
美術室に戻った仁王が、切原が話した内容を告げると、当然ながら皆信じられないというような反応を見せた。
「でも、城咲先生が犯人なんて、どうしてなんだよ? あ、無川!」
丸井が呼び止める声を振り切って、唯は準備室に向かって一目散に駆け込んでいく。
慌てて後を追った彼が見たのは、必死な様子で何かを探している彼女の姿だった。
唯は棚という棚を次々に確認していく。特に部員のキャンバスが保管されている場所については、その一つ一つを引き出してまで念入りに見て回るが、彼女が目的とするものは一向に見つからないようだった。
そうしている内に残りのレギュラーたちも準備室の出入り口に集まり、彼女が今までに見せたこともない必死な剣幕で探し回る様子をただ遠巻きに見守るしかなかった。
あらかた探し終わったところで、唯は室内をもう一度じっくりと見渡す。そして、城咲の美術書が収納されている本棚に目が留まった。
彼女は美術室の鍵束から本棚の鍵を取り上げ開錠すると、まず上半分のスペースに手を伸ばす。ここには主に美術書が収められていた。
軽く視線を泳がせてから違うと呟いた唯は、今度は下半分に設えてある観音開きの扉に手をかける。ここにも鍵がかかっていた。
震える手で鍵を開け引き開くと、隠れるようにしてそれはあった。城咲の描いた絵だ。彼女は戸棚から引き出すと近くにあった簡易テーブルの上に置く。
描かれていたのは、一本の桜の木の油絵だった。
太い幹から分かれる不規則にうねった枝は、僅かに残った葉を滴らせながら先端に向かうにつれ下へ下へと向かって伸びている。幾本も重なっているため、どことなく茸の傘を連想させるそれは枝垂桜と呼ばれるものだ。全体的に褪せたような色調で描かれているため、見る者にそこはかとなく退廃的な印象を与えている。
唯は目を見開いたまま、言葉もなくただ呆然と見つめていた。
近くに寄って絵を覗き込んだ仁王が、驚いたように呟く。
「この絵、無川の家のリビングにあった絵と同じぜよ」
「あれ? これ、無川さんの去年受賞した時の絵だよね?」
いつの間にか唯の隣に立っていた幸村が尋ねれば、唯は一瞬頷きかけたが、ゆっくりと首を横に振った。
「確かに凄く似てる……と言うよりも私の絵と全く同じですが違います。多分この絵は、この前、城咲先生が描いていた油絵だと思います」
「なぜ、城咲先生は、無川さんの絵の模写を行ったんでしょうか?」
柳生の疑問は最もだった。
切原の言葉を疑うつもりはないが、この時の唯はまだ、城咲が犯人であるなどとは信じることが出来なかった。
城咲がどんな意図をもって、この絵を描いたのかは分からない。そして、彼女が仁王の話を聞いて、唐突に彼の絵のことをこうして思い出したのもまた同様だ。
だが、きっとどちらにも何か理由があったはずだ。
当時見た彼の様子について記憶を遡っていたところで、彼女は妙な引っ掛かりを覚えて、もう一度絵に視線を落とす。
(あの時、城咲先生は確かに……)
唯は思いついたようにキャンバスを裏返した。そこにも如実に彼女の癖が再現されており、厚紙がはめ込まれている。
それを見た瞬間、なぜか心臓の拍動が急激に上がるのを感じた。
出来ればこの先は見たくないと、そんな感情とは裏腹に唯の手は厚紙にかかる。
ゆっくりと厚紙が引き剥がされる。
そして、そこに彼が隠したであろう物を見た唯は、いよいよ城咲が自分の絵を裂いた犯人であったのだと理解するに至った。
廊下を進みながら、唯はぼんやりと考え込んでいた。
少し離れた後方に仁王が無言のまま続いている。もう特に問題はないだろうということから、残りのレギュラーたちは美術室に残っていた。
空模様から察するに、いよいよ日没の時間になったようだ。
仁王に言わせれば、正に今が魔が落ちる刻らしい。
「……ここで」
「一人でも大丈夫か?」
はいと頷けば、仁王はそれ以上何も言わなかった。
いつもと同じように軽くノックしてから、彼女は職員室の扉を静かに開いた。
室内に足を踏み入れれば、職員室も平日に比べがらんとした寂しげな雰囲気に様変わりし、今いるのは城咲だけだった。
彼はパソコンに向かって何やら熱心に打ち込んでおり、唯が近くまで来てようやく気付いたのか、眼鏡を外して彼女を見上げた。
「今日は随分と時間がかかりましたね」
変わらず穏やかな声で尋ねた城咲は、唯が一向に何も答えないことに首を傾げた。
「どうかしましたか?」
もう一度城咲が尋ねるが、やはり同じ態度を貫く彼女に彼は立ち上がると、奥にある応接セットに彼女を手招きをし、自身はその更に奥にある給湯室へと姿を消した。
彼女が言われるままソファーに腰を下ろして待っていると、間もなくして、彼は甘い香りが立ち上る二つのマグカップを手に戻ってくる。
そして、向かい側に座った城咲は、何かを切り出すわけでもなく、静かにマグカップに口をつけた。
「……城咲先生」
たっぷりと時間をかけて唯が声をかければ、彼は答えずに視線だけを彼女に向ける。
「どうしてですか?」
用意していた選択肢はいくらでもあったが、結局のところ、彼女が最後に選び取ったのはこの言葉だった。
城咲は、もう一口ココアを喉に注ぎ込んでから、机の上にマグカップを置いた。それから、じっと瞳を伏せる。
彼の顔も目の前のマグカップも見ることが出来ずに、唯は堅く握りしめた両拳にだけ視線を注いでいた。
「……どこから、話をしましょうか?」
ゆっくりと開かれた彼の瞳と言葉は、やはりいつもと変わらない穏やかなものだった。