
「あぁ、お疲れ様です」
二番コートの観覧席とは反対側のフェンス際に唯たちが着いた時、同じくそこへ立っていた彼は二人に気付くと頭を下げた。
「鷹敷くん。あれ? 試合は?」
他のコートと一線を画した雰囲気が漂っているのを感じた唯が、疑問の言葉を鷹敷に投げる。
やけに静まり返っているのだ。見ればコート内のベンチには立海の選手の姿は見えるが、対戦相手である銀華中の選手の姿は誰一人となかった。
観覧席には両校の応援団らしき生徒の姿はある。その中には藤ヶ谷もおり、唯の姿に気付いた瞬間、彼女に向かって大きく手を振ってきた。
試合開始時間まであと五分だが、一向に試合が始まるという空気がそこには全くない。
「どうやら、銀華中は選手全員が体調不良のようです。何でも食中毒とか」
「はぁ、食中毒!? よりによって試合の日って、一体何を食べたんすか……」
佐竹が呆れたように声を上げれば、ベンチで暇そうにテニスラケットを弄んでいた切原が視線を向ける。二人の目が合った。
互いの「げっ」という声が綺麗に重なり、切原の隣にいたレギュラーたちも何事かと振り返る。
その中には、今回、補欠登録のこれでもかと言うほどに緊張した表情を貼りつけていた国舘の姿もあった。
「美術部に制作していただいた横断幕ですが、お披露目は全国大会で行うことになりました」
鷹敷の言う通り、観覧席側に垂れ下がる横断幕の中に唯たちが作成したものは見当たらなかった。
更に彼は「折角なら幸村がいる時に使いたいですからね」と締めくくる。
「私、あまりテニスに詳しくないんですが、このままだと試合はどうなるんですか?」
「先方の棄権となるので、こちらの不戦勝です。後十分くらいで、銀華中側より棄権するか否かの回答が出ます」
そう鷹敷が教えてくれたが、結局、第一試合は銀華中の棄権となり、思わぬ形での結末を迎えた。
午後に予定されている第二試合まで、相当な時間が余ることになる。唯と佐竹はしばし言葉を交わすと鷹敷に声をかけた。
「俺たち一旦移動します」
「その方が良いですね。暑いので、お二人ともくれぐれも熱中症にはお気をつけて」
コートを離れた二人は、なるべく人がすいていて、なおかつ日陰になるような場所を探したが見つからず、話し合った結果、徒歩で十分ほど離れた場所にある区立図書館で時間を潰すことに決めた。
空調の良く効いた室内には、週末ということもあってか、勉強目的の学生のほか家族連れの姿も多くあった。
とりあえず二人は館内で一時まで一旦別れることに決めた。昼食に関しては、互いに携帯補助食品を持参していたため心配はないが、予想以上の暑さにペットボトルの残りが心もとない。
唯は先に自動販売機でもう一本飲み物を購入してから、適当に館内を歩き回り、棚に綺麗に並んだ本の表紙を眺めていた。
時折立ち止まっては本を取り、流し読み程度に捲っては元に戻す。特にこれといって読みたい本もなかった彼女だったが、そんな作業を繰り返すうちに、唐突に飛び込んできた並ぶ本のタイトルにどきりとさせられ、慌てて本棚のプレートを確認した。
分類番号147、その下には超心理学・心霊学と記されていた。彼女に頭にふと彼の姿が浮かぶ。
仁王は、一連のジョーカーの行動は呪術に倣ったものだと言っていた。そして、彼もまた、ジョーカーに対抗する手段として呪術を使っている。
そもそも呪術とは何なのだろうか。漠然としたイメージしか持たない彼女は、参考になる本がないか本棚をなぞるように視線を巡らせる。心霊学に分類されている本はそう多くなかった。その中で、唯は一冊の本を引き抜いた。
『呪術的思考と心霊』と書かれたその本は、一見してくたびれた様子で、奥付に書かれた日付もかなり古いものだった。
目次を見ると彼女の予想通り、呪術という項目があった。目的のページは本の中ほどにある。
はやる気持ちを抑えて該当ページを開く。すっかり変色し黄ばんだ紙面には、思ったよりも細かな字が並んでいた。
そこには、呪術の基礎と見出しがあり、読み進めれば読み進めるほど、以前に仁王から聞いた話を更に小難しくしたような内容が書かれてあった。
記憶の整理と共に新しい情報がないか探していたところで、本編はいよいよ実践と書かれた項目に移行していく。
ページ一枚を使い大きな円が書かれ、その中には多くの良く分からない記号が散りばめてある。仁王が使っていた呪符とは似ても似つかないが、隣に添えられた解説文には書き方や活用方法の記載があり、どうやらこの絵を模写かコピー、あるいは直接切り取れば利用することが出来るらしい。
いまいちぴんと来ないばかりか、一瞬にして興が削がれてしまった彼女だが更にページを捲る。そこから先は、似たような内容が続き、結局最後まで読まずに本を閉じてしまった。
もう一度、本の表紙を眺める。この中に詰まっているのは、初めて霊を祓う仁王を目にした時に感じた衝撃の片鱗すらない。今となっては、『呪術的思考と心霊』という文字そのものすらどこか胡散臭く感じられた。
彼が、こういったものを参考にしてあの力を手にしたとは、どうしても思えなかった。
「何してんですか?」
小声で投げかけられた言葉に、唯の心臓が大きく跳ねた。
当の佐竹は、その視線を本棚の分類名、そして彼女が持っている本へと動かして、まもなく怪訝そうな表情を浮かべた。
「あれ? 無川部長ってオカルト趣味なんてありましたっけ?」
「あ……昨日見たドラマで、ちょっと気になることがあって、調べてたんです」
咄嗟の言い訳にしては無理があったかと思ったが、佐竹は納得したように声を弾ませる。
「あぁ、深夜にやってる心霊探偵っすか? あれ、すっごく面白いですよね」
幸い彼にそれ以上聞かれることもなく、本棚に本を戻しながら唯はほっと胸を撫で下ろした。