
唯とテニス部のレギュラー諸々を乗せた叔父の運転する小型バスは、ゆっくりとしたスピードで坂道を下っていた。
ペンションへ向かう時とは異なり大人数でのこうした移動は、少し前であれば、多少なりとも彼女に負担を強いたものになっていたはずなのだが、今はそこまで違和感を覚えることはない。
藤ヶ谷にそんな心情を詳細はある程度ぼかしたうえで唯が吐露してみたところ、彼女は少し考えた顔をしてから「良いことじゃない。それ」と答えた。
そんなものなのかととりあえず納得した唯は、一番後方の席の窓際に座っていた。彼女は森へと視線を傾けたが、そこは一面に墨汁をぶちまけたように黒く塗り潰されているだけだった。
行きに感じたのは昂揚感だったが、こんな状況では閉塞感しか覚えない。すぐに彼女は視線を剥がした。
隣の藤ヶ谷は既に眠ってしまっている。他のレギュラーたちの一部も同様で、車内は思いのほか静かだった。
今度はちらりと左に視線を向ければ、佐竹も浦山も同様に座席にすっかりと沈んでいた。その姿がどことなく似ていて、まるで兄弟みたいだとそんな風に思いながら、唯は眠るわけでもなく目を閉じる。
結局のところ、あれから彼女にとって進展らしい進展はないまま合宿はひとまず無事に終了し、こうして帰路につこうとしていた。
この合宿で、新たに得た情報も確かに多くあるが、増えた疑問も同じくらいあるのもまた事実だ。取り急ぎ行動しなければならないのは、仁王にカードの存在について話をすることなのだが、生憎とタイミングが悪く彼女は未だに彼に切り出せていなかった。
思い出したように携帯電話の電源を入れた唯の指が、少し躊躇ったあと画像フォルダに触れた。液晶画面いっぱいに山犬の姿が表示される。コンパクトフラッシュカードのデータの一部を藤ヶ谷に転送してもらったのだ。
藤ヶ谷の警告通り、決して見ていて気分の良いものではない。舞台や映画のために設えられたフェイクではなく、これは痛々しいほどに存在そのものを主張してくるのだ。
自宅に帰ったらより詳しく確認しなければならないのかと思うと、やはり気が滅入ってしまうのは避けられない。結局、数枚のサムネイルを見ただけで、唯は携帯を閉じてしまった。
不規則にそれでも心地よく揺れる車内は、彼女の意識に薄い布を被せてくる。今度こそ目蓋が重くなっていくのを感じながら、唯はもうすぐ自分も眠ってしまうのだとぼんやりと理解した。
彼女自身が思っていたよりも、やはり気疲れ的なものを身体は感じているようだ。
(……やっぱり変な感じ)
この狭い空間の中に、何食わぬ顔をしたジョーカーがいる。
先程よりもずっと静まり返った車内で、他の皆と同じく微睡んでいたとするならば、これ以上おかしな話はないだろう。
唯と同年代の人間が、確固たる意志でこの一連の事件を企て、実行に移している。
ふ、と既に自分の意志を離れ、動かないはずの自身の唇が弧を描く。浅く、ごく浅く切れ目のようになってしまった視界の最後に映ったのは――
前方の座席越しから唯を無表情に見下ろしている幸村の姿だった。
がたんと大きく身体が揺れた感覚に、唯ははっとして目を開けた。
周囲は至る所に人工灯が立ち並び、若干眩しくすら感じる。いつもの見慣れた風景は、どこか安堵するような寂しいような複雑な光の群れに溢れていた。
どうやらバスがブレーキをかけたらしく、彼女はすっかり寝入ってしまっていたことにようやく気付いた。
一体どうしたのかと思っていると前方の扉が開く音がした。もう降りる場所に着いたのかと、藤ヶ谷につられるように唯も立ち上がって様子を窺う。
「仁王。本当にここで良いのか?」
「あぁ、本屋に寄りたいし、ここで構わんぜよ」
そう言って荷物の入ったドラムバッグを抱えた仁王は、手をひらひらと振りながらバスを降りていく。
彼の足は、そのまま駅に併設された商業施設の方へと向けられ、やがて人並みの中へと溶けん込んでいく。その間ただの一度も振り返ることはなかった。
唯が車内に意識を戻せば、車内は気づけば佐竹や浦山、その他に何人かの姿も既に見えなくなっていた。
ほんの少しぼんやりとしていた彼女だったが、扉が閉まる音に引き戻され慌てて声を上げる。
「あ、私もここで降ります。駅から家までそんなに遠くないし」
「駄目だよ」
(あれ? 幸村くん?)
唯とは反対の列の二つほど前の席から、幸村の声がした。
てっきり前の座席に座っているとばかり思っていた彼女が、そのことに面食らって前方を見つめた瞬間、そこから切原がひょっこりと顔を覗かせる。
「一応夜だし、柳先輩の叔父さんが家の前まで送ってくれるらしいッス」
「あ、そうなんだ……」
「仁王はね。まぁ、毎年あんな感じだからね」
そう楽しそうな口調で付け足した幸村の声を聞きながら、唯は釈然としない思いで満たされていた。