カレイドスコーピオ

インビジブル

10.ワイルドカード / 15

 得体の知れないものが、扉に向かってその身体を繰り返し打ち付けている。
 その衝撃は相当なもののようで、今や扉の真ん中の辺りは、不自然に盛り上がりささくれ立っていた。
 それでも相手の勢いは衰えることはなく、この様子ではやがて破られるのも時間の問題だろう。

さんと藤ヶ谷さん、浦山は後ろに下がって。念のため、窓にも絶対寄らないで」

 幸村に言われるまま、は二人と共に部屋の隅の方へ移動する。
 真田は暖炉から火掻き棒を手に取ると、誰よりも前へ出た。そして、そのまま両手でしっかりとそれを握り、鋭い目で扉を睨みつける。
 その間も猛攻は止むことなく、木の裂ける音がやけに大きく室内に響き渡っていた。扉の周囲には細かな木片も相当散らばっている。
 やがて一際大きな音と共に、扉の一部にいよいよ穴が開いた。裂け目から灰色がかった体毛が覗き、全員が思わず息を飲む。
 その姿が消えたかと思うと再び扉が揺れ、相手の鼻先が僅かな隙間を抉じ開ける。
 獰猛な唸り声を上げながら黄色い牙を剥く獣の姿は、それだけで柳が言っていたように、にも犬を連想させた。まだ頭部の全ては見えていないが、確認出来るのは、それが完全に室内へと飛び込んだ時だろう。
 浦山が、今にも泣き出しそうな掠れた悲鳴を上げた。
 彼のそんな様子を見た瞬間、は急速に冷静になっていく自分を感じた。そして、恐怖に怯える浦山を自分の後ろへと素早く押しやると、出来るだけ彼の視界に入らないようにする。
 藤ヶ谷の様子も気になり彼女が隣を見れば、そこで初めて藤ヶ谷がカメラを構えていることに気が付いた。彼女の瞳もまた酷く冷静だった。

「おい、藤ヶ谷! 落ち着けよ! 今、写真なんて撮ってる場合じゃないだろぃ!」
「動画モードで撮ってるの! もし万が一何かあった時に一応証拠になるでしょ。丸井くんこそ落ち着きなさいよ」

 怒気を含んだ丸井の声に、負けじと強い口調で藤ヶ谷は切り返した。
 一連のやり取りを掻き消すかのように、乱暴な音を立てながら獣が身体を引き、扉の先へと再び消える。
 ぽっかりと空いた隙間から、白い霧が一筋室内へと流れ込み、それだけで室内の温度はみるみる下がっていった。
 そうして静寂が訪れる。
 誰もが言葉を発さずに、迫りくるであろう次の光景を思い浮かべていた。
 息を殺して耳を澄ますが、聞こえてくるのは先程とは異なり、獣の唸り声にも似た風がふき流れる音だけだ。
 浦山が必死に涙を堪えて肩を震わせる様子を察知したは、空気に溶かすように「大丈夫だよ」と囁いた。それにすら彼は過剰な反応を見せたが、すぐにこくこくと何度も頷く。
 やがて、均衡は破れた。
 風の音に小屋の周囲を駆け回る足音と、荒い息遣いが混ざったのだ。まるでタイミングを図るかのように、それは一定のリズムを伴って繰り返される。
 にわかに室内が緊張で満たされていく中、真田はそれでもただじっと扉の一点を見つめていた。
 扉の穴を獣の影が横切っていく。彼はただ静かに瞳を閉じた。
 真田は改めて両手を握り直す。浅く息を吐いたかと思うと、今度は深く吸い込んだ。
 もう一度、獣の影が過ぎ去った。
 真田が音もなく一歩を踏み出すのと、それがいよいよ扉を蹴破るのは全く同時だった。
 木屑に塗れながら現れたその全貌は、全身が薄汚れた灰色の毛に覆われており、犬と呼ぶにはあまりに大きい躯体をしていた。
 口の端から涎を垂らし、剥き出した牙とそれに負けず劣らず研ぎ澄まされた鋭い爪は、彼の喉元へと狙い定められている。
 山犬かと、真田は自身が行動を移す一瞬の間に心中で吐露した。
 白く淀んだ瞳と目が合った真田は、大きく右足を踏み込んだ姿勢から腰を左へと捻り、横に薙ぐようにして全身の力を込めて火掻き棒を振るった。
 相手の凶器が彼に届くよりも先に、真田のそれが野犬の腹へ深々と沈み、ギャという甲高いと共に、山犬の身体は自身の勢いも相まって部屋の壁へと叩きつけられる。
 その瞬間、真田は信じられないというように一瞬目を見開き、すぐに頭を横に振った。
 嬉々として切原は歓声を上げるも、すぐにそれは疑問の言葉に変わる。
 驚くべきことに、あれだけの衝撃を受けたのにも関わらず、山犬はよろけながらもすぐに立ち上がったのだ。

「弦一郎!」

 幸村の叫び声に、真田が姿勢を整えようとするよりも早く、今度こそ山犬が彼に向かって飛び込む。そのまま彼に馬乗りになると、口をこれでもかと大きく開き、真田の喉元へと向かって真っ直ぐに振り下ろした。

「真田副部長!!」
「来るな赤也! 精市、蓮二。皆を下げろ!」

 火掻き棒を支えに、かろうじて噛み付かれるのを防いでいた真田は、何とか振り解こうと試みるも、思うように身体が動かせない。ジャージ越しでも彼の肩口近くには、しっかりと山犬の爪が食い込んでおり、僅かに血を滲ませている。
 室内が混乱している最中、指示を取ろうと幸村が口を開いた瞬間、今度は窓硝子が激しい音を立てて砕け散った。

2014/03/18 Up