カレイドスコーピオ

インビジブル

10.ワイルドカード / 31

 朱色の鳥居の前までやってきたは、眼前の思いのほか長く急な石段を見て小さく呻いた。
 初めて訪れた神社だが、このあたりではそこそこ名が知られているらしく、特に夏に行われる祭りの人の出は多いと聞く。
 鳥居と石段の間はほんの小さな広場のようになっており、そこにも屋台が立ち並んでいる。そして、本殿へ行くためには、あの急な石段を登っていく必要があった。
 仁王には、今、神社にいるとメールで伝えてはいる。相変わらず返信はなくとも、せめて読んでくれていることを祈りながら、彼女は鳥居をくぐった。瞬間、さあっとの頬を冷たい風が撫で上げる。
 思わず風の跡を辿るように彼女は振り返る。鳥居の上方、黒い笠木のところから何かが飛び去った気がしたが、目を凝らしても何も見えなかった。
 の様子につられたのか、すぐ近くにいた数人も同じ場所を見上げるも、やがての方を見て怪訝な顔をする。彼女は慌てて石段の方へと足を向けた。
 石段は幅が二メートルほどで、想像よりも大分年季が入っており、苔生した石が斜めにせり出して不安定になっている箇所も珍しくなかった。
 が足を取れらないように慎重にその長い石段を登りきると、下の広場よりも大分ひらけた場所に出た。ここにも所狭しと屋台が立ち並んでいる。どうやら一応順路的なものがあるらしく、ここまでやってきた人の殆どが更に先にある本殿へと向かっているらしい。彼女も人の流れに乗ってそれに続いた。
 とりあえず拝殿の賽銭箱の前に辿り着き賽銭を放ったものの、咄嗟に思いつく願掛けもなく、結局彼女は目の前の課題である仁王に会うことを願った。
 それから二週ほど上の広場を回ってみたものの、肝心の仁王の姿を見つけることはどうしても出来なかった。彼ほどの相貌ならきっと目立つはずだが、もしかするともう既に帰路についてしまったのかもしれない。
 帰りがけにもう一度下の広場も確認しようと、石段のところまで戻ってきた彼女だが、そこで石段が一方通行であることを知る。どうやら、帰りは本殿裏にある道を通らねばならないらしい。
 裏へと抜ける通路になった場所を通る際、そこの壁際にも小さな賽銭箱と火の灯った蝋燭が数本置いてあった。それらの奥には鳥を模した彫像が飾ってある。通り過ぎる時、横目でそれを見ながら、は自身の頬をあの風がまた撫でたような気がした。
 裏道は舗装された緩やかな坂道になっており、どうやら住宅街にそのまま繋がっているようで、ぽつりぽつりと置かれている光源は心もとないが、彼女と同じくして下へ戻るために歩いている人の姿も多く、思ったより雰囲気は悪くない。だが、今の時期以外に通る場合は、中々に寂れた印象を与えるのだろう。
 一応この道自体も参道の一部として定められているらしい。祭事や鎮際が適切に執り行われている神域には霊は存在しないと、仁王が以前言っていたことをは思い出していた。
 幾度かの蛇行を経たあと、彼女は鳥居のすぐ左隣に出た。本殿へ向かう人の姿は先程よりも明らかに目減りしている。
 鳥居越しに広場の様子を眺めてみるが、やはり仁王の姿はない。最後にはもう一度鳥居を見上げた。
 そこにはやはり何者の姿もなかった。

 もう一度仁王の家へ足を運ぶべきか悩みながら、は来た道を戻っていた。
 時間を経て僅かに下がった周囲の温度は、物悲しさを加速させるばかりだ。
 仮にもう一度仁王の家に行っても、当然ながら彼の父親と顔を会わせる事態となる。先の絵の会話のこともあり、何となく気まずい感情を抱いていたが、携帯を見ると、一件の着信記録が残されていた。
 慌ててそれを確認すると母親のもので、彼女は少し気落ちしつつ電話をかけ直し、祭りに行っていたことと、もうすぐ帰る旨を伝えた。
 ため息を零してが道を進んでいくと、ふと、少し先の地面に落ちているものに目が吸い寄せられる。
 何だろうと思って、速度を落としながら近くでそれを観た瞬間、彼女の足はぴたりと止まっていた。

「……金魚?」

 小さな袋は一部が破れ、中の水はすっかりアスファルトに流れ出てしまっている。そしてビニールの膜に挟まれるようにして、小さな赤い金魚が一匹横たわっていた。どう見ても屋台の金魚すくいのものだ。
 落としてそのままにしていったのだろうか。金魚はぴくりとも動かず、既に死んでいた。
 はどうしたら良いか迷ったが、さすがにそれを拾い上げる勇気もなく、再び先に進もうとした。そして、何気なく、左の方へと視線を向ける。
 行きに通った時には全く気が付かなったが、そこには小さな鳥居が立っていた。の立ち位置から本殿は見えず、また明かりらしきものもなかった。どうやら少し先に進まないとそのあたりは見えないらしい。
 鬱蒼とした雰囲気には僅かに身震いを覚えて、いよいよ足早に歩き出す。だが、少し進んだところで、やはり小さな罪悪感に苛まれ振り返った。

「に、仁王くん……」

 零れた彼女の声は、掠れて静かに溶けていく。
 金魚のすぐそばで、仁王がしゃがみこんでそれを見つめていた。

2014/07/22 Up