
唯がキャラメルの箱を翔太に手渡せば、事情を聞いた彼は長いことそれを眺めていた。
「俺が実に渡したやつか分かんない。だけど、これ貰って良い?」
「はい。でも一応中身は食べちゃ駄目だと思います。私の方で捨てておきましょうか?」
「ううん。大丈夫。自分でやる」
そう言って翔太は鞄へとキャラメルの箱をしまう。
現段階で唯たちが実と直接会うことは叶っていない。時間はまだ大分余裕があったものの三人は相談した結果、結局解散の運びとなった。
そうして翔太とは別れ、ジャッカルと近くの駅まで歩いている時だった。
「結局、実か分かんねぇが、幸村の病室で何を探していたんだろうな。無川。俺たちが抜けた時、あいつと色々話したんだろ?」
彼は携帯電話のストラップを先程から指先で転がしている。
この薄緑色のビー玉が、実あるいは真から貰ったものだと唯が聞いたのはつい先程だ。
「えぇ。でも幸村くんも心当たりがないようですし、分かりませんね」
今の幸村から必要とするものなどあるのだろうかと、ふと唯は考えた。
彼自身も言っていたように、病院に持ってきている私物などたかが知れている。もし、幸村の持つ“何か”が目的なら、彼が不在の内に自宅へと狙いを定めるはずではないのか。
そして、もう一つ。彼の発言の中で良く分からないことがある。
「無川?」
ジャッカルに呼びかけられて、彼女ははっと顔を上げた。
「あ、いえ。ジャッカルくん。クラムボンの正体って何だと思いますか?」
言ってから唯は発言を否定するように軽く首を横に振った。
ジャッカルは驚きに目を見開く。
「無川まで一体どうしたんだ?」
「さっき幸村くんが、“分かってるつもりだったけど、分からなくなった”って言ってて。私も考えてみたんですけど、さっぱり分からないんです。ジャッカルくんは宮沢賢治が好きだから、何となく分かってるのかなって思って」
「買いかぶり過ぎだって。俺だってホントに分かんねぇよ」
ジャッカルは苦笑を漏らしながら携帯電話をポケットにしまった。
その刹那、光を孕んだビー玉が唯の視線の端で煌いた。
二十一時を回ると、アナウンスと共に全病室は消灯時間を迎える。
室内が暗闇に包まれると同時に、幸村はベッドサイドにあるライトへと手を伸ばすのが習慣となっていた。
消灯後も一時間程度は寝付けない。それまでの間、彼はこうして本を読むことにしている。
明日の退院に備え、既にある程度の荷物はまとめ終えていたが、最後の夜のためにと幸村は本を一冊だけ出したままにしておいた。それは、普段彼が好んでいる作家とは異なる作品だった。
「……そんなところにいないで、もう少しこっちに来たらどうかな?」
本のページを捲りながら、幸村が視線は向けずに暗闇に向かって声を投げる。すると彼の近くに気配が近づいてきた。
オレンジを帯びたランプの光に照らされて、じわりと浮かびあがったのは、変わらず入院着に身を包んだその姿だった。
幸村はさして驚きもせずまた本を読む手もすぐには止めなかったが、丁度区切り良く章が終わったのか、ブックマーカーを挟むとオーバーテーブルの上に本を置いた。
ゆっくりと幸村の視線が彼へと向けられる。
「幸村お兄ちゃんは、実が死んじゃったこと、とっくに知ってたんだね」
「うん。お父さんが教えてくれたよ。それに、君のことも」
そっかと呟いて彼は幸村から視線を剥がすと、胸元のポケットにさしていたブックマーカーを手に取った。
垂れ下がったブルートパーズのチャームが不規則に揺れている。幸村もそれを眺めていた。
「そんな話をするために、真くんはここに来たんじゃないよね?」
うんと表情一つ変えずに真は頷く。
「真くんは、ここで何を探していたんだい?」
「“あれ”がどうしても必要なんだって。本当はもっと早く持っていかなきゃって思ってたけど、間に合わなかった」
「へぇ。真くんにこんなことをお願いした人は誰なのかな?」
「……言えない」
真は唇を噛んで俯いた。
幸村はそっと手を伸ばすと、彼の頭をゆっくりと撫でる。
「ごめんね。渡すことは出来ないよ。それにどう使うつもりか知らないけど、俺は君にこんなことをさせる人に“これ”を渡すわけにはいかないんだ。真くんだけじゃない。誰にも渡せない。だけど、あの本は君にあげる。大切にしてくれると嬉しいな」
「皆に黙ってたのはどうして?」
真の下げた右手の先には、文庫本が握られている。
幸村の認識する限り、真によって部屋が荒らされたあとこの病室から唯一姿を消したものだった。
「俺には、もう必要なくなったからだと思う。いや、必要だけど、今一番必要なものが変わったのかもしれないな」
「僕は……」
「うん」
俯いていた真が、ふいに顔を上げる。
以前に幸村が見た、少年には分相応の表情を浮かべる真の姿がそこにはあった。
「僕はあの人との約束があるから、よだかにならなくちゃいけない。だけど、幸村お兄ちゃんは違う」
「うん」
幸村が微笑を浮かべると、真は悲しそうに目を伏せ押し黙った。
「幸村お兄ちゃんには、クラムボンにはなって欲しくない」
その言葉を最後に、彼の姿はオレンジの夜の光の中に溶けていった。