カレイドスコーピオ

インビジブル

09.関東大会 / 3

 幸村がいた病室は、一人部屋と簡単に呼ぶには憚られるほどの広さだった。
 窓に対して並行に置かれたベッドのすぐ近くには、天井まで届く作り付けのキャビネットが置かれ、彼の目線の高さに小型のテレビがある。
 キャビネットの下半分は冷蔵庫になっており、テレビカードを使用すれば、一定時間の冷蔵機能を使うことが出来る。ここまでは相部屋と変わりがない。
 彼の病室に来るまでの間に、他の病室の様子を通りがてらに見る機会があったが、相部屋と一人部屋では一見して異なる点が多くあった。
 まず室内に入ってすぐに目が留まったのは、ベッドの手前に置かれた応接セットだ。小さな硝子テーブルを挟んで、一人がけのソファーが二つあり、その傍らには、小型のキャビネットが置かれ、中には電気ケトルやティーセットが入っている。そのスペースは部屋の約半分を占めるほどだ。
 ベッドと応接セットの丁度中間くらいの壁には、壁紙の色と同系色の三面鏡と洗面台が取り付けてある。
 ちょっとしたビジネスホテルのようなこの空間をもし写真でだけ見たとすれば、まさか病室であろうとは到底想像出来ない作りだ。
 がそう強く感じたのは、そういったものだけではなく部屋の色合いも大きく影響していた。
 床こそアイボリーだが、壁紙は淡いベージュ色で、調度品も木目を生かした温かみを感じさせるもので統一されている。
 最低限を残して、白という白が意図的にこの病室からは追いやられてしまっていたのだ。
 だからこそ、ベッドや幸村が着ている白地のパジャマがより際立って彼女の目に映り込んだ。

「来てくれてありがとう」

 ベッドの側に寄ったは、それまで幸村が読んでいた文庫本の右のページの一部に赤い線が引かれていることに気が付いた。だが、中身を確認する前に本は閉じられてしまう。
 彼が読んでいた本は、彼女も読んだことがあった。ゲーテの有名な戯曲の一つであるファウストだ。

「さっき、蓮二と鷹敷が来てたけど、もしかして会った?」
「はい。一階で偶然に会いました。あ、これ」

 そう言っては小さなブーケと綺麗にラッピングされた紙袋を差し出した。ここへ来る前に佐竹と二人で買ったものだ。紙袋の中にはクッキーが入っている。

「ありがとう」

 幸村が受け取った瞬間、女性の看護師が備品が入った回診車を押しながら入って来た。

「あら? お話し中にごめんなさい。幸村さん、後にする?」
「二人ともごめん。少しだけ待っててもらっても良いかな?」

 こくりとが頷けば、幸村はソファーに視線を送ったので、二人は促されるまま腰を下ろした。
 そして看護師は、彼の手にあったものを見て目を丸くする。

「お花?」
「あ、これは……」

 苦笑を浮かべて口籠った幸村に、看護師はあぁとちらりとを一瞥した。
 何事かとと佐竹は互いに顔を見合わせてから看護師を見やれば、彼女は困ったような声を上げる。

「ごめんなさい。ここお花は駄目なの」
「えっ? そうなんですか」
「ごめん。折角貰ったから言い出せなくて」

 互いに申し訳ないないような表情を浮かべて幸村とが視線を交わしていると、そこへ更に看護師の言葉が重なる。

「花粉の影響とか色々理由があるの。本当に悪いけど、帰りに持って帰ってもらっても良いかしら?」
「はい、こちらこそすみませんでした」
「ごめんなさいね」

 駆血帯を幸村の腕に巻き、採血の準備を始めた看護師を二人はソファーから眺めていた。
 捲り上げた袖の下から白い腕が覗く。前腕の内側に採血の小さな跡が幾つか浮かび上がっており、何とも言い難いコントラストを刻んでいた。
 佐竹はじっとそれを見据えたままだったが、はその痛々しさを感じる白に思わず目を逸らした。
 看護師は手慣れた様子で試験管二本分の採血を終えると、翌日の検診について幸村に告げ病室を出て行った。
 再びベッドサイドまで寄ったは恐る恐る口を開く。

「もしかして、お菓子とかも駄目だったりします?」
「うん、実は。薬とかの関係で。最初にちゃんと言っておけば良かった。ごめん。今度、誰かが来た時に分けてあげても良いかな?」
「勿論です」
「佐竹くんも、本当にありがとう」

 そこまで話終えて沈黙が訪れる。
 も佐竹も幸村の病状について詳しくは知らなかった。
 佐竹は、近くで見た幸村のより白皙とした顔に、少なからずとも衝撃を受けたようで深刻そうに眉間に皺を寄せている。
 もこんなことならば、切原にもう少し詳しく聞いておけば良かったと頭を悩ませていた。

「来週には退院できそうなんだ。関東大会は無理だけど、全国大会までには何とかなりそうだよ」

 そんな彼女の心境を察したのか、幸村の方が先に口を開き、二人は揃って安堵の表情を浮かべる。

「今はラケットもまともに握れないけどね。だけど、三連覇がかかってる。こんなところで止まってちゃいけないんだ」

 じっと腕に視線を落として言い聞かせるように呟いた幸村の表情が険しくなる。が僅かに息を飲むと、彼ははっとして顔を上げた。

「ところで、横断幕出来たんだって?」

 そう話す幸村は、いつもと変わらない笑みを浮かべていた。は戸惑いながらも、彼が話題を変えたがっていることに気付いて頷いた。

2013/06/07 Up