
仁王は藤ヶ谷の顔にかかった髪を指先で掬い上げ、その顔を覗き込んだ。
白蝋とした表情の彼女は、丸井の言う通り一見すると呼吸をしていないようにも見える。
おろおろとし始めた丸井をよそに、仁王は躊躇なく彼女の目蓋をそっと押し上げた。
「いや、大丈夫じゃ。瞳孔が反応しとる。随分と顔色は悪いが、気を失っとるだけみたいぜよ」
「そ、そっか、良かった。って、仁王、手大丈夫かよぃ!」
安堵した丸井は、仁王の黒く汚れた手を見て驚いた声を上げる。
「単に煤で汚れとるだけじゃ。それよりも、藤ヶ谷の意識が戻っても、もうジョーカーに繋がる情報は期待出来ん」
仁王が汚れた手を開くと、机の上にカチャリと音を立てて同じように黒く汚れたものが軽く弾みながら落ちた。
それを見た丸井が、あっと声を弾ませる。
「これ、十円じゃねぇか。ってことは、これもこっくりさんの……」
「あぁ、最初っからこうするつもりだったみたいじゃのう。十円で藤ヶ谷を縛って、追い詰められた場合に彼女の口を塞ぐための補助用として、別に呪符を巻き付けたみたいじゃ」
「口を塞ぐって、どういう意味だよぃ? まさか……」
「もし、口封じに殺してしまったら、かえって面倒になるぜよ。俺だったら国舘にやったのと同じことをする」
記憶を消したのかと柳が呟けば、仁王は黙って頷いた。
「呪符には術者の癖が出るからのう。ジョーカーへの足掛かりに欲しかったんだが、相手もそれは想定の範囲内。後始末も抜かりなく藤ヶ谷に吹き込んどった。参謀、アルバムの中に赤也が写っとる写真があるじゃろう」
「あ、あぁ。確かに写ってはいるが……」
手元のアルバムを捲っていた柳が言い淀む。
彼は一通り終わりの方まで確認すると、机の上へ広げたアルバムを置いた。
「写ってはいる……予想通り、全ての写真が赤也だな」
丸井が次々とページを捲れば、所々の写真こそ抜け落ちてはいたものの、そのいずれも柳が言う通りに切原が主体となった写真が貼られていた。
「おい、これなんて一年の時の赤也じゃん」
「随分と赤也に拘りがあったみたいじゃな。どこかに藤ヶ谷が一緒に写っとる写真があるはずじゃ」
「藤ヶ谷が? ちょっと待てよ……あ、あった」
始めのほうから見返していた丸井が、一枚の写真を指差した。
そこには、どこかの教室の中で壁を背に寄りかかって座る藤ヶ谷と切原の姿が写っている。
切原は向かって左側を見つめ、一方の藤ヶ谷は目を閉じ俯き加減に影を落としており、まるで眠っているように見えた。
「それが、写真の中にいる本物の赤也ぜよ」
「は? どうしてそうなんだよ?」
「その写真を台紙から剥がすんじゃ。俺が持ってる」
仁王に言われるまま、丸井はアルバムの台紙からその写真を引き剥がし、仁王へと手渡した。
「矛盾が生じているからだろう」
「矛盾? 何だよそれ」
再び一枚一枚を詳しく確認するように写真を見つめていた柳が漏らせば、丸井は頭に疑問符を浮かべながら、ゆっくりとページが捲られていくさまを眺めていた。
それから、床の上にまだ写真の残骸が散らばっていることを思い出した丸井は、仁王とともにそれらを拾い集め始めた。
「なぜ、藤ヶ谷が写真に写っているんだ?」
「写っているんだって、そんなの決まって……あっ! そうか、そんなの有り得ねぇんだ」
頷いて柳はアルバムを閉じた。
火が点いていたであろう部分は、派手に溶けて黒く焦げ付いている。柳は表紙を指先でなぞりながら、それでもまだ腑に落ちないと神妙な表情を浮かべ、今度は裏表紙が表になるようにひっくり返した。
幸いにも裏表紙側に火は及んでいなかったらしく、一面の赤い色がそのまま綺麗に残っていた。
「これらの写真の全ての撮影者は藤ヶ谷だ。であれば、この中に藤ヶ谷自身が写っている写真はないはずだろう。確かにタイマー撮影をしていた可能性も考えられはするが、よりによってなぜこんなシーンを撮影対象に選んだのか理解出来ないほどに違和感がある。それに、そのポラロイドカメラには、見たところ三脚の取り付け口らしきものが見当たらない。もしかしたら、機能そのものが搭載されていないかもしれないが、そもそもタイマー撮影を“藤ヶ谷自身が撮影した”という条件に当て嵌めても構わないのかと、いずれにせよ疑問が残る」
「あぁ、写るはずのない人間が写っているということは、つまり、藤ヶ谷もその中に入っていると推測出来るぜよ。それに、ここにいる藤ヶ谷は“半分足りない”」
「半分……足りない? まぁ、お前がそう言うならそうなんだろうけどさ。赤也をそこからどうやって出すつもりなんだよ」
仁王の手の中にある写真を気にしながら、丸井が急かすように尋ねれば、仁王は首を横に振る。
「写真が燃えたせいで赤也にも影響が出ているだろうが、ひとまずこれで安心じゃ。むしろここから先は、下手に中で動かれないようにしておかないとならんぜよ。参謀、今の大体の時間が分かるか?」
「体感だが、十七時というところだろう」
「時間がちと厳しいのう。とりあえず一旦鏡まで戻るぜよ。詳しい話はあとじゃ」
「じゃあ、藤ヶ谷は俺が運ぶ」
そう言って丸井が藤ヶ谷を背負い、三人は化学室の外へと出た。