
全ての庶務を終え、学級日誌を担任の大塚に届けるという最後の仕事に取り掛かった丸井は、この後、一緒に部室へ行く予定の仁王と共に職員室へと向かっていた。そして、目的地に近づいた時に珍しい光景に出くわすことになる。
「城咲先生。それ、一体どうしたんですか?」
目を丸くする丸井の前には、城咲の背丈ほどまで重ねられた複数の段ボール箱が置いてあった。
二人に声をかけられた城咲は、少し困った表情を浮かべて事情を説明し始めた。
「全部、授業に使う備品なんですが、僕が思っていたよりも発注が多かったみたいで。今から美術室に運ぶところなんですが、どうしようかと思って」
「これ全部っすか!? 城咲先生一人じゃきつくねぇ? あ、そうだ。俺ら手伝いますよ」
「それはとても助かりますが、でも、今からお二人とも部活では。大丈夫ですか?」
「事情話せば多分大丈夫です。な、仁王も良いだろ?」
仁王も特に異を唱えず頷けば、丸井は大塚先生に日誌出してくると言って職員室内に入っていき、すぐに二人のもとへと戻ってきた。
「本当に助かります。僕からもテニス部の顧問の先生にお会いした時は事情を説明しますので」
「じゃあ、俺、こっちから運びます。そっちのはお前持てよ」
「分かった」
城咲の話によると、中身は塗料缶など、単品でもそこそこの重さがあるらしく、二人はその中でも特に重量そうなものを優先に選び始めたが、さすが運動部で普段から基礎体力を高めているだけあって、階段をものともせずに美術室まで軽々と運んでいく。
数回の往復ののち、ひとまず全ての段ボール箱を美術室内まで移動させたあと、再び丸井は城咲に尋ねた。
「とりあえず全部運んだけど、これ、次はどこに動かせば良いですか?」
「準備室のスチール棚の一番下にしまう予定なので、取り急ぎその近くに置いてもらえますか」
彼に言われるまま、段ボール箱を一つ抱えて準備室へと丸井は足を踏み入れる。
器用に片手を使って照明のスイッチを入れれば、蛍光灯が瞬き、室内が軽くフラッシュする。ほんの一瞬、丸井が酷く緊張した表情を浮かべていたことに仁王も気づいていたが、明滅が落ち着いたあと彼の表情がいつもと変わらない状態に戻っていたためか、仁王は特別その話題には触れなかった。
城咲が指定したスチール棚は、扉を入ってすぐの場所に設えてある。以前ここで確認したカッターナイフが保管されていた工具箱は、変わらず同じ場所に置いてあった。
スチール棚の一番下の段は、他の段に比べて随分と空いていた。思い起こせば、あの事件の頃からこんな感じだったのかもしれない。
ここかと呟いて丸井が段ボール箱を近くの床へと置く。続いて仁王がその隣に並べるように自分の運んだ段ボール箱を下ろした時だった。
中腰の姿勢になった彼の視界の隅に、何かかがふと映り込んだ。
屈んで視界を一段下げたことで、初めて存在に気づいたそれが妙に気になり、彼はスチール棚の一番下に元々あった段ボール箱の陰を覗き込む。そして、隠れるようにして置いてあったそれに向かって手を伸ばした。
彼の手が掴んだものは、炭酸飲料水の入ったペットボトルだった。封はまだ切られていない。おもむろに仁王の親指がキャップとボトルの表面を拭うように這う。
これが置かれていた場所は、日頃からあまり物の移動がなかったせいか、置かれていた段ボール箱も露出したスチール棚の表面にも、うっすらと埃がまぶしてあった。だが、今、仁王の手の中にあるペットボトルにはそれが殆ど見られない。
これは、明らかに最近になって置かれたもののようだった。
「あ、それ。そんなとこにあったんだ」
丸井が横から覗き込み、そんな言葉を口にすれば、仁王の眉がぴくりと動く。
「丸井。これ、もしかしてお前さんのなのか?」
「多分。そこに置いた覚えはないけど、それ滅茶苦茶甘いからあんまり人気ないみたいで、滅多に売れないって自販機メンテしてた人が言ってた。喉乾いたしちょうど良いや。誰も開けてないみたいだし、それくれ」
そう言ってペットボトルに伸ばされた丸井の手を遮り、仁王は口早に続ける。
「丸井のとは限らんじゃろう」
「まーなー。でもあの時の騒ぎのあと、結局、一本しか見つかんなかったし。もうとっくに、どっかにいったとばかり思ってた」
丸井の口にする“あの騒ぎ”とは、あの唯の絵が裂かれた件のことを指しているのは明白だった。
それよりも仁王は驚いた様子で丸井へと向き直る。
「丸井、どういうことじゃ?」
「うわっ、びっくりした。どういうことって、何がだよ?」
「一本って意味ぜよ。初耳じゃ」
「は? あいつの分だよ……って、あ、れ? 俺、再現やった時に、皆に言ってなかったっけ? あ、そうか、聞かれなかったし、どうでも良いと思って言わなかったんだ。あの日さ、飲み物買う機会があったら一緒に買っといてくれって頼まれてたんだよ」
「……誰に?」
「誰って、お前も良く知ってるあいつだよ――」
そうして丸井の口から発せられた名前を聞く仁王の瞳は、手元にあるペットボトルの内側に張り付いた気泡の群れに注がれたままだった。