カレイドスコーピオ

インビジブル

09.関東大会 / 24

「お前さんは、夏休みでも相変わらず美術室かここにいるのう」

 予想もしてなかった良く知った声が背後から響き、は視線を上げた。

「あれ? 仁王くん。今って練習中なんじゃ……」
「休憩中じゃ。ここはクーラーが効いとるから助かるぜよ」

 読んでいた本を棚に戻しながら、仁王らしいと彼女が笑えば、彼は本棚を背にその場にずるずると床へ座り込む。
 確かに、図書室内は肌寒いと感じるほどに隅々まで冷気が行き渡っている。
 普段であれば、この環境を目当てにする生徒の姿も多くあるのだが、なぜかの姿しかない。本日はここ数年ぶりに最高気温を更新するほどの真夏日だった。いくらここが居心地良い環境に仕上げられていたとしても、辿り着くまでの労力を考えれば、今日は大人しく自宅に引きこもっている方が得策とも言えるだろう。
 こんな炎天下の下で行う部活動は、相当身体に堪えるはずだ。現にまだ仁王の顔から首筋にかけて、じっとりと汗が滲んでいる。彼がここまで汗をかいているのは珍しいと、仁王がジャージの裾で汗を拭う様子を見ながら、は自分が図書室に来た時よりももう随分と外は気温が上がっているのだろうと理解した。
 更に珍しいものを見たと思ったのが、彼の頬の辺りが僅かに膨らんでいたことだった。飴か何かを頬張っているのかと思案を巡らせていたところで、視線に気づいた仁王からぽんと何かが飛んできた。飴だ。若干溶けて表面が柔らかくなっているそれは、歪んだ形でフィルムに張り付いている。塩飴。ペットボトルのスポーツドリンクを口にしながら、彼は一言そう付け加えた。

「図書委員に見つかったら怒られますよ」
「そいつと入れ違いじゃ。飯食いに行くって言っとったから、しばらくは問題ないはずぜよ。室内でも熱中症には気を付けんしゃい」

 ジャージの胸元をはためかせクーラーの冷気を取り込みながら仁王は答えた。
 彼に促されるままはフィルムの端を引く。やはり溶けた飴のせいで剥がしにくかったが、何とか口へと放り込めば、塩気のある甘味が口内に広がっていく。
 こうして仁王と直接話をするのは久しぶりだった。もし仮に彼がとの接触を拒むなら、そもそもこうして声をかけてくること自体ないはずだ。だが、現にこうして彼は彼女の前から一向に動く素振りを見せない。恐らく部活再開までここで涼んでいくつもりなのだろう。
 ならば、ある程度が踏み込んだ話をしたとしても、嫌な顔はされても聞く耳くらいは立ててくれるはずだ。

「仁王くん、幸村くんのお見舞い全然行ってないって聞きましたけど、大丈夫なんですか?」
「その分、ジャッカルが頻繁に顔出しとるから問題ないじゃろう。それに今は顔を見せん方が良い」

 彼らの信頼関係は時間をかけて築かれているものだ。仁王にそう返されてしまえば追従することも出来ず、は本棚へと視線を戻して気になった本を引き出した。

「宮沢賢治なんて、無川までジャッカルの真似事か」
「まで?」
「丸井もこの前探しとった。そっちは翔太のためとか言っとったかのう。まぁ、実際は、実だかと言う子供のためか。ところで、実際のところ無川からみてどうなんじゃ。その子供は?」

 仁王の物言いがやけに引っかかり、はまじまじと仁王を見下ろした。
 そんな聞き方はまるで。

「それは、実くんが、ジョーカーと何か関連があるんじゃないかって意味ですか?」
「だから、“無川から視てどうなんだ”と聞いとるぜよ」
「ごくごく普通の子ですよ。魂魄炎もちゃんとあります。気になるところなんて何も」
「そうか。無川がそうみたならそうなんじゃろうな。俺が首を突っ込む話じゃない。お前に全部任せるぜよ。それよりも――」
「それよりも?」

 は釈然としない気持ちが拭いきれなかったものの、今度は仁王の視線の先が本の群れに向けられていることに気付きそのあとを追った。
 彼は少し考え込むように目を細め、ややあってから口を開く。

「最近、小さい頃に読んだ本をもう一度読みたくてたまらない」
「え? ほ、本?」
「けど、肝心のタイトルを忘れてしまってのう。勿論、話の中身とタイトルの意味は通じとるはずなんじゃが、聞き慣れない言葉だったような気がする。無川は本を読む方か?」
「そこそこですかね」
「こんな話は知らんかのう。旧家で主人が死んで、周辺の人間が互いに腹の探り合いを入れとる。だが、皆それぞれに他人に知られたくない一面があって、それがバレないように必死に隠しとる。すごく怖い話だった気がするんじゃ。あーでも、こうして口にしてみるとありふれた三流ミステリー物か。記憶のせいか誇張して覚えてるのかもしれんのう。本当に怖かったのか、もう一度確かめたい」
「それだけだと、さすがにちょっと分からないですね」
「じゃろうなぁ……」

 そう言って窓の外へと視線を向けた仁王は、どこかずっと遠くを見つめているような目をしている。
 は、仁王が本当に自分に話したかったのはこんな話ではないと思えてならなかったが、答えは見つからない。せめて、彼の見つめるもの自分も見てみたいと思いながら、同じように窓の外を眺めていた。

2013/08/25 Up