カレイドスコーピオ

インビジブル

09.関東大会 / 20

「あれ。実しかいないのか? 幸村はどこいったんだ?」

 幸村の病室に入ってすぐに、ベッドの影に隠れるようにして身を潜めていた実を見つけたジャッカルは、彼にそう尋ねた。

「多分リハビリだと思う。ジャッカルお兄ちゃん、ずっと病院に来なかったね」
「あぁ、夏休みに入ってからも部活がどうしても忙しくてな。今日は雨のおかげで午後からだから来たんだ」

 肩に乗ったままの水滴を軽く手で払うと、ジャッカルはベッドを挟んで実の向かい側へとパイプ椅子を広げて座った。
 そして、今まで実が読んでいたであろう本がオーバーテーブルに置かれていることに気付いて目を細める。

「本当に実は宮沢賢治が好きなんだな」
「好きなお話は、何度読んでも面白いよ。幸村お兄ちゃんも言ってた」
「だな。俺もそれは同感だ。クラムボンの正体は分かったか?」
「んー、分かりそうだけど、まだ、分かんない」
「はは。そっか」

 この宮沢賢治の本は元々実が持っていたものだ。ジャッカルが指先を伸ばしてページを捲れば、他の本と違って所々に赤線が引かれていることに気が付いた。

「この線、どうしたんだ?」
「それね、読めなかったり、気になったところに引いたんだ。後で調べてるの」
「そういうことか。熱心だな」
「幸村お兄ちゃんもやってるよ」

 へぇと意外そうな顔を浮かべたジャッカルの前に、突然実が小さな布袋を差し出した。
 手の平に収まるほどのそれを咄嗟に受け取ったものの彼は首を傾げる。

「開けてみて」
「ビー玉か。あれか、フライパンで煎って作るやつ。俺もやったなー失敗すると水に入れた瞬間に粉々に割れちまうんだよな」
「うん。僕が作ったの。一番上手く出来たのあげる」
「サンキュ。大事にするよ」

 ジャッカルが指先に硝子玉を挟んで光に透かしながら礼を言えば、実は笑って本をジャッカルにも見えるように広げた。
 彼が視線を落とすと、そこには一羽の鳥の挿絵が描かれていた。空を飛んでいる場面だが、鳥はまるで真上に向かっていくような姿勢で空を切っている。

「よだかの星か。この絵、最後のほうのシーンみたいだな。なぁ実、知ってるか? よだかの星のモデルじゃないかって言われてる星」
「ううん。知らない」
「ティコの星って言うんだ。カシオペア座にある超新星って言われる星の一つで、あ、超新星って言うのはな。星にもそれぞれ寿命があって、それが終わる時に起きる爆発のことなんだ」
「え、じゃあ、よだかの星はもうないの?」
「あぁ、人の目では勿論見えないし、今は残骸が星雲としてあるくらいなんだ。ちょっと待ってろ」

 そう言ってジャッカルが携帯電話を取り出し、何やら操作を始めると画面を実に見せる。そこには、まるで花火のように波紋状の光を宿したティコの星が写っていた。
 それをじっと眺めていた実は悲しそうに呟く。

「よだかが可哀想。結局、よだかの居場所はもうどこにもないじゃん」
「そうかな。俺は十分よだかはすごいと思ってるぜ。何かが星になるって話ならギリシャ神話辺りが有名だけど、大抵神様の気まぐれで簡単に星にされちまったりするんだが、よだかは、誰になんて言われたって自分で空を上って最後は星になったんだ。自分で自分の居場所をちゃんと見つけて星にもなったんだぜ。これってすげぇよ。それに、ティコの星だってばらばらにはなったけど、“今でもまだ燃えている”んだ」

 いまだに浮かない顔をしている実に、ジャッカルは携帯電話を彼へ手渡すと本を引き寄せた。
 この宮沢賢治全集には、思いのほか挿絵が豊富なようで、彼はページをよだかの星のタイトルまで戻すと、初めから捲っていく。
 やがて、あるページで彼の手が止まった。そこには、よだかを中心に数羽の鳥たちが取り囲んでいる絵が描かれていた。よだかは項垂れ、周囲の鳥は、毛を逆立て中には今にもよだかに飛びかからんとしているものまでいる。明らかによだかを叱責している図だ。
 よく見れば、細かい羽毛の中に紛れるようにして、よだかの目じり辺りに涙が浮かんでいる。

「俺さ。ブラジル人と日本人のハーフなんだけど、生まれた時から日本住んでて、実はブラジルなんて数えるくらいしか行ったことないんだ」

 突然そんなことを話し始めたジャッカルに、実は顔を上げてまじまじと彼を見た。

「でも、そんなの初めて会うヤツに分かる訳ねぇじゃん。だから、見た目で良く勘違いされてさ。ガキの頃なんてそれで結構嫌な思いもしたんだ。でも、やっぱり中にはちゃんと俺の味方になってくれる奴もいてさ。よだかだってそうだ。ちゃんと味方がいる。独りなんかじゃない」

 実はいつの間にか栞を取り出しており、揺れ動くチャームを指先で弾いて遊んでいる。
 その様子を見たジャッカルは、思わず話す口を止めた。
 ふと、実が再び顔を上げた。指先から零れたブルートパーズが蛍光灯の光を借りて煌く。

「……うん。違うって本当は分かってた」
「ん?」
「このお話の中で、一番可哀想なのは、よだかじゃない。お兄さんのよだかがこんなに遠くに行っちゃって、これからずっと寂しい思いをするのはカワセミだ。可哀想なのは、弟のカワセミなんだ」
「実……?」

 ぱたんと実の手が本を閉じる。それから大事そうに胸に抱きかかえた。
 ジャッカルはそんな彼から視線を外し窓の外を見る。どうやら朝から降り続いていた雨は既に止んだようだった。

「なぁ、実。俺と一緒に幸村のリハビリ見に行くか?」
「え、でも」
「ちゃんと看護師さんに許可貰って、こっそりじゃなくちゃんと見に行こう」
「……うん」

 実が頷くのと同時に響いたノックの音に、実の肩がびくりと跳ねる。咄嗟にキャビネットに隠れようとする実を手伝いながらジャッカルが返事をすれば、扉の先からが顔を覗かせた。その隣には翔太の姿もあった。

「あぁ、何だ。無川と翔太か」

 ほっとしたような顔をする二人に、と翔太は顔を見合わせて首を捻った。

2013/08/04 Up