カレイドスコーピオ

インビジブル

10.ワイルドカード / 1

(仁王くんがテニス部を辞める? そんなのありえない)

 切原の話を聞いた瞬間、は一番にそう思った。
 仁王は確かにこれまで何度か部活中に抜け出していたことはあるが、の知るところではそれのどれもジョーカーが絡んでおり、決して緩怠のためではない。第一、彼女が昨日仁王と電話で話した時もそんな様子は全く感じられなかった。

「そんな。仁王くん、辞める理由とか言ってたんですか?」
「いや。特には。本当にミーティングが終わって帰るって時に突然仁王先輩が真田副部長に退部届を渡して。皆慌てて呼び止めたりしたんだけど、そのままさっさと部室出て行っちまったんだ」

 タオルごと頭を切原が抱え込めば、ネロが彼のすぐ隣に飛び上がってくる。
 そのままその場に座り込んだ彼は、変わらず丸い目を切原に向けていた。

「もうすぐ全国大会だってのに、ダブルスどうすんだよ」
「仁王くんは柳生くんと組んでいるんですよね?」

 は関東大会での試合風景を思い出す。
 佐竹も立海におけるダブルスは、丸井・ジャッカル、仁王・柳生の二つがベストペアだと言っていたように、チームとしても非常に重きのあるポジションであるはずだ。
 幸村が退院するのは八月十六日で、全国大会は八月三十一と九月一日の二日間だ。全国大会までの練習期間は、実質二週間ほどしか残されていない。

「関東大会で一回やったペアだから、本当は仁王先輩はシングルスで、俺が柳先輩とダブルスの予定だったんだ。けど、先週、仁王先輩がやっぱり柳生先輩ともう一回ダブルスがやりたいって言い出して変更になってさ。なんだって急に辞めるなんて言い出すんだよ。そんなの今まで一言も言ったことなかったのに」
「私も仁王くんとは昨日電話で話しましたけど、毎日練習が大変だって感じのことは言ってましたが、テニス部を辞めるなんて雰囲気はありませんでした。きっと、何か事情があるんじゃないんでしょうか」
「事情って言っても。そんなの思い当たるのは……」

 そこで互いに口を噤んだ。
 二人の視線が絡む。互いにゆっくりと頷き合えば、それだけで十分だった。

「でも、仁王先輩は、全国大会が終わってから本格的にジョーカーを探すって言ってたんだ。柳先輩ももしかしたら急ぐ理由が出来たんじゃないかって言ってたんだけど、確かめようにも肝心の仁王先輩にメールも電話も繋がんねぇし、家に行った柳生先輩からは、まだ家に帰ってないってメールがさっき来たし。無川先輩こそ何か聞いてないんスか?」

 縋るような目を切原から向けられ、は眉を下げてゆっくりと首を横に振る。
 もし仁王が事情を打ち明けるとしたら、それは自分ではなくレギュラーたちだろうというのがの見解だった。彼らの間にある信頼と呼ぶに値する類のものは、少なくともよりも、彼らの方がずっと鮮明に見えているはずだ。
 の返答を聞いて、切原は益々気落ちしたように視線を落とした。
 そこで再びネロと目が合う。全く変わらない形がそこにあって、切原は思わず彼の頭に手を伸ばした。
 その瞬間、があっと短い声を上げる。

「うっわ!」
「大丈夫!? 切原くん!」

 伸ばした切原の手の平が、咄嗟に何もない宙を切る。
 ネロの素早い爪先があわや手に立てられるという寸前で、それを何とかかわした切原が目を白黒させていると、ネロの満月が欠けた。ぴんと崛起した耳が、彼が酷く警戒しているということを告げている。
 が窘める言葉をかければ、ネロは一つ抗議の鳴き声を上げて部屋を飛び出していった。

「ごめんなさい。家族以外に撫でられるのが苦手な子だから、お客さんが来てもあまり近くに寄ったりしないんだけど、珍しく切原くんには自分から行ったから安心してました。怪我してないですか?」
「大丈夫っス。あーびっくりしたー」

 握り締めた手の平を開きながら大きく一息をついた切原は、少しの間確かめるようにもう片方の指先でそこをなぞった。やがて、彼は微かな笑い声ともため息ともつかないものを吐き出す。

「やっぱりどこか怪我でもしたんじゃ」
「違うっス。てっきり無川先輩には何か言ってるのかと思った。やっぱり仁王先輩は、誰のことも信用していないんだなって思って」
「仁王くんは、テニス部の皆さんのこと本当に大事にしてるって思います。もし何かあったのだとすれば、大事だからこそこんな時期に誰かを巻き込みたくないって考えてるんじゃないでしょうか」
「そうかな。そうだと、良いけど……」

 うん、きっとそうだよなと、切原は釈然としない感情を抑えるために繰り返す。
 明日、幸村は退院してすぐにテニス部に顔を出すと聞いている。
 テニス部にとっても、仁王がこの時期に抜けることのデメリットは重々承知のはずだ。幸村がテニス部に復帰すれば、きっとこの件に関しては何とか良い方向へまとめてくれるだろう。
 落ち込む切原を励ましながら、はそんなことを考えていた。

2014/02/12 Up