
アトリエはそこまでの広さはなく、画材道具や工具などが並べられた木製の棚と、小さな作業台だけで部屋の三分の一ほどが占められ、一見すると窮屈そうなイメージを抱かせた。
だが、部屋の狭さを差し引いたとしても、非常に魅力的なものが西側の壁にはあった。そこには、カーテンのない大きな嵌め殺しの窓だけが佇んでいる。
部屋に入って早々に、唯と佐竹の目はそこへと釘付けになった。二人の眼前には、その窓を通して幾重にも連なるなだらかな山の線が広がっている。
ちょうど雲が山並みの先端に浅く被さっており、それは幻想的な光景だった。
自然が作り上げる情景でありながら、見る者にまるで全てが計算され尽くしたかのような印象を与え、唯は思わず身体が震えた。
この不自然な部屋のレイアウトも頷ける。これは窓ではなく、絵画のフレームそのものであったのだ。
「いらっしゃい。蓮二くんから話は聞いているわ。あなたたちが無川さんと佐竹くんね? お出迎えを一弥くんにまかせちゃってごめんなさいね」
窓の近くにイーゼルを立てかけ油絵を描いていた女性が、音に気付いて振り返る。年は若く、二十代前半くらいに見えた。
続くように作業台で粘土を捏ねていた、こちらも女性と同じくらいの年頃の男性も、二人に向かって静かに頭を下げた。彼はどこか柳と似た雰囲気を纏っていた。
この二人が、唯たちが話に聞いていた柳の叔父夫婦なのだろう。
唯と佐竹はそれぞれ二人に挨拶をすると。勧められるまま作業台の近くにあった椅子に腰を下ろした。
「二人とも美術部なんですってね。少しの間にはなってしまうけど、ゆっくりしていって。この辺りは風景がとても綺麗だから、絵のモチーフには苦労しないわ」
叔母はそう笑いながら、コーヒーを注いだマグカップを二人の前に置いた。これらの家具も叔父が流木や端材で作ったものらしい。
「こちらこそお世話になります。こんな風景、俺、初めて見ました」
にわかに興奮した様子で佐竹が言えば、唯も大きく頷く。
「えぇ、この窓から朝焼けは見れないけど、夕暮れ時の山並みは本当に言葉に出来ないほどに綺麗よ。時間があったら是非見てみてね」
その時、ばたんと扉が開く音が響き渡った。
全員が振り返ると、そこにはマユが予想もしていなかった人物が立っていた。
「え? 藤ヶ谷さん?」
「鷹敷くんから二人がここに来たって聞いたから。わぁ、ホントに素敵な眺めね!」
藤ヶ谷ももれなく窓から臨む絶景に賞賛を送る。
この時初めて、唯は自身の同室の相手が彼女であったことを理解した。
聞けば藤ヶ谷は、テニス部と一緒にここへ早くに来たらしい。
彼女はどうやら唯と佐竹が合宿に参加することを予め知らされておらず、鷹敷から到着を聞き一足先にペンションへ戻ったのだ。
「じゃあ、私たちは仕事があるから、皆はここでゆっくりしていてね」
「あ、私たちも何か手伝います」
アトリエを出て行こうとする叔父夫婦に唯が慌てて腰を浮かせると、疲れているだろうからゆっくり休みなさいと叔父に言われてしまう。
結局二人の言葉に甘えることにした唯たちは、作業台を囲み談笑していた。
「藤ヶ谷先輩は、テニス部の取材ですか?」
「そうよ。こんな素敵なネタ、私が放っておくわけないじゃない。まぁ、今年は幸村くんの入院があったから、真田くんには最初すごく渋られちゃったど、その幸村くんがオッケー出してくれたからね。ところで、そっちはどうしてこの合宿に?」
「……招待?」
疑問を混ぜて佐竹は答えながら唯を見る。
藤ヶ谷が「招待?」とおうむ返しで首を捻る様子に、唯が簡単に経緯を説明すると彼女は納得したようだった。
「なるほどね。じゃあ、合宿中はついでに美術部の取材もしちゃおうかなぁ」
そんないかにも彼女らしい言葉に、唯と佐竹の間ににわかに緊張が走った。
「ほら、今年は美術部からまた受賞する人が出るのかなって。無川さんは去年のこともあるしね」
写真すら頑なに撮らせてくれなかったのよと、藤ヶ谷はむくれたような顔で付け足す。
「でも、この合宿中に美術部のことで書ける話なんてないと思います」
「あら、無川さん。そんなことはないわよ。結果はもうちょっと先だけど、もし受賞したってことになったら、今度こそテニス部と二大特集って形で大々的に紙面を組ませてもらうもの。二人ともここで絵を描くつもりでしょ?」
「えぇ、そのつもりですけど」
「なら、こっちとしても大歓迎。色々と良い画が必要になるし、撮れる時に撮らないで、後で後悔するのも嫌だしね」
藤ヶ谷が得意げにカメラを掲げる。
彼女が指していたのが、危惧していた内容ではなかったことに二人はほっと胸を撫で下ろした。
佐竹が選考を通ったという内容は、今のところ本人と城咲、そして唯しか知らない情報だったのだ。
「去年は無川さんに断られちゃったけど、今年はそうもいかないわよ」
そう言って藤ヶ谷は、にっと悪戯っぽく笑った。