
既にバスを降りてから十分ほど歩いていたが、その間にある程度の緊張がほぐれてきたのか、唯もジャッカルも普段と変わらずに話が出来るようになっていた。
既に昼近くになっているのもあってか、日曜の住宅街はどこからか子供の笑い声が聞こえてきて、普段よりもずっと色づいている。もしかしたら近くに公園があるのかもしれない。
地図を頼りに順調に進んでいた二人だが、いざ目的地が近づいてくると、自然とその足取りは鈍重なものになっていき、いよいよ家の前まで迫った頃には、唯は自身の足にまるで見えない鎖が絡みつきそれを引き摺っているような錯覚に陥っていた。
そして、二人が実の家の扉に貼られていたものを見た瞬間、いよいよ完全にその足は止まってしまった。
「ジャッカルくん……ここが……」
「……だろうな」
『忌中』
その二文字が、重く二人を締め付ける。
家人のいる気配はあるものの実際にそれを確かめることなど出来るはずもなく、二人は実の家が見えなくなるまで来た道を逃げるように戻った。
唯もジャッカルも初めから相応の覚悟はしていはずだが、こうして目の前に突き付けられるとそれはいとも容易く崩れていくものだ。
様々なことが唯の頭の中でわき上がり、行き場所を探して駆け巡る。思慮の奔流に浸っていたせいか、すぐ近くに立ち話をしている主婦らしい二人組がいたことに気付くまで、ほんの少しの時間がかかった。
そして、その会話がごく当たり前のように彼女の耳の中へと飛び込んでくる。
「それにしても本当に可哀想よね。まだ小さいのに」
「お父さん、熱心に看病してたみたいだものねぇ」
「それだけじゃないわよ。なんだって実くんの所は……」
そこでぴたりと会話が止まった。
唯が視線だけを向けると、二人は気まずそうに唯たちの、厳密に言えば彼女の隣の方を見ており、一体なぜかと彼女が視線の先を辿ってみれば、ジャッカルが真っ直ぐにその主婦たちに視線を向けているためだと理解した。
ジャッカルは、そのままつかつかとその主婦の側へと歩み寄ると、深刻な表情を崩さないまま口を開いた。
「実くん、亡くなったんですね」
突然そう切り出されて、主婦は互いに顔を見合わせる。
一体彼は何を聞くつもりなのかと唯がはらはらしていると、ジャッカルは続けざまに重ねた。
「俺、入院していた草薙実くんの友達なんです」
「あ、あら、そうなの? 西条さんの」
「西条?」
ジャッカルが首を傾げてみせれば、主婦の一人が酷く焦った声を漏らした。その瞬間に彼の目論見を理解した唯は、彼と同じような目を二人に向ける。
彼女たちは互いに顔を見合わせ、苦笑を漏らしたかと思うと言葉を濁した。そこで>有耶無耶な雰囲気にさせまいと、ジャッカルが畳みかける。
「すみません。西条って何のことですか? あの、草薙じゃないんですか?」
「え、まぁ、それは……ねぇ?」
益々歯切れの悪くなった彼女は、隣に助けを乞うように視線を泳がせる。明らかに事情を知っている素振りに、ジャッカルは態度を軟化させることなく見つめていた。
その様子に諦めたのか、彼女はやがて声を潜めて二人を手招きした。
「西条さんのところは、ねぇ。その……お父さんしかいないのよ。ほら、人様のお家のことはとやかく言っちゃ悪いけど、一番可哀想なのはやっぱり実くんだからねぇ――」
先程の態度とは一転し、どこか嬉々として吐き出される彼女の言葉をジャッカルも唯も静かに聞いていた。
「何だかな。俺たちが聞いても良い話だったのかな」
後方の長席で、彼は行きと同様に窓の外を見つめながらそう呟いた。
バスには唯とジャッカルしか乗客はおらず、がらんとした車内には、時折歪んだアスファルトを車輪が叩く不安定な音と振動が響き渡っている。
バスの動きに合わせて一様に揺れる吊り革を何となしに唯は見上げてから窓の外に移せば、ぽつりと一滴の雨が窓を静かに叩いた。
「実くんのご両親、離婚していたんですね」
「西条は父親の姓らしいから、いわゆる婿養子ってやつか」
ジャッカルが封筒から一枚の写真を取り出す。これは先程別れ際に主婦の一人から貰ったものだ。
「とりあえず、そろそろリハビリも終わってる頃だろうし、幸村のところに行こうぜ」
「そうですね……正直まだ気になることはいくつかありますけど、それはもう私たちの力では調べようがありませんから」
「あぁ」
写真に視線を落としたまま、彼は零れ落ちる雨のように言葉を紡ぐ。
「……あいつは、実じゃなかったってことなんだな」
それからバスを降りたところで、ジャッカルが携帯電話を確認する。特に翔太からの異変を告げる内容のメールは来ていないようだったが、彼はそのまま電話をかけ始めた。どうやら相手は翔太らしい。
長いことコール音が響いた後に電話が繋がり、ジャッカルが翔太の名前を呼ぶ。
ところが、一瞬間があってから響いてきたのは幸村の落ち着いた声だった。
「ジャッカルかい? 悪いんだけど、ちょっと急いでこっちに来てくれないかな」