
着替えを済ませ七時を過ぎた頃、ダイニングへ唯が降りたところで、ちょうど佐竹に会った。
彼は若干まだ眠たそうに目を擦り、彼女と挨拶を交わす。
「無川部長、おはようございます」
「おはようございます。眠そうですね」
「あー、まぁ、ちょっと」
「おはよう。二人とももっとゆっくり寝てても良かったのよ」
叔母が、眠気覚ましにと牛乳の入ったコップを乗せたトレーを手にやってくる。そうして佐竹の様子を見るなり、笑いながらそれを二人の前に置いた。
礼を言って、佐竹は眠気を払拭するように一度にそれを飲み干す。唯もコップに口を付ければ、染み渡る冷たい感触に身体がいよいよ目覚める気がした。
「蓮二くんたちは、もう少し練習に時間がかかるみたいだから、私たちは先に朝食にしましょう。二人とも手伝ってくれる?」
「はい……あれ? 叔父さんの姿も見えませんが」
佐竹が周囲を見回して漏らしたの疑問に、唯はそこで初めて叔父の姿がないことに気が付いた。
「えぇ、ちょっと足りないものがあって、下まで買い物に行ってもらってるの。戻りは、そうね、夕方ぐらいかしら」
叔母は、叔父が唯たちをせっかく来たのだから色々案内したがっていたことを教えてくれた。彼は普段、口数がそう多くなく一見すると人付き合いを避けるような雰囲気を持っているが、実のところはとても面倒見が良い人らしい。
そんな話をしつつ、三人で朝食の準備に取り掛かる。滞在中、やはり自分たちも何か手伝いをしようと佐竹と相談をしていた唯は、結局こうして食事系の手伝いをするということで落ち着いていた。
作業の手を進めながらも、やはり今の彼女の頭の中は、常にジョーカーのことで溢れ返っていた。
ジョーカー、あるいは関連する重要人物が、“このペンション内にいる”という絶対条件のみを切り取れば、叔父夫婦もそれには当てはまる。だが、ここに更に、これまでの一連の事件についての関連性を条件二として組み込むと、二人が該当する可能性は限りなくゼロに近くなる。
(この中で、まだジョーカーから直接被害を受けてないのは、佐竹くん、真田くん、柳くん、鷹敷くん、それとあの初めて見る一年の浦山くんかな。幸村くんとジャッカルくんは微妙なところだけど、ジョーカーは実くんや真くんを使って幸村くんの病室を探していたみたいだし、どっちかと言えば、ジャッカルくんがまだ受けてない方に入るのかな?)
もちろん、被害を受けたからと言って、その人物がジョーカーではないと結論付けるのは時期尚早だ。
だが、その一方でレギュラーの中にジョーカーがいるとも考えられなかった。彼らの繋がりは、昨日今日の話ではない。本当の目的がいまだにはっきりしないにしろ、テニス部に対して何か特別な理由、仮に怨恨に近しいものが根源だとしたら、なぜこの三年になったタイミングでこんなことをするのだろうか。
今でなくとも、ジョーカーほどの人間なら、これまで幾らでもチャンスはあったはずだ。
(テニス部の三連覇を達成させないため? ううん。やっぱり何だかしっくりこない)
もっともらしい理由ではあるが、以前から度々仁王との話題にも上がっていた通り、余りにジョーカーが取る手段が遠回り過ぎるのだ。
もっと特別な理由がきっとあって、それさえ判明すれば、更に深くジョーカーに切り込むことが出来る。
(……駄目だ。そんなこと考えても、私一人じゃどうにも出来ない。今、私が出来ることをまずやってみよう)
唯は一旦それ以上推論を重ねるのを止めて、初めの方へ思考を巻き戻す。
国舘を含めたレギュラーを除外すれば、残るのは佐竹、鷹敷、浦山だけだ。だが、これも同様にイコールで括るわけにはいかない。むしろ、彼らの方が次に狙われる可能が高いだろう。
結局のところ、誰もがジョーカーである可能性は、どこまでもついて回るのだ。
「どうしたんですか? 無川部長。そんな険しい顔して」
心配そうに佐竹が唯に声をかけながら、自身の眉間辺りを指さした。
余程目につく顔をしていたのだろう。唯は慌てて表情を和らげる。
「私もちょっと寝不足かもしれないです。こういうの慣れてないからかな」
「あ、分かります。枕変わると眠れないってヤツ」
佐竹はそう笑って皿を並べていき、唯はその隣にコップを置こうとした。
次の瞬間、それは指先をすり抜け床へと吸い込まれていく。
割れて飛び散った破片に、彼が大丈夫ですかと声を弾ませる。
「大丈夫ですか。怪我してない? 俺片づけますから」
「ご、ごめんなさい。滑っちゃって。大丈夫です。私がやります」
思いのほか広がってしまった破片を拾おうと、伸ばした唯の手を佐竹が掴んで引き留める。
その少しばかり強い力に、彼女が驚いて顔を上げると、佐竹は普段彼女には見せない咎めるような目で見下ろしていた。
「だからそのまま触ったら危ないって。大事な手を切ったらどうするんですか」
そう言うと彼は手の力を抜き、テーブルナプキンを使って破片を集め始めた。
そんな佐竹の姿を見ながら、唯は唐突に佐竹が時折テニス部を敵視するような行動を取る本当の理由について、彼からいまだに聞いたためしがないと、そんなことを考えていた。