
午後になると、体感温度は午前中の比ではなく、吸い込む外気すら肺を焼くような息苦しさを感じた。
携帯電話で見た天気予報での現在の気温は二十八度であり、そう感じるのも無理はないと、唯は温くなり始めたペットボトルを額へ押し当てた。
名士刈との第二試合は予定通りに開始され、今はシングルス3の試合が行われている。
規定上、初戦においては勝敗が決した場合であっても、シングルス1までの試合は実施されるのが常だが、立海は第一試合を相手側の棄権という形で勝利していた。
それでも一応は初戦は初戦という扱いになるらしく、この試合を切原が勝てば立海の勝利が決まるばかりか、シングルス2の柳の試合は行われずに終了となる。
佐竹からその旨の解説を聞きながら、切原の試合をスケッチしていた唯だったが、気付けばその手は完全に止まっていた。
テニスのルールについて詳しくはなくとも、最低限どういうものなのかくらいは唯も把握している。ところが、目の前で繰り広げられる試合展開は彼女の予想を遥かに超えるものであったのだ。
「あの……さっきから試合進むの早くないですか? それに何だか切原くんの方が一方的な感じですし」
「そんなことないですよ。むしろ少し遅いくらいです。暑さのせいでしょうか。切原くんも体力面が今後の課題ですね」
唯の疑問に、スコアを記録していた鷹敷が何でもないことのように返答する。
「そもそも、名士刈の品川さんが、切原のスピードに追い付けていないのが問題ですよ。球も軽過ぎるし、リターンもまともに返せてない。あ、無川部長。ゆっくりしてると試合終わりますよ」
彼女の隣で同じように鉛筆を走らせていた佐竹がスケッチブックを閉じる。どうやら彼は一足先に終わったらしい。
動きのあるものをモチーフにして写生するのはとても良い練習になる。実際、テニスの随所で見られる筋肉の動きの瞬間瞬間を切り取って描き込むのは難しい。唯のスケッチブックにも佐竹と同様に、ダブルスから始まって何枚ものラフ画が既に溜まっていた。
「そう言えば、氷帝、青学に負けたらしいっすね」
「えぇ、少し意外でした。手塚さんと跡部さんの試合は素晴らしいものでしたよ」
鷹敷はスコア票を捲り佐竹に差し出した。彼は真剣な眼差しでそれを眺めたあと、礼を言って返す。
その傍らで唯は、名前の出た二人がそれぞれの学校の部長だと佐竹から教えられた話を思い出していた。
再び、彼女の奥底から泡のような疑問がわき上がる。
同時に審判のコールと歓声が周囲を包み込む。切原がストレートにこのセットをものにし、いよいよ最終セットに試合は移行するところだった。
弱まっていく歓声の中を縫うようにして、鷹敷が佐竹に向かって疑問を投げかけた。
「佐竹さん。先程から少し気になっていたんですが、テニスについてお詳しいんですね」
佐竹が僅かに眉を顰める。
思わず唯は聴こえないふりをしながらも、耳をそばだてていた。
「別に、時々試合を観るくらいっすよ。そういう鷹敷先輩こそ、何でマネージャーなんてやってんですか。そんなにテニス好きなら自分がやった方がもっと楽しいでしょうに」
いつものような口調で言ってから、佐竹はしまったという顔をする。
隣で唯が無意識に一瞬驚いた表情をしたことも彼は見逃さず、小さく噛み潰した舌打ちが響いた。
一方の鷹敷は、自分自身に苛立っている佐竹の様子にも全く動じずに、スコア表を閉じてから静かに口を開いた。
「一年の時に交通事故に遭って足を少々痛めましてね。もう、選手としては難しいんですが、こうしてしがみ付いています」
「……すいません」
「いえ、お気になさらず。佐竹さんと同じです。観ている側もこれはこれで面白いんですよ」
今まで以上に歓声が大きくなった。どうやらあと一球で試合が決するようだ。
普段からあれだけテニス部を毛嫌いしている佐竹が、そのテニスについて意外と造詣が深いことに唯は未だに衝撃を受けていた。
彼からは、テニス部に関する苦言こそあったが、昔テニスをやっていたといった類の話はこれまで一切聞いたことがなかった。だからこそ、今彼女が目にしている佐竹は、この二年の付き合いの中で初めて見る姿であったのだ。
品川がボール握り締めたまま手元をじっと見つめている。遠目から見ても彼の表情は、諦めの色を濃く滲ませ酷く強張っていた。
それでも彼の渾身の力が込められたであろうボールが、切原のコートへと空を切って飛んでいく。
切原がサーブを軽々と逆サイドへリターンすれば、慌てた品川のラケットが甘くそれを捕らえる。絶好のロブとなったそのボールに向かって切原が高く駆け上がった。
「これでおーわり!!」
素早く振りぬかれた腕から放たれた強烈なスマッシュに品川は全く反応出来ず、彼の足元で跳ね上がったボールは、後方のフェンスへと突き刺さった。
審判の試合終了のコールと同時に、立海側の応援席から歓声が溢れ出す。
「……俺も、鷹敷先輩と似たようなもんです」
洪水のような音の群れの中で途切れ途切れに刻まれた佐竹のそんな言葉を聞いた唯は、彼がテニス部をあんなにも憎む理由が少しだけ理解出来た気がした。