
一番最初に辿り着いた丸井は、弾む息もそこそこに、柳が制止するのを振り切って勢い良く調理室の扉を開いた。
がらんとした室内には誰の姿もなく、丸井が隣かと低く呟いて再び駆け出そうとするのを柳は彼の襟首を掴むことで、今度は完全に引き留める。
丸井は予期せぬ衝撃に息を詰め、思わずむせ返りながら恨みがましい目で柳を見た。
「何すんだよぃ。柳」
「一人で先走るな。軽率な行動は、決して良い結果を招かない」
「そんなこと言ったって、さっき仁王が持ってた写真が、とうとう全部燃えちまっただろぃ。このままじゃ赤也が……」
「化学室の方ぜよ」
すんと鼻を鳴らした仁王が呟けば、そこで初めて丸井も異様な匂いが微かに鼻につくことに気が付いた。
明らかに何かを燃やしているような焦げ臭い匂いの発生元がどこかと彼が探してみるが、少なくともこの調理室ではないのは明らかだった。
そうしている内に徐々に臭気は強くなり、丸井の表情は青褪めていく。
三人は連れ立って隣の化学室の前に移動し、仁王が扉に手をかければ、彼の予想に反してそれはあっさりと開いた。瞬間、まるでプラスチックが焦げるような匂いが鼻を刺激し、三人はそれぞれ表情を歪めた。
室内の一番奥に彼女はいた。
窓際に並んだガスコンロの上に大きな寸胴鍋が置いてある。ガスコンロには火が点いておらず、鍋の中からはやや灰色がかった白煙が延々と立ち上っていた。
もれなく上方に取り付けられた換気扇へと煙は吸い込まれていたが、それでも室内には不快な臭いがこうして充満している。
それでも藤ヶ谷は、顔に絡みつく煙に対して全く気にも留めずに、鍋の前で身じろぎもせず佇んでいた。
彼女の左手には辞典ほどの大きさの本が開いた状態で収まっている。仁王の言った“アルバム”なのだろう。
おもむろに藤ヶ谷が開いていた右手で、台紙から写真を一枚引き剥がした。
そして、彼女はそれに特に視線を落とすことなく、目の前の煙を吐き出す鍋の中へと落とした。途端に白煙の中に黒色が混じり、換気扇の風力によって引き伸ばされていく。
一心にその様子を見つめていた藤ヶ谷が、唐突にアルバムごと鍋へと放り込んだ。
すぐに鍋の縁から僅かに赤い炎の片鱗が揺らめくのを視界に捕らえた丸井が、はっとして慌てて走り出す。
立ち尽くす藤ヶ谷を押しのけるようにして、彼は鍋ごと床に転がした。
一部に炎を纏った赤い表紙のアルバムが一番初めに飛び出す。次いで、既に原型を留めていない縮れた写真が散らばった。中にはアルバムと同様にまだ炎が燻っているのもある。
丸井は躊躇せず足で炎を踏み消し、まだ若干の熱を帯びるアルバムを拾い上げた。そして、主に焼けたのが表紙の一部で、中の写真は無事であることに安堵した。
「藤ヶ谷。どういうつもりだよぃ」
苛立ちを含んだ声と眼光を隠すことなく藤ヶ谷にぶつけた丸井は、それでも彼女が変わらず何も反応を見せないことに、益々怒りを露わにして詰め寄った。
彼女は、床に散らばる写真の残骸に視線を落としたのち、今度は丸井の腕の中のアルバムへと向かって手を伸ばす。
だが、振り払うように丸井が距離を取れば、ここに来て初めて藤ヶ谷の表情が歪んだ。
「……う」
「は?」
ぽつりと藤ヶ谷が漏らした言葉を聞き取れずに、丸井は訝しげな表情のままぶっきらぼうに聞き返す。
彼女が顔を上げ丸井を真っ直ぐと見据える。その瞳がゆらゆら揺れていることに、さすがの彼も一瞬困惑した。
「違う。こんなことになるなんて書いてなかった……」
かぶりを振りながら後ずさった藤ヶ谷が、後ろ手でガスコンロの点火スイッチを捻った。
カチリという軽い音がして、やがてガスが噴き出す音と共に炎が灯る。
嫌な予感がして、丸井が咄嗟に彼女へと手を伸ばせば、藤ヶ谷が上体を捻るようにして姿勢を変えガスコンロへと視線を定めた。
「丸井! 右手じゃ! 藤ヶ谷が何か持っとる!」
仁王の言葉に、丸井が彼女の左手をまず捕った。そして、持っていたアルバムを柳の方へ投げ、そのまま藤ヶ谷を引き寄せようと腕を引けば、彼の言う通り彼女の右手には何か小さなものが握られている。
彼が取り上げようとすれば、彼女はそれを迷うことなく炎へと向かって放り投げた。
次の瞬間にガスコンロのよりも随分と深い青色の炎が、丸井の背丈ほどまで燃え上がった。
動揺しながらも何とか丸井はガスコンロのスイッチを落とすことは出来たが、激しく燃えさかる様子にどうしたらいいのかと呆然と立ち尽くす。
すると、仁王が構わず炎の中へと手を差し入れた。そして、藤ヶ谷が投げ入れたものをぐっと手中に握り込めば、炎は一瞬にして掻き消えていく。
彼はゆっくりと手を開き中身を確認するが、すぐに忌々しげに舌打ちをした。
「あ、おい! 藤ヶ谷!」
まるで糸が切れたように力を無くし、床へと崩れ落ちかけた藤ヶ谷の身体を丸井は慌てて抱き留める。
そうして、彼女の様子を確認していた彼の表情がみるみる不安を帯びていった。
「なぁ、仁王。藤ヶ谷、息してねぇよ……」