
「すみません。急に来たりして」
「いえ、こちらこそ気になさらず。好きなだけ居てくださって結構です」
唯の言葉に鷹敷はコートから視線を剥がさずにそう答えた。
彼の視線の先では、柳生と国舘が試合形式での練習を行っていた。対戦相手は丸井とジャッカルだ。
こういう時の鷹敷の眼光は、傍から見ていてもとても鋭いものになる。マネージャーとしての責務を全うするという気概があるためなのか、レギュラーたちの挙動一つ一つを決して逃さまいと、彼は全身の神経をこれでもかと研ぎ澄ましているようだった。
彼らの利用しているテニスコートは、大層質素な作りをしていた。
通ってきた道にあったような小石は見当たらないものの、やはり土が露出したままで、そこへポールを立てネットを張っている。地面は丁寧にならされているが、足やボールが表面を撫でるだけで土埃が宙を舞った。
あえてこうしているのだと鷹敷に教えられ、唯はそんなものなのかと思いながら鞄からスケッチブックを取り出す。
試合は、圧倒的に丸井たちの有利な展開で進んでいた。明らかに本来の力が出せていない国舘にボールが集中しており、そのため四人の中で、彼だけが全身土まみれになっていた。顔に付いた泥を拭う余裕すら、今の国舘には全くないらしい。
そして、その様子をコートの外から仁王が眺めていた。彼はユニフォームにこそ着替えているが、ラケットは手にしておらず、腕を組んだまま気怠そうにして木に寄りかかっている。
そこから少し離れたところで、浦山と佐竹が話し込んでいる姿も見えた。
ここに来てからまだ一度も仁王と口を利いていないなと、唯がそっと仁王から目を逸らした時、ふとベンチの上に置かれたノートが目に入った。
「スコア表ですよ。宜しければ見ますか?」
鷹敷がやはり試合から目を離さずに説明した。
相変わらずテニスには明るくない唯は、そのまま彼の言葉を聞き流しかけたが、ふとあることを思いつきノートを手に取る。
ページを捲れば、そこには彼女の予想した通り、鷹敷の字が並んでいた。
(違う。鷹敷くんの字は、カードの字じゃない)
丁寧に書き綴られたスコアには、所々に彼の注訳が付けられているが、やはり唯には良く分からない内容も多くあった。
念のためにと次々ページを捲っていくと、あるところで明らかに彼の字ではないものに変わっていた。
どうやら、これはレギュラーたち自身によって書き加えられたページらしい。願ってもないことにその中には浦山のものもあった。
思わぬところで求めていたものに巡り合ったと、彼女は素早くそれらに目を滑らせる。
(どういうこと? どれも違う)
鷹敷に変に悟られないように注意しながら、繰り返し文字の羅列を唯はなぞっていたが、結局カードと全く同じ形はその中に見つからず、期待が大きかった分彼女は落胆する。
(やっぱり、これを直接書いた人は、この中にいないってこと?)
レギュラーたちの誰かを疑わなくて済むのなら、それはそれで喜ばしいことであるのは間違いないのだが、これでまた疑問だけが残る結果になってしまったのには変わりがない。
振り出しに戻ったどころか、反対に今度は誰に標準を合わせれば良いのか分からなくなってしまったのだ。
「あの、無川さん?」
鷹敷の訝しげな目と合った唯は、いつの間にか試合が終わっていたことに初めて気が付いた。
彼女とコートを挟んで反対側にあるベンチに国舘が座っており、浦山がドリンクやタオルを配っている。
国舘や他のレギュラーたちの雰囲気を見る限り、試合結果は燦々たるものだったようで、それは鷹敷が小さくため息をついた様子からも彼女もひしひしと感じ取ることが出来た。
「国舘くんは、決して悪くはないんですが、練習試合ですらまだ緊張してしまうようですね。いつも通りのプレーがまるで出来ていません。幸村くんはオーダーを変えるつもりはないようですし、全国大会までに調整が出来れば良いんですが」
「鷹敷くんは、仁王くんが試合に出た方が良いと思ってるんですか?」
「えぇ。国舘くんには悪いですが、やはり仁王くんと柳生くんのペアは、丸井くんとジャッカルくんのペアと同じくらい長いですからね。ダブルスは互いの呼吸を合わせるのが何よりも大事なんです。いくら互いに技術面が素晴らしくても、呼吸が合わなければ意味をなさないどころか互いの長所さえ潰しかねない」
「テニスって難しいんですね」
「そうですね。だからこそ興味深いのかもしれませんよ」
いつの間にか仁王の姿は消えていた。
彼だって、曲がりなりにも三年間テニスに打ち込んでいる。そんな簡単に手放すことなど容易ではないはずだ。
「一旦、休憩を挟むことになりました」
「あ、じゃあ、私たちはペンションに戻りますね」
「いや、無川。今は止めておいた方が良い」
背後から響いた声に唯が振り返ると、そこには柳が立っていた。
彼もまた国舘たちの試合の様子を見ていたらしい。
「少々霧が出てきた。すぐに晴れるとは思うが、山に慣れていないなら、念のため下手に動くな」
そう話す柳の視線の先を追えば、確かに林立する木の隙間から漏れ出るように霧が流れてくる。
彼の言葉に倣い、唯と佐竹は先程横を通ってきたあの小屋で、レギュラーたちと共に霧が晴れるまで留まることにした。