりと手を開いた。
一瞬、焦げ臭い臭いが唯の鼻を突いたが、彼の手の平に特に痣など怪我をしているようには見えなかった。彼女は心配そうに彼を見る。
幸村の時にしろ、合宿の時にしろ、仁王が急に異変へ介入してこなくなった理由はここにあったのだ。
「そんなに酷いんですか?」
「初めの頃は、その辺のやつすらまともに視れなくなったぜよ。あいつらはそういう時に、ここぞとばかりに襲ってくるんじゃ。まぁ、俺も色々と恨まれてるからのう。ただ、そんなことよりもこっちの方が厄介じゃ」
そう言って、仁王は唯に向かって手を差し出した。それを見た瞬間、唯は思わず息を飲んだ。仁王の瞳が細められる。
「……その様子じゃ、無川もこれに心当たりありってところか」
「これ。どうして仁王くんが……」
見覚えのある青いチェック模様のそれは、縦に何度も細かく引っ掻いた跡がある。唯が何の考えもなしにカードをひっくり返すと、思わぬ光景に言葉を詰まらせた。
カードの絵柄は、唯も所持しているジョーカーだった。
ただし、顔の部分には、数えきれないほどの線が刻みつけられており、それこそまるで削り取られているかのようで、明らかに仁王に対して意図した悪意が込められていることは明白だ。
唯がカードの隅々まで視線を巡らせてみたものの、彼女のカードには記されていたジョーカーからの直接的なメッセージは一切見当たらなかった。
「私もこのトランプをジョーカーから受け取ってます」
「やっぱりな。見せてみんしゃい」
唯が自分の所持する二枚のカードを仁王に手渡すと、彼は一目見て眉をひそめる。
彼は一言「そっちも十分悪趣味じゃな」とだけ漏らすと、カードを彼女に返した。
「他にもカードを受け取った人間がいるかもしれんのう。俺には、合宿の間は大人しくしとけとジョーカーから指示があったぜよ。まぁ、大人しくも何も、現実に今は迂闊に手が出せんから、どうしようもないじゃがのう」
「あの、仁王くん……」
そこまでただ黙って聞いていた唯が、抑えた声で彼に尋ねる。
「突然退部するって言い出したのも。これが原因だったんですね?」
「条件の一つだったからのう。もし、遵守しなかったらどうなるか、なんて、大体無川も想像がつくじゃろう」
「えぇ、まぁ、そうですね。ところで、もし、もしもの話なんですが、今、ジョーカーが襲ってきたりしたら、仁王くん大丈夫なんですか?」
「そんなことか。まぁ、ひとたまりもないじゃろうなぁ」
まるで他人事のように仁王は答えた。
今の状況について、全く動じない彼に驚いていた唯だったが、はっとしてシュシュに視線を落とした。
「心配しなくても大丈夫ぜよ。俺がこんな状況になったとしても、一度出来上がった憑代はそうそう効果は消えん。それはまだ十分に使えるはずじゃ」
「でも仁王くんは、ジョーカーどころか普通の霊にも対抗出来る状態じゃないんですよね。だったらこれ返します」
「無川が焦ってどうする。落ち着きんしゃい。俺が何の考えもなしにいると思われとるなら心外じゃ。無川こそ保険もなしに何かあったらどうするつもりぜよ。火事場の馬鹿力に頼るよりも、そっちの方が信頼度は十分上じゃ」
シュシュを外しかけた唯を制して、仁王は続ける。
「本気で俺を潰す気があるなら、こいつにかかった時点でとっくにそうしとるはずぜよ。だが、ジョーカーは相変わらず決定的なことはしてこない。どういうつもりか知らんが、そろそろやられっぱなしというのも癪じゃ」
忌々しそうにそう吐き捨てると、仁王はじっと唯を見つめた。
「無川。お前も気付いたのか? あの山小屋に影喰がいたこと」
「はい。直接は視てませんが、空が撮っていたのを見て気づきました。あと……もう一人」
「やっぱり藤ヶ谷は無川の味方か。まぁ、そこまで理解しとるなら話は早い」
「でも。彼がジョーカーと決まった訳じゃないですよね。それに、一体どこで影喰と接触したんでしょうか」
「本人に聞けば分かることじゃ。布石は既に打っとる。甘く見られてるならそれを逆手に取れば良い。今度はこっちがジョーカーを追い込む番ぜよ」
仁王は、久しく見せていないぎらぎらした目で、誰も何もない森の奥の方を睨みつけている。
唯はただ黙って、彼の言葉の続きを聞いていた。