
ペンションに戻った真田と鷹敷の怪我の状況を見た叔母は驚き、すぐに叔父を呼び戻した。
怪我の理由について、真田はただ「野良犬に襲われた」とだけ叔父に説明し、自然と他の者もそれに倣った。
そして二人とも、治療と検査を受けるために叔父の車で病院へと向かい、残りはダイニングで戻りを待つことになった。
「……無川先輩。俺らがいない間に何かあったんスか?」
小屋に戻った時から室内の不穏な雰囲気を感じ取っていた切原が、そっと唯に尋ねてきたのは、リビングに全員が揃っている中、明らかに丸井が不機嫌そうな顔をして仁王に背を向けているのを見たからだった。
国舘も気になっていたらしく、唯に同じような顔を向けている。
「うん。ちょっと……」
彼女が事情を説明すると、二人はあぁという顔をして丸井を見る。
彼は相変わらず面白くないといった顔で頬に手をつき、不満を口にしているようで、いつも通りジャッカルがそれを宥めていた。
柳は幸村と共に叔母に細かく経緯と今後のことについての話をしており、もしかすると、このまま合宿の残りのスケジュールは中止になるかもしれないと、唯は柳生からそう教えられた。
二人が戻ってくるまでの間、かなりの時間があったため、本を取りに一旦部屋に戻ることにした唯は、部屋に入るなり息を飲む。
唯のベッドの上に、あのトランプが置いてあったのだ。
先の二枚のカードについては、念のためにと彼女は持ち歩いていた。つまり、この目の前のカードは、新たな一枚ということになる。
(いつの間に? だって皆、ずっとダイニングにいたはずなのに……)
そこまで考えて彼女は、今更の話だとすぐに否定する。ジョーカーに対して、そもそも唯の知る一般的な常識など通じるわけがないのだ。
緊張しながら彼女がカードを拾い上げると、それはスペードのクイーンで、他のものと同じように文字の書かれたシールが張ってあった。字体も相違ない。
『君はもっと自分のことを知るべきだ。』
例にもれず添えられた一文の意味が全く分からないと、唯は繰り返しカードを眺める。
念のためにシールも剥がしたが、今度は裏面に何も書かれていなかった。
「唯?」
突然かけられた声に、唯は肩を僅かに震わせる。振り返れば藤ヶ谷が立っていた。
自身の身体に隠れていたため、藤ヶ谷に持っていたカードは見られてなかったようで、唯はそっとポケットにそれをしまった。
「あ、空、どうかしたんですか?」
「それはこっちの台詞。急にいなくなったからどうしたのかなって思って」
「暇になりそうだから本をを取りに来てて」
「そう。なら良いけど。あ、合宿さ、継続だって。あとね、さっき真田くんから連絡あったよ。二人とも大丈夫みたい。まだ少しかかるけど、遅くならない内にこっち戻って来れそうだって」
「そうなんだ。良かった」
藤ヶ谷が、唯のベッドに腰を下ろした。
ぎしりと軋むスプリングの音に唯が視線を落とせば、彼女もまた肌身離さず持ち歩いているカメラを握り締めていた。
「仁王くんが辞めるなんて、今年のテニス部は一体どうしちゃったんだろう?」
ぴっという電子音と主に、彼女のカメラから音が溢れ出す。
どうやら彼女は、先の小屋での出来事を録画したものを再生しているようだ。
「ねぇ、唯に変なこと聞いても良いかな?」
「うん。どうしたの?」
「関東大会の前、ちょうど幸村くんが入院しちゃう前くらいに、学校に皆集まってたじゃない」
「あ、うん……」
「あの時、ホントは皆で何をしてたの?」
藤ヶ谷が顔を上げた。いつになく不安げな表情が張り付いている。
唯の絵が裂かれた事件については、唯の同級生や国舘と同様に、藤ヶ谷も仁王によってその記憶を奥底に押し込められていたはずだ。
それを彼女が急に口にしたということは、何か思い当たる節があるためなのだろう。
唯は少し緊張しながら。藤ヶ谷の続きを待っていた。
「仁王くんから、私が倒れてたらしいってことは教えてもらったんだけど。実は私、その時のこと殆ど思えてなくて。けど最近ね、私、大変なことしちゃったんじゃないのかなって、ふとそんな風に思う時があるの」
それが何なのか、やっぱり分からないけどと、藤ヶ谷は尻すぼみに付け加えた。
「……ねぇ、これ、観て」
彼女が、カメラのディスプレイを唯に向ける。
再生されていたのは、小屋の中で真田が火掻き棒を使い山犬を殴り飛ばした場面だった。
「真田くんも言ってたけど、本当に血が少しも出てないね。それに、何で部屋の中にいる私たちを執拗に襲ったのかな?」
彼女の指がボタンを押す度に、映像が巻き戻される。
「私も詳しい事情は知らないんですが、空は貧血を起こして倒れてたんですよ。それを仁王くんが見つけて運んだんです」
「そっか。唯がそう言うならやっぱりそうなんだよね。何か、ごめん」
映像の中の真田が叫んでいる。雑音の中に紛れ込むようにして、藤ヶ谷が小さくぽつりと漏らした。
「私、皆に……切原くんに、何かしちゃったのかな?」
藤ヶ谷は、唯に言葉が届いていることに気付いていない。彼女はそれを可能な限り聞き流しながら、ポケットの上よりカードに手を添えていた。