
ミーティングが終わった後も、切原はその場から一向に動こうとしなかった。
そんな彼を横目に帰り支度を始めた者もいたが、柳生と国舘、そして鷹敷は集まって何やら話し込んでいる。どうやら今後の練習課題について早速打ち合わせをしている様子だった。
国舘は、自分の置かれた状況の全てをまだ咀嚼しきれていないようで、柳生と鷹敷のやり取りに対して口を挟まずにぼんやりと眺めている。
唯は、退室のタイミングを図るべく変わらず部屋の隅の方にいたのだが、やはり切原の様子が気がかりで、そっと寄っていくと声をかけた。
「切原くん」
「……」
彼女の予想通り、投げかけた言葉は彼に拾い上げられずに通り抜けていく。唯がもう一度声をかけるべきか迷っていると、ふいに切原は顔を上げた。視線の先は幸村に向けられている。
「……やっぱり、納得いかねぇ」
唯には目もくれずに切原はぼそりと呟くと、足元に置いていた鞄を掴み、扉のすぐ近くにいた丸井を押し退けて部室を飛び出していく。丸井の抗議の声にも、彼は一切振り返らなかった。
室内に残るレギュラーたちの顔を丸井はちらりと見回したが、小さく舌打ちをすると彼もまたジャッカルと共に切原を追うべく走り出した。
「無理言って唯さんにも来てもらったのに、ごめんね」
そう背後から声をかけられて唯が振り返れば、そこには幸村が立っていた。
彼女も切原や国舘同様に、一体どんな顔をして彼を見れば良いのか分からず迷っていたが、結局唯は困惑を滲ませた表情をするほかなかった。
仮にも、これまで試合に大きく貢献してきた仁王の、しかも切原によれば理由らしい理由も見つからない退部宣言に、幸村がこのような形で事態を収束を図るとは、唯は夢にも思っていなかったのだ。
「幸村くん。仁王くんは本当に退部になってしまうんですか?」
「そうだな。このまま部活にも来ないようであれば、いずれはね」
「でも……」
「唯さん。俺たちの部は、美術部とは違うんだ」
幸村のその言葉に、唯はどきりとした。
「個々の能力がある程度高いことは大前提だとしても、テニス部は一人じゃ勝つことは出来ないんだ。だからこそ、こんなことは他の部員にも示しがつかない。この意味、唯さんなら分かってくれると思うんだけれど」
勿論、彼には美術部に対して他意はないのだろう。だが事実として彼の表現の借りるとすれば、美術部は個人競技に他ならない。
テニス部において誰か一人の変調が、チーム全体に影響が出てしまう可能性は高いのだ。
彼はそれを鑑みた上で、最も最良かつ効率的な手段を部長として選択しようとしている。
それらの前提がある状態で“分かってもらえると思う”などと彼から釘を刺されてしまえば、唯はそれ以上何も返すことが出来なかった。そもそもそんな意見を言える立場でもないと、彼女は気恥ずかしさすら覚えていた。
結局唯は、やっとの思いで「失礼します」とだけ口にして幸村に頭を下げると、部室を逃げるように後にした。
「精市が、あんな物言いをするなど珍しいな」
唯が出て行ってすぐに、柳は幸村の側に歩み寄るなりそう呟く。同じく彼らの近くにやってきた真田は、特別何も口にはしなかったが、その眼光は柳と同じ疑問を抱いているということを物語っていた。
三人から少し離れたところで話を続けていた柳生たちには、どうやらこの唯と幸村のやりとりの詳細は聞こえていなかったらしい。
未だに彼らは熱心に打ち合わせていたが、やがて鷹敷が幸村の視線に気づいたのか、これから少しだけ柳生と国舘が打ち合いをしてから帰るということを説明した。
そして、鷹敷はコートの準備のため先に部室を出ていき、柳生と国舘はロッカールームへと姿を消していく。
この場には、立海の三強だけが残っていた。
「唯さんはそもそもテニス部じゃないからね。こういうことには慣れてないだろう。俺も少し言い過ぎたかなとは反省しているけど、間違ったことは一つも言っていないと思うよ」
「あぁ、確かにそれはそうだが、本当に仁王の件はどうするんだ?」
真田が、幸村の持つ仁王の退部届に視線を落とす。
幸村がこれを顧問に提出すれば、滞りなく彼の退部は受理されるのだろう。そしてまさに幸村は、それを実行に起こすべく意志を固めているのだ。
「この時期にオーダー変更をするのは、正直俺も弦一郎も賛同は出来かねる」
「蓮二の言いたいことも良く分かるよ。とりあえず、週末からの強化合宿で国舘の様子を見たいんだ。上手く行くと思う。彼なら充分仁王の分を補てん出来るよ」
「……本気なのか?」
「え? 弦一郎。どういう意味だい?」
眉間に皺を寄せた真田を見て、幸村は心底意外そうな表情を浮かべて柳へと視線を流す。
それを受け止めた彼は、やおらに目を開いた。
「そうか。精市が最終的にそう判断するなら仕方がない。だが、お前は今、一体何を考えているんだ?」
その問いに少しの間を置いて、幸村はきっぱりと答えた。
「ただ、立海の三連覇だよ」