カレイドスコーピオ

インビジブル

10.ワイルドカード / 30

 仁王の家にが着くと、カーテン越しに部屋の明かりが灯っているのが見えた。
 彼の家に来るまでの間、彼女は繰り返し電話を掛け直し続けたが、仁王がそれに答えることはなく、結局メールを送信し終わった頃には、こうして彼の家まで来てしまっていた。
 ぼんやりと光るカーテンの向こう側からは、微かにクラシックのようなゆったりとした音楽が漏れ聴こえてくる。それは、彼女が最近になって特に頻繁に見るあの夢の曲に似ていた。
 明らかな人の気配に、が意を決してインターホンを押せば、ややあってから扉が開く。ところが、にとって予想外の出来事に、彼女は思わず息を飲む。
 それは相手も同じだったらしく、彼は面食らったような表情を見せたあと、すぐに彼女に向かって会釈をした。

「こんばんは。こんな時間に突然すみません。あの、私、無川と申します。その、仁王くんのクラスメートです。仁王くんいますか?」

 一息に話して、は深々と頭を下げる。
 冷静に考えれば、必ずしも自宅にいるのが本人だけではないことなどすぐに分かるはずだ。ただ、これまでの見聞してきた彼の人となりや焦りから、漫然と行動に移してしまったと、は反省するのと同時に酷く困惑した。

「あぁ、顔を上げて。こちらこそ失礼な態度を取ってしまってすまないね。息子なら今家にいないんだ」
「あ、そうなんですか……」

 の眼前の男が息子と口にしたということは、彼が仁王の父親なのだろう。歳はおおよそ四十代後半くらいで、の父親より少し上くらいだろうか。
 伸ばした襟足を結わえているその姿は、彼女が見慣れた仁王そのものだが、明らかに異なっている点は濡れ羽色の髪色だ。
 仁王のあの白妙の髪は生まれ持ったものだ。遺伝的なものか変異的なものなのかはの想像の及ぶところではないが、彼の父親の髪色がこのとおりならば、もしかすると母親から譲り受けたものなのかもしれない。
 そういえばと、ふと彼女は思い出す。以前、入院中の幸村から、仁王は父子家庭だと教えられた話が頭を過ぎったのだ。無粋なことを考えてしまったと、そこで彼女は再び反省した。

「近所の神社でやっている祭りに行っているはずだよ。同じ部活の子と一緒だと言っていたかな」
「えっ? 祭り、ですか?」

 が心底驚いたと言わんばかりに声を上げれば、そんな彼女の反応を予想していたのか、仁王の父親は笑った。

「す、すみません!」
「いや、雅治は確かに子供の頃から賑やかな場所が苦手だからね。まだ、家を出てそんなに経ってないから、今から行けばまだ間に合うかもしれないな。それとも、中で帰ってくるのを待つかい?」
「ありがとうございます。でも、神社に行ってみようと思います」
「そうか。それもそうだね。気をつけて」

 同じ部活の子と言うことは、レギュラーたちなのだろうか。だったら祭りに行くというのもまだ理解は出来る。
 彼女はもう一度深く頭を下げ、踵を返した。

「あ、君」
「?」
「下の名前は何て言うんだい?」
です。無川です」
「あぁ、やっぱりそうか。去年、高校生の絵画展で入賞してた子だよね」
「え? あぁ、そうですけど」
「あの絵はすごく良かったよ。今年も描いたのかな? あぁ、余計なお世話だね。すまない、急いでいるのに変なことで呼び止めて」
「いえ、失礼します」

 父親のその話題は、にとって確かに返答に迷うものであったが、彼は経緯を知らないのだから仕方がない。
 だが、これ以上この話を続けるのもあまり良いとは言えない。彼女は今度こそ足早に石階段を駆け下りた。

 仁王と祭り。
 一見して相反するものだと感じるのは、だけではないはずだ。
 彼の父親に教えてもらった神社へと近づくにつれ、浴衣姿の人や家族連れの姿が混じるようになり、やがて住宅街の路地を曲って少し開けた道路へ出たところで、交差点の向かい側に目的の神社が見えた。
 それは、彼女が予想していたよりもずっと大きな祭りのようで、道路沿いにいくつもの屋台が軒を連ねている。
 遠目からでも多数の人の往来があると理解出来る光景に、はこのままでは仁王に会うことなど無理だと思った。彼からの反応は未だにない。

「わたあめ食べたい。あとねー、金魚すくいとくじ引き!」

 色々と考えながら信号を待つのすぐ背後から、小さな男の子の声がした。
 からからと下駄の音を響かせながら、父親に強請るそのやりとりはとても微笑ましく、彼女は思わず口元が緩んだ。

「ねーねー、お姉ちゃんは、金魚すくいとくじ引き、どっちが好き?」

 くいとの上着の裾が下に引っ張られる。止めなさいと窘める男の人の声が響けば、再び「ねーねー」と催促された。

「そうだなぁ。どっちかって言ったら――」

 そう言いかけて振り返った彼女は、目の前に広がる何もないただ静かな住宅街の光景に閉口した。そのままは再び視線を戻す。
 横たわる幅の広い道路は、歩道よりも幾らか暗く沈んでいてまるで川のようで、自然と彼岸と此岸を連想させた。
 交差点の向こう側では、今も祭りが続いている。

2014/07/06 Up