
藤ヶ谷に着いていくまま唯が室内に入ると、彼女は窓際の椅子に座り少しの間沈黙した。
そのどこかぴりぴりした雰囲気に唯は気圧されて、ベッドに腰を下ろした状態で藤ヶ谷の様子を窺っていた。
良く見れば、藤ヶ谷の顔にはうっすらと汗が滲んでいる。室内はさほど暑くないはずだと唯が不思議に思っていると、彼女が突然唯に向き直った。
その強い瞳に彼女の心臓が跳ね上がる。
「これ、唯に観て欲しいの。ちょっと気持ち悪いかもしれないけど……」
そう言って、藤ヶ谷はカメラを唯に差し出す。
そうして彼女に言われるまま唯が再生ボタンを押せば、藤ヶ谷の視点で進む森の中らしき映像が流れ始めた。
「森?」
「とりあえず最後まで観て。後で詳しく説明するから」
木々の隙間から降り注ぐ光を辿るようにカメラが揺れる。
どうやら道ではなく、草木を直接分け入っているらしい。危険な行為に他ならないが、彼女は全く臆することなく奥へ奥へと踏み入っていく。
やがてその前方へ白い塊が見え、彼女はそこで初めて立ち止まる。迷うように画面が上下に揺れ、それからゆっくりとそれへと近づいていった。
徐々に相貌が鮮明になっていくにつれ、地面にその躯体を晒している正体が、あの山犬であることに唯も否も応もなく気付いた。
真田からは、二匹の内一匹は彼が確実に仕留めたと聞いている。実際、この映像の山犬の頭部には彼が付けた傷らしいものは全く見当たらない。
となると、必然的にこれは逃亡したもう一匹の方ということになる。
藤ヶ谷は更に山犬をズームアップした。その瞬間、唯は軽い嘔吐感を覚えて思わず目を瞑った。だが、すぐに目を開き映像の続きを見る。もしかすると、ジョーカーに繋がる何か手がかりがあるかもしれないと思ったためだった。
山犬の頭部は傷一つなく綺麗だが、問題はそこから下の腹部周辺だ。
血の色とも区別し難い茶色に染まったそこはまるで弾けたように破れ、恐らく内臓だったと思われるものが地面に流れ出していたのだ。
そのせいで、山犬の腹はやけに落ち窪んでいた。不自然だと唯は率直にそんな感想を抱いた。
一通り映像を再生し終わったところで、唯は藤ヶ谷にカメラを返した。
「これ……いつどこで撮ったんですか?」
「さっき。すぐ近くの森で。唯が裏庭で絵を描くって聞いたから私も外に出たら、小屋にいた時に嗅いだあの匂いが一瞬した気がしたの。それでぴんと来てね。嫌な方の予感が」
言うなり藤ヶ谷がカメラの蓋を開ける。
素早くコンパクトフラッシュカードを抜き取り、唯へと差し出した。
彼女の行動に戸惑っている唯へ、藤ヶ谷は今度は彼女の手を取るとそれをしっかりと握らせた。
「そ、空。何?」
「小屋で撮った方は仁王くんにも渡してるけど、彼はもちろんこっちは知らない。唯が持ってて。一緒に小屋の動画もコピーして入れてるから」
「私に? どうして?」
カメラの蓋を閉じながら、藤ヶ谷がふっと笑った。
「仁王くんと、同じ目をしてたから」
「え?」
「普通そんなの途中で観たくなくなると思うの。女の子なら尚更ね。けど、唯は最後まで真剣な顔で観てたし、終わったらすぐに”どこで撮ったの”なんて一番に聞くんだもん」
そう言ってもう一度藤ヶ谷は笑うと、仰向けにベッドに倒れた。
彼女の身体と投げ出されたカメラが僅かに弾む。
「仁王くんから釘刺されちゃった。この件から手を引けって。言われなくてもそうさせてもらうつもり。こんなの私の管轄外だし」
「じゃあ、どうしてこれをわざわざ私に?」
「私ね。これすっごく自慢なんだけど、勘が鋭いだけじゃなくて、人の目を見るのも得意なの」
真剣な、それでもどこかふざけているような口調で彼女は続けた。
「仁王くんはね。何かを隠してる。それもきっとすごく良くないこと」
そのままじっと藤ヶ谷は唯を見上げる。
唯は、それが猫の瞳にそっくりだと思った。
「それとね。唯もだね。仁王くんと同じくらい、ううんそれ以上に良くないこと」
当たってるでしょと彼女は表情を和らげて再び笑った。
「同じくらい良くないことなら、私は唯に味方したいの。だからそれはあげる。唯のものだから好きにして」
「……ありがとう」
「どーいたしまして。本当にこれ以上は自分から深入りしないから安心して。ううん。しない方が身の為だって、私の勘が珍しく私のために言ってる」
藤ヶ谷が心底疲れたと言わんばかりにため息をついた。
「それ、動画だけじゃなく写真も入ってるから。写真は接写で撮ってるからクリアなはず。だから、そう言う意味でも観る時は気を付けて。それにしてもあの匂いだけは、もう二度とごめんだわ」
「あ、私もそれは同じです。ただでさえ気持ち悪いのに、甘いのと生臭いのが混ざって余計に」
「甘い?」
「はい。何だか果物が腐った時みたいな」
「そうだったかな? 私にはとにかく生臭さしか感じなかったけど。あ、そう言えば!」
そこで藤ヶ谷が思い出したように起き上がった。
「今の話で思い出した。あのね。あの時、唯と似たようなこと言ってた人がいたんだけど……」
そうして彼女が口にした意外な名前に、唯は驚きよりも何故だか一番に不安を感じていた。