
病室に唯たちが訪れた時、二人とも室内に入ってすぐに奇妙な違和感を覚えた。
両手に数冊の本を抱えて幸村はベッドサイドに立っており、その傍らには翔太もいる。
退院の荷造りでもしていたのだろうか、ベッドのオーバーテーブルの上は、これまでキャビネットに収まっていた本や日用品が所狭しと並んでいた。
幸村は唯たちの姿を見つけるなり、一瞬険しい表情を浮かべた。
そのまま本をオーバーテーブルの上に置くと、ジャッカルの近くへ歩み寄る。そうして声を抑えるようにして話し始めた。
「俺がリハビリ室から戻ったら、部屋の中が荒らされてたんだ」
驚きに目を見開いた彼を見て幸村がふっと笑う。
「翔太は俺とリハビリ室でずっと一緒だったからこの病室には誰も居なかったし、そもそもちゃんと鍵もかけていたんだ。もちろん戻って来た時にも鍵はかかっていたんだけど、開けて入ったら酷い状態だったよ」
「何だよそれ。幸村。何かなくなったりしているものとかなかったのか?」
「うん。一通り確認してみたけど、貴重品とかは大丈夫だったよ。だけど、看護師の人に大事にはしないで欲しいって話をつけるのは、ちょっと大変だったかな」
そう言って彼は肩を竦めてみせる。
それから少し考えるような仕草をすると、優しい笑みを浮かべて口を開いた。
「ジャッカル。薬を飲む時の水を切らしちゃったんだ。悪いんだけど、ちょっと頼まれてくれないかな?」
「え? あ、あぁ」
「唯さん。借りていた本のことなんだけど」
ちらりと幸村がジャッカルへと視線だけを動かした。
それだけで彼の意図を察したのか、ジャッカルが遠巻きに様子を見ていた翔太に声をかける。
「翔太、お前も手伝え」
手招きするジャッカルに、翔太は特に疑問も持たずに頷いて本を置くと、彼と連れ立って病室を出ていく。
後には唯と幸村だけが残された。
ふいに彼がベッドの側に寄る。そのまま枕の辺りに手を差し入れると、何かを取り出して彼女の元へと戻ってきた。
「こんなものが、ベッドのところに置いてあったんだ」
そして幸村が差し出したものを見た瞬間、唯は思わずあっと言葉を漏らした。
見覚えのあるそれは、翔太が実にあげたキャラメルの箱だった。ただ違っていたのは、外装フィルムは既に剥がされ開封済みだったことだ。
「わざと頭のところのマットレスとフレームの間に隠すようにしてね。唯さんは、何か心当たりがあるのかな?」
「翔太くんが、実くんに初めて会った時にあげたのと同じだったんでびっくりして。でも、コンビニでもどこでも売ってるものですし、たまたまだとは思いますけど……」
いくらなんでもこんなことまで実に繋げるのは安直すぎると思う一方、鍵のかかっていた室内が何者かによって荒らされていたという話に、胸がざわつくのを唯は感じていた。
「あの、なくなったものは何もないんですか?」
「うん。本当に大事なものは何一つ。そもそも病院に俺も大したものを持ってきてはなかったからね。だから逆に不思議なんだけど」
沈黙が流れた。
ややあって切り出したのは幸村だった。
「唯さんは、クラムボンの正体って一体何だと思う?」
思ってもみない質問に面食らった唯は、ニ、三度瞬きをして幸村を見つめる。
「クラムボンって、宮沢賢治のお話に出てくる良く分からないものですよね。どうしたんですか? 急に」
宮沢賢治と言えば、実とジャッカルが好んで読んでいるものだというのは今更の話だが、彼がなぜ唐突にこんな話を始めたのか彼女は疑問に思った。
幸村は、キャラメルの箱をじっと見つめて続ける。
「あれからずっと考えていて、自分では分かっていたつもりだったんだ。でも、今は全く分からなくなった。クラムボンって一体何なんだろうって」
そう言って彼は短く息を吐いた。今までにないくらい、酷く憂鬱そうなため息だった。
唯は答えられないまま、そんな幸村を眺めているしかない。
「ジョーカーは、俺たちに何をしようとしているんだろうね」
幸村の視線が今度は唯へと注がれる。
懇願にも似た響きに反して、彼の炎はただ静かに燃えている。
「……私にも、きっと仁王くんにも、まだそれは分からないと思います」
唯が漠然と浮かんだ答えを返せば、そうだねと、少し気分が楽になったような顔で幸村は笑った。
「仁王が俺のところに来ないってことは、今は心配しなくても大丈夫ってことなのかな? あぁそうだ。これ、唯さんから翔太に確認してくれないかな。多分、その方が良いと思うんだ」
彼が差し出したキャラメルの箱を唯は頷いて受け取る。
一旦鞄にそれを入れかけた手が止まった。やまなしの話の輪郭が、彼女の頭に泡のように浮かんでは流れていく。
幸村は変わらず淡く微笑んでいた。
「一つだけ、聞いても良いですか?」
「何だい?」
「幸村くんは、その、実くんの病気について、もしかして知ってましたか?」
表情を変えないまま、幸村はただ真っ直ぐに唯を見据えて答えた。
「うん。全部知ってたよ」