カレイドスコーピオ

インビジブル

10.ワイルドカード / 14

 山の天候は変わり易いというのは、山登りの常識の一つだが、これほどまでなのだろうかとは目の前の光景に驚きつつ窓の外を眺めていた。
 森から滲み出た霧は、あっという間に周囲に立ち込め、少し先の視界すら危ういものに変えている。
 柳の忠告を聞かずに佐竹と戻っていたら、今頃二人は立ち往生していたに違いない。

「やはり、動かなくて正解だったみたいだな」
「柳くんの言う通りにして良かったです。でも、こんなことって頻繁にあるんですか?」
「いや、今の時間でここまで霧が濃くなるのは滅多にないことだ」

 の隣に並んだ柳は、一旦窓を開けると身体を乗り出して外の様子を窺う。
 僅かに風が吹いているのか、冷たい外気が彼女の髪を舞い上げた。
 やがて、柳は窓を閉めると、「しばらくは動けそうにないな」と独り言のように呟く。

「珍しいこともあるね。蓮二の読みが外れるなんて」
「全くだ。この分だと今日は練習にならんな」

 二人のところへやってきた幸村と真田も、外の光景を目にして柳と同じような感想をそれぞれ口にする。
 そのまま今後についての話し合いを始めた三人から、は静かに離れると小屋の中を見回した。
 入り口から右手の壁には、石造りの暖炉がある。今の季節であれば暖を取るためにと言うよりは調理目的で利用することを想定しているのか、近くには薪の束が並んでいた。
 部屋の中央に置かれた大きなテーブルには、丸井、ジャッカル、柳生、国舘、鷹敷、藤ヶ谷が真剣な顔をして座っている。恐らく先程の練習について話をしているのだろう。
 そして、相変わらず彼らから距離を取るようにして入り口近くの壁際に仁王が立っていた。すぐ隣には切原の姿があり、彼は深刻そうな表情で仁王に話しかけているが、あまり相手にされていない様子だった。
 そんな二人に加わる勇気が持てなかったは、更に仁王から少し離れた隅の方へいた佐竹と浦山のところへ向かった。

「――で、そう言う時は……」

 が近づいて来たことに気付いた佐竹が、急に口籠った。
 振り返った浦山が、彼女に向かって頭を下げる。

無川先輩。お疲れ様でヤンス」
「お疲れ様です。浦山くん」

 初めて浦山と接した際、その独特な言葉遣いには驚いていたが、すぐさま佐竹に「テニス部なら今更の話じゃないですか」と冷静に切り返されたのは昨日の話だ。
 確かにテニス部にはそう言った意味でも個性的な面々が揃っている。

「あ、じゃあ。オイラは飲み物の準備してくるでヤンス」
「俺も手伝うよ」
「これも仕事でヤンス。先輩たちこそ休んでいてください!」

 そう言って浦山はクーラーボックスの置いてある方へと駆け出していく。

「浦山くんと仲が良いですね」
「ん。まぁ、部屋も一緒だし。にしても、今日はこれで一日潰れそうですね。俺らもテニス部も」
「残念だけど、仕方ないですね。でも、ここに寄って良かったかも。あのまま戻って登ってたら、もしかしたら二人だけの時にこういう状況になっていたかもしれないし」
「確かに」

 ドリンクを配って回る浦山の姿を見ながら、早く霧が晴れないかとがぼんやりと考えていると、突然、仁王と切原が揃って壁から預けていた背中を浮かせた。
 たまたま視界の隅でその様子を捕らえていたと佐竹が、一体何事かと目を丸くすれば、切原が壁を睨みつけたまま低く呟く。

「仁王先輩。今の聞こえましたか?」
「あぁ、赤也も聞こえたみたいじゃのう」
「何なんスか。あの声……」
「どうした? 仁王、赤也」

 只ならぬ雰囲気に気付いた真田が声を上げれば、そこでようやく全員の視線が仁王たちへと集まった。
 仁王は真田たちのいる窓際まで走ってやってくると、窓をほんの僅かだけ開く。

「仁王、一体……」
「真田。少し黙りんしゃい」

 真田の言葉を口早に遮り、仁王は耳を欹てる。
 やがて聞こえてきた声を確認すると、仁王はすぐに窓を閉め鍵をかけた。

「何だ、今の唸り声は……」

 それは真田たちにももれなく聞こえていたようで、柳が仁王に耳打ちする。

「さっきの影、犬のようにも見えたが」
「参謀にも見えたか。まだ分からんが、これで益々外には出られなくなったのう」
「この辺一帯は叔父がある程度は管理している。動物が姿を見せるなど、まずないはずだが」
「とにかく、霧もこいつもどっかに行ってくれるのを待つしかないぜよ」

 仁王が窓の外に視線を向けて面倒臭そうにため息をつく。
 そして、また小さく呻き声が聞こえたと思った次の瞬間だった。
 扉が激しい音と共に大きく揺れた。すぐ近くにいた切原は堪らず驚きの声を上げて、そこから距離を取る。
 しんと静まり返った中、切原が呟いた。

「な、何なんだよ……」

 じりと一歩後ろへと彼が下がったところで、再び扉が先程よりも大きく弾んだ。
 気付いた切原が、舌打ちをして扉を押さえるように身体を押し付ける。と、同時に、外にいるそれが扉へと体当たりをした。
 彼の元へと駆け寄ってきた柳が、閂状の内鍵を素早くかける。
 そうして二人が扉から離れると、そのすぐそばから低く威嚇するような長い唸り声が、今度こそ室内にまではっきりと響き渡った。

2014/03/16 Up