カレイドスコーピオ

インビジブル

10.ワイルドカード / 2

「別に構わないんじゃないかな」

 彼のその一言が、室内の空気を凍りつかせる。
 は、自分がはたして今この場にいてもいいものなのかと思いながら、初めて足を踏み入れる部屋の片隅でそんな事の成り行きを見守っていた。
 彼は手の中にある一枚の書類を真田に渡すと、ぐるりと周囲を見渡す。幾人かの緊張を張り付けた顔と目が合ったが、彼は全く気にしていないようだった。
 当初の予定通り午前中に退院の手続きを済ませた幸村は、部活の終わり頃にやってきた。
 その姿を見たレギュラーたちはもちろんのこと、他の部員や夏休みに入ってからも変わらず取り巻くギャラリーたちは、揃ってみな歓迎の声を上げた。幸村の復帰は、それは待ち焦がれたものだったのだ。
 ギャラリーの中にひっそりと紛れ込んでいたと幸村の目が合ったのは偶然のことで、その時彼は軽く会釈をする程度だったのだが、その後、鷹敷を通して部活後のレギュラーミーティングにも参加するように伝えられた。
 なぜ自分が参加する必要があるのかと、この時はつい鷹敷に尋ねてしまっただったが、彼は眉を寄せて首を傾げるばかりだった。
 鷹敷と別れ、コート内の練習を眺めながら、はそうかと誰かに聞かれないように呟いた。
 その風景の中に、レギュラーとして本来いるべきはずの姿が欠けていたのだ。ミーティングの議題は彼のことなのだろう。
 そうして現在、この場には仁王を除いたレギュラーたちと総括マネージャーの鷹敷、準レギュラーの国舘、そしてがいた。
 レギュラーミーティングは、更衣室を兼ねたロッカールームのすぐ隣にある小部屋で行われる。出入りはロッカールーム側と廊下側と二か所から可能であり、着替える部員と鉢合わせしないよう配慮がされていた。そして、この部屋には美術準備室と同様に窓がなかった。

「仁王本人の意志なら仕方がないよ。それより、もう二週間しかないから色々と調整をしないとね」
「ちょっ、ちょっと待って下さいよ! 幸村部長はそれでいいんスか?」

 淡々と話を進める幸村に、一瞬あっけにとられていた切原だったが、すぐに焦りを混ぜた抗議の声を上げる。
 幸村だけではない。全員の視線が彼に向けられた。

「もちろん良くないよ。ダブルスも最初に予定していた蓮二と赤也に戻すことも考えなきゃならない」
「だから、そうじゃなくて!!」

 いよいよ切原が声を荒げた。
 さすがに一部のレギュラーたちも切原の話に同意する所があるのか、多少なりとも動揺を見せてはいるが、やはり相変わらず幸村を始めとした真田と柳、そして鷹敷の表情に変化はない。
 切原は感情をそのままに、幸村に一歩詰め寄る。

「仁王先輩は、確かに時々部活抜けたりするけど、だからってこんな大事な時に辞めたりするような無責任な人じゃないっス! そんなの皆だって分かってるはずだ。なのに、どうしてそんな平気な顔が出来るんスか?」
「……赤也の言いたいことはそれだけかい?」

 びくりと切原の肩が跳ね上がる。
 幸村の表情も声色も普段通りの穏やかなものだったが、切原は振り上げた言葉の行き先を失い顔を強張らせた。

「確かに、仁王にも特別な理由があるのかもしれない。だけど、俺たちは背水の陣で全国大会に臨まなきゃならない。もう、負けることは許されない。その意味が赤也はまだ分からないのかな?」

 幸村に微笑みながらそう言われてしまえば、切原は答えられずに項垂れるほかなかった。

「とにかく、早めに手を打たないといけないね。さっきはああ言ったけど、ダブルスを蓮二と赤也に戻すのは、一旦まず保留にしよう。国舘」
「え? は、はいっ」

 それまでと同様にレギュラーたちから少し離れたところに立っていた国舘は、突然、自身の名前を呼ばれたことにぎこちない表情で幸村を見た。

「国舘を準レギュラーからレギュラーに昇格しようと思うんだ。仁王の代わりに柳生と組んでみて欲しい」
「え? えっ? 俺が、ですか?」
「入院中に鷹敷からもらったデータを見ていて思ったんだけど、国舘はシングルスよりもダブルス向きかもしれない。どうかな?」

 思わぬ展開に、国舘は上手く返事を返せずに口をぱくぱくさせている。
 そんな彼を後押ししたのは鷹敷だった。

「国舘くんはここ最近の校内試合でも好成績を収めてますし、プレー自体も仁王くんみたいな奇抜さはないですが、ベースライナーですからサーブ&ボレーヤーの柳生くんとの相性も決して悪くはないと思います」
「じゃあ決まりだね。仁王の退部に関しては、正式に受理するかについてまだ結論を出すべきじゃないと考えている。だけど、練習にも出てこない以上は部長としてもこのまま看過出来ない。いずれにせよオーダーは変更する必要があるから、明日からは取り急ぎ鷹敷が組んだメニューで柳生と国舘は練習を始めて。それじゃ、今日はこれで終わりにしよう。お疲れ様」

 複雑な表情を浮かべて、国舘は切原の方に視線を寄せる。
 微妙に不穏な空気を残す形で幸村が告げたミーティングの終了の言葉の後も、切原はしばらく俯いたままだった。

2014/02/14 Up