
丸井が帰ってから時間を空けずに姿を見せた訪問者に、幸村は首を傾げた。
彼が訪れたのは本日二度目であり、時間は面会時間終了の五分前だった。
「あれ? ジャッカルどうしたの?」
「忘れ物しちまって。悪ぃ、携帯の充電切れて幸村に連絡入れられなかった」
「そうだったんだ。忘れ物って?」
「確かここに……あ、あった」
言いながらソファーの辺りを探っていたジャッカルは、目的の物を見つけると幸村に向かってそれを掲げる。
彼の手には、小型の音楽プレーヤーがぶら下がっていた。
「あれ? 全然気づかなかった」
「ソファーのちょうど隙間に挟まってた。良かった。なくしたかと思ったぜ」
安堵したように表情を緩め、プレーヤーを制服のポケットにしまったジャッカルが、ふと、何か違和感に気付いたのか、室内をぐるりと見回した。
だが特に変わった様子は見られず、気のせいかと呟いて首を軽く横に振る。
「どうしたの?」
「あ、いや。何でもない」
そう言いつつも、彼の視線がベッド脇のクローゼットに引き寄せられていることに気付いた幸村は、ジャッカルの方をじっと見る。
彼は慌てて視線をそこから引き剥がすと苦笑した。
「悪ぃ。ホントに何でもないんだ」
「……出てきても大丈夫だよ」
ジャッカルを見据えたまま呟かれた幸村の言葉に対して、彼が「え?」と小さく返すのと同時にキャビネットの扉がゆっくり開いていく。
ジャッカルが目を丸くして成り行きを眺めていると、中から少年が恐る恐る顔を覗かせた。
小学校低学年くらいの年齢に見えるその少年は、ジャッカルと目が合った瞬間、素早くキャビネットの扉の影に顔を隠してしまった。
「俺の友達だよ」
「……幸村お兄ちゃんの?」
「うん」
再びキャビネットから顔を出した少年は、幸村の顔を見上げるように身体を乗り出した。
白いパジャマに水色の薄手のカーディガンを羽織っている。更に右手首には幸村と同じく白いリストバンドが嵌められており、この少年も入院患者なのだとジャッカルは理解した。
幸村が少年に向かって笑顔を浮かべれば、彼はおずおずとジャッカルへと頭を下げる。
「こんばんは」
「こ、こんばんは……」
少年の目線に合わせるようにジャッカルは腰を屈め、少年に向かって声をかければ、彼は消え入りそうな声で返事をした。
「本、好きなのか? 宮沢賢治か。良いの読んでるな」
ジャッカルが、少年が胸に抱えていた本に目を留め呟くと、少年は素早く自分の背中に本を隠してしまう。
そんな様子に思わず彼は小さく笑うと、構わず話を続けた。
「俺はジャッカル桑原。幸村の友達で、同じ学校に通ってる。君の名前も教えてくれるかな?」
「……草薙……実」
「実くんか。宜しくな」
くしゃりと実の頭をジャッカルが撫でれば、僅かに彼の緊張が溶けるのを感じていた。
「宮沢賢治なら一通り読んだな。好きな話なら沢山あるけど、俺は特にやまなしが好きだ。その本には載ってないみたいだな」
彼が持っていた本の裏表紙を見たジャッカルがそう零すと、実は途端に目を輝かせて声を弾ませる。
「僕も宮沢賢治好き。ねぇ、クラムボンって何だと思う?」
「うーん。何だろうな。“かぷかぷ笑う”生き物なんて実際にいないしな。でも、俺はなんとなくクラムボンって、蟹とか魚とかカワセミみたいな生き物じゃない気がするんだ。じゃあ、一体何だって聞かれたら、やっぱり分からないが」
「あはは。僕も!」
そう言って、初めて実はにっと笑った。
ジャッカルも笑ってもう一度頭を撫でると、二人の成り行きを見守っていた幸村に視線を向ける。
「実くんとは、前に入院してた時に知り合ったんだ」
「そうなのか。病室どこだ? 送ってくよ」
「ううん。一人で大丈夫。幸村兄ちゃん。ありがとう。ジャッカルお兄ちゃん。またね」
するりとジャッカルの脇を素早くすり抜け、実は扉の隙間から廊下の様子を伺い、看護師の姿がないことを確認すると、ぱたぱたと微かなスリッパの音を響かせながら廊下を駆けていった。
「俺が実くんの病室に行くっていつも言ってるんだけど、すごく嫌がるんだ。多分、俺がまだ病室から出れないことを気にしてくれているんだろうけど、やっぱりベッドをこっそり抜け出してるみたいだから心配してる」
「それって大丈夫なのか?」
「良くはないだろうね。でも、少しでもおかしい時は、すぐに看護師さんを呼ぼうと思ってる」
「そうなのか。それにしても随分と懐かれたもんだな」
「大丈夫。きっとジャッカルも同じだよ」
半開きのままの扉を閉めながら、ジャッカルが苦笑する。
「本が好きみたいでさ。院内学級の中にも小さな図書室があるらしいんだけど、俺が勧める本の方が好きみたいで。やまなしは前回退院する時に実くんにあげた宮沢賢治の本に入ってたと思う」
「へぇ。なら俺も幾つか見繕ってやろうかな」
「きっと喜ぶよ。ジャッカルは童話とかに詳しいからね」
で、と話を切った幸村の声を遮るように、本日の面会時間の終了を告げる院内放送が流れ始めた。
放送が終わるのを待ってから彼は口を開く。
「ジャッカルは本当のところ、クラムボンは何だと思っているの?」
やけに子供っぽいような口調で尋ねる幸村に、ジャッカルはおいおいと苦笑しながらも答えた。
「クラムボンはクラムボンだろ? それ以上、答えようがねぇよ」