
同じ教室というシチュエーション一つとっても、その時々の人の配置、その人の感情などによって全く異なるシーンを彩るものだ。
唯は、どうしようもない居心地の悪さを感じながら、自身の向かい側に座っているその人と、極力目を合わせないようにして、机の上で主張する白い紙面を見つめていた。
この落ち着かない空気は、もれなく相手にも波及しているのは明らかで、時折響く小さな咳払いが聞こえる度に、彼女は肝を冷たい手で握り潰される感覚を味わっては、息を詰める羽目になった。
「で、だ。無川の希望は、駿瑛高等学校なんだな?」
「は、はい」
唯にとって、避けては通れぬこの拷問のような時間が始まってから、一方の彼の方は全く視線を逸らすことなく彼女を見つめている。
特別こういう場だからという訳ではなく、彼はどの生徒にも常に言葉も態度も真っ直ぐに接するよう心がけているらしい。だが、彼女にとってそれはまるで、針の如く鋭く、何よりも痛いものだった。
「まぁ、城咲先生も賛成していたしな。いずれにせよ、お前が気持ちを固めたのは良いことだ」
そう言って大塚雄一郎は笑ったが、唯が表情を変えることはなかった。
一瞬、沈黙が訪れる。
大塚はがりと自身の頭を掻きながら、「あー」という間延びした声を漏らし何とか場を繋ごうと試みているが、どうにも手段が見つからないらしい。
恐らく大塚の目には、自分は面白くない生徒に映っているんだろうと唯は考えるが、だからといって、彼が好むような生徒像を演じるのは困難だった。仮に演じられたとしても、反対に彼にそのことを指摘されるのは目に見えている。
唯は決して大塚が嫌いなわけではい。むしろ、彼は曲がったことを殊に嫌う、文字通り竹を割ったような気持ちの良い性格をしていると、その点においては尊敬すらしているほどだ。
担当科目は体育。そして、男子バレーボール部の顧問でもあり、そういった面で彼は、いわゆる熱血教師と呼ばれる部類に入るのだろう。
現に彼は、提出の遅れた進路希望票を城咲経由で唯に渡したものの、そのあとの反応をことあるごと案じていたと城咲から聞いたのは彼女の記憶に新しい。
大塚なりに唯へ歩み寄ろうとしているのを分かっているが、彼が近づけば同じ距離だけ彼女は無意識に後ろに下がってしまうのだ。しかしながら、彼はそんな彼女にお構いなしにと更に踏み込んでくる。全くもって不遇な悪循環だ。
最終的には「苦手」という言葉一つで纏められてしまうのだが、結局のところ、唯にとって居心地が良いと感じるのは、城咲ぐらいの距離感であるのだ。
「とにかく、城咲先生と良く相談して、推薦用の絵も一枚描いてくれ」
「はい。分かりました」
唯の反応に、大塚はとりあえず今はこれ以上踏み込むことを諦めたらしい。
一度腕を組んで僅かに唸った後、「もう帰っていいぞ」と零した。
「あ、無川部長」
「遅くなりました。佐竹くんに一人で仕上げをさせてしまってすみません」
室内に入って早々に唯は机の上に鞄を置くと、佐竹の元へと駆け寄った。既にそこには綺麗に折り畳まれた蘇芳色の横断幕がある。
後は最終仕上げとして手芸部に引き渡せば、ひとまず美術部が請け負った生徒会からの依頼は完了だ。
「ようやく終わりっすね。これでやっと生徒会から解放される」
変わらず皮肉を込める佐竹に、唯は既にそうもいかない状況になっていることを言い出せないまま、軽く笑い返すしか出来なかった。
彼から横断幕を受け取り、彼女が念のため最終確認をしていると、隣に座る佐竹がそわそわと落ち着かない様子を見せた。
「佐竹くん、どうかしましたか?」
「あ、いや……その……」
歯切れが悪く呻きながら、彼は目を泳がせていたが、やがて声の調子を落として呟く。
「……やっぱり行ったほうが良いんすかね?」
その対象について彼が口にしなくとも誰か分かっている彼女は、作業の手を完全に止めて佐竹をまじまじと見る。
すると、彼は益々狼狽え始め、口早に言葉を続けた。
「あ、いや。俺やっぱテニス部はすげぇ嫌いだけど、二回目だってクラスの女子が騒いでたし、大変だなって……」
最後は消え入りそうな調子で占めた佐竹は、机の上に置かれた生徒会への最終報告書へ視線を落としたまま、唯の方を一向に見ようとしない。その口は堅く引き絞られている。
「今日は、まだご家族の方としか面会は出来ないみたいです」
「え?」
「幸村くんのお見舞いの話です」
唯の切り返しに、佐竹はあからさまな動揺を見せた。
テニス部を敵視する彼の気持ちは彼女にも分からなくはない。それでも、こうして時折頑なな態度を示すのは、既に後に引けなくなってしまっているからなのかもしれない。
勿論唯はそのことを佐竹に指摘するつもりはなかった。けれど、今は状況が状況だ。
「私、明日、幸村くんのお見舞いに行く予定なんですが、佐竹くんも一緒に行きますか?」
唯がそう後押しをすれば、佐竹は酷く安心したような顔をして頷いた。