カレイドスコーピオ

インビジブル

10.ワイルドカード / 17

「とりあえず、応急処置としてはこんなものだろう」

 マッチを擦る音と共に、部屋の中央周辺が明るくなる。微かな硫黄の匂いはすぐに掻き消えた。
 不自然に空いた窓や扉の穴を小屋の中にあった木切れなどを使って塞げば、室内はそれまでよりもずっと薄暗くなっていた。
 どうやら外を蹂躙して回った山犬は、外付けの電源回路一式ももれなく破壊していったようで、備え付けの蛍光照明などは今や全く使い物にならない。

「あいつらの気配は消えたみたいだが、まだ油断は出来ないな。それにしても酷い匂いだ」

 棚から蝋燭の束を抱えて戻ってきたジャッカルが、ため息交じりに呟く。
 柳はそれを受け取ると、真田と山犬が先程まで争っていた場所を一瞥した。

「ジャッカルは鼻が利くからな。この腐敗臭は相当堪えるだろう。すまないがしばらくは耐えてくれ」
「そりゃ状況が状況じゃ仕方ねぇよ。なぁ、幸村。お前は体調平気か?」
「え? あぁ。俺なら平気だよ」

 板の隙間から垣間見える外の様子を眺めていた幸村は、そう答えて微笑むと室内に視線を戻した。
 彼らが話す室内に立ち込める匂いとは、どうやら山犬から発せられていたらしく、特にそれの身体が強く振れたところには強くこびり付いているようだった。

「なぁ、藤ヶ谷」

 先程から押し黙っていた丸井が突然口を開く。そして、そのままじっと彼女の目を見つめた。
 薄明りの中、揺らめく蝋燭の炎が、彼の瞳にゆらゆらと映り込んでいる。
 藤ヶ谷は未だにカメラを抱えたままで、ファインダー越しに彼を見返した。カメラレンズにもまた、同じ明かりが灯っている。

「何? 丸井くん」
「お前、このことも新聞に書くのかよぃ」

 彼の言葉に、そこで藤ヶ谷は初めてファインダーから顔を離した。その表情は心外と言わんばかりに顰められている。

「何言ってんの? 私とテニス部の取材契約は、あくまでテニスに関連することだけ。こんなの書かないわよ。言ったでしょ。これはあくまで証拠、自分の保身のためにやってるの」
「そっか。良かった」
「それに前、丸井くん私にパパラッチなんて言ってくれちゃったけど、勘違いしないで。確かに私は、自分の書きたい記事を好き勝手書いてるけど、ちゃんと分はわきまえてるつもりよ」
「そりゃ悪かったよ。じゃあ、この今の状況、お前にとってオフ何とかってヤツになるのか?」
「オフレコのこと? まぁ、そんなところかしらね」

 意味が分からないといった顔で、藤ヶ谷は丸井に訝しげな目を向ける。すると彼はおもむろに彼女のカメラを指差した。
 藤ヶ谷は益々渋面の濃くして首を傾げたが、丸井は一言「それ、切れよ」と言うだけだった。やがて根負けした藤ヶ谷は、小さくため息をつくとそれの電源を落とす。
 そして、どうぞとわざとらしく肩を竦めてみせた。すると、丸井は今度は仁王へと向き直る。

「なぁ。仁王、何でお前テニス部辞めんの?」

 それを聞いた藤ヶ谷と佐竹は、寝耳に水とばかりに同時に「えっ?」と声を漏らした。
 柳生が慌てたように丸井を制するが、彼は構わずに続ける。

「答えろよぃ。仁王」
「何かと思えば。今、ここでそんな話をしとる場合じゃないぜよ」
「今だからだろ。それに、誰もちゃんと聞こうとしねーから俺が聞くんだっつーの」
「……」
「ほら、また、黙んまりかよ」

 がたんと激しい音と共に、丸井によって蹴られた椅子が倒れる。
 ジャッカルが落ち着けと彼を宥めるが、丸井は仁王の態度に相当苛々しているのか、ぎらりとした目で仁王を睨みつけた。

「何なんだよお前。いつも肝心なトコでそーやって黙って、澄ました顔してんのマジ良い加減にしろよぃ。こんな大事な時期に部内乱して、皆もそうだけど、何より柳生が迷惑してんのお前がホントは一番分かってんだろ?」
「……」
「だから、なんでそこで黙るんだよ。理由があるならちゃんと言えよ」
「……」
「あーもうマジムカつく! 何となく俺だって分かってるし。どうせ、理由なんてジ」
「丸井」

 幸村が発した言葉は、丸井、あるいは仁王を責めるわけではなく、ただ静かに、まるで凪の水面をそっと広がっていく波のように穏やかだった。

「幸村くん。何で……」
「駄目だよ。丸井」

 ゆるりと緩慢な動きで、幸村は首を横に振る。ただそれだけで、丸井の言葉を窒息させるには十分だった。
 そんな彼らのやり取りを途方もなく遠いところで見ているしかなかったは、自身に向けられる視線に気づき反射的にその方を見た。
 佐竹が真っ直ぐにを見つめている。その表情は険しい。
 部屋に充満する香りのせいで、はすっかり自分の鼻がおかしくなってしまったのかと、少しばかりくらくらする頭でそんなことを考えながら、彼女は佐竹を見つめ返していた。
 やがて、彼の唇が音を発さずに小さく震える。

――無川部長は知ってたんですね。

 彼の瞳は、まるでどこか彼女を軽蔑しているかのようにすら感じられるほどに冷めていた。
 その理由をが理解出来ないまま、彼はやがて目を逸らしてしまう。
 やや乱暴な音を立てて椅子を引き起こした丸井は、それに腰を下ろすと、ぽつりと面白くなさそうに吐き捨てる。

「ふざけんなよ。何もかも、全部お前だけが悪いみたいじゃん」

 それきり丸井も、周りの人間も口を噤む。

「……そうかもしれんのう」

 そんな中で、ただ一人仁王だけが、淡々と、それでもどこか楽しげにそう答えた。

2014/03/23 Up