
「これから俺たちどうすんだよ……」
目の前の光景に呻くような声で丸井は呟いた。
少し前に彼らが潜り抜けてきたその鏡は、今はフレームだけを残して壁にぶら下がっている。
周囲に破片らしき残骸は一切なく、すっかり鏡の部分だけが綺麗に抜け落ちていた。
丸井がそっと鏡が張られていた場所へと手を伸ばすが、氷のように冷たい壁へと指先が触れるや否や、すぐに引っ込めた。
「無川なら上手くやってくれるじゃろ。こっちはこっちで藤ヶ谷を探すぜよ」
さして問題ではないという口ぶりで、仁王は手元のすっかり様相の変わってしまった写真へ視線を落とす。
写真の左半分が焼け焦げ縮れていた。
これが唐突に変化を見せたのは、唯との通話が切れた直後のことだ。
鏡に入ってからの写真は、まるで目的を失ったかのように校内を彷徨っていた。それでも頼れる手がかりはこれしかないのだと、それを追尾していた彼らの足を止めたのは、三階と二階に跨る階段の途中に引っかかるようにして転がるポラロイドカメラだった。
仁王がそれを拾い上げると同時にシルバータグが零れ落ちる。床に叩きつけられる前に丸井が手で掬えば、そこには『藤ヶ谷』と彫られていた。
何となしに彼はグランドを撮った写真を覗き込む。すると、これまでは写っていなかったはずの切原の小さな姿が、写真の片隅に写っていることに気が付いた。
一体これはどういうことかと三人が思考を巡らせていると、切原の姿は徐々に薄くなりやがて消えてしまった。そして、その直後に切羽詰まった声色の唯からの電話が飛び込み、中途半端なところで通話が切れたあと、何の前触れもなく写真が燃え上がったのだ。
(無川に全部は伝えられんかったが、とにかく状況は見えてきた。が、肝心の藤ヶ谷が一体どこにいるか分からんのが最大の問題じゃ。それにもし写真が全部燃えたとしたら……)
「……なぁ、もし、もしもの仮の話だけどさ。もし、赤也が写真の中に居たとして、それで、さ。写真が全部燃えたりしたら、一体、赤也はどうなっちまうんだよぃ?」
丸井の言葉の端々は震え、後半は最早消え入りそうな状態だった。
「間違いなく赤也は死ぬじゃろうな」
言葉の語感にびくりと丸井の肩が跳ねる。
そして、少し遅れてその意味を理解すると、彼は非難するような強い眼差しで仁王を睨みつけた。
「てっきりカメラの方だと踏んどったんだがのう」
丸井の様子の変化に気付きながらも、仁王は独り言のように漏らしながら、カメラを確認していた。
藤ヶ谷のカメラは落とした衝撃で割れたのか、プラスチック製の本体からフラッシュにかけて、幾つもの亀裂が入っている。そして更に良く見れば、小さなレンズ部分も割れていた。
仁王が試したところ、もれなくシャッターも破損しているらしく、これでは使い物にはならないだろう。
「仁王、お前、そんなあっさりと他人事みたいに言いやがって。赤也が心配じゃねぇのかよ」
彼の反応に、咄嗟に肩に掴みかかった丸井は、仁王と目が合った瞬間に閉口した。
「どういう意味じゃ?」
「……わ、りぃ」
丸井はゆっくりと仁王から離れる。
仁王の性格上、彼は表情の変化が殊に乏しいことを丸井もこれまで嫌と言うほど目にしてきた。
だが、こんなにも凍りついたような表情を浮かべる彼を丸井は知らない。
そして何よりも、一瞬彼の瞳の奥が青く燃え上がった気さえして、彼はぞわぞわと胃の腑がさざめくのを感じた。
(やべぇ。仁王の奴、マジで切れてる)
そんなやり取りの中でも、一人気にも留めず焼けた写真を注視していた柳が口を開いた。
「なぜ、写真は突然燃え出したのだろうか」
「そのことを俺もずっと考えとったが、もしかしたら、写真には別に“本体”があるんじゃないかのう」
「本体?」
「携帯とかデジカメだと、撮った写真は全部カメラの中に保存されるじゃろ。だから俺も最初は、カメラが“本体”だと思っとった。でもこれは良く考えたらポラロイドぜよ。撮った写真はカメラから離れ、独立して存在することになる。恐らく三枚以上、それこそ大量にあるはずじゃ。藤ヶ谷の性格上、撮った写真の保存はどうすると思う?」
「彼女が写真をそのままにしておくとは思えないな。大方、アルバムにでも製本しているというところか」
「あぁ、それに、どうやら直接燃やさなくても写真は損傷を受けるみたいぜよ」
「写真と本体は繋がっている、か。そうだとすれば、尚更本体は“アルバム”と言うことになるな」
「燃えるタイミングがもう少し早かったら、無川に確認して確証が持てたんじゃがのう」
「ちょっと待てよ。写真の中に赤也がいるのは確定として、アルバムを持っているのは、藤ヶ谷とは限らねーんじゃねぇの?」
二人のやりとりを聞いて、丸井も柳の持つ写真を覗き込みながら尋ねた。
「写真と言うのは、色んな雑念を吸って閉じ込める特性が強いぜよ。心霊写真もそうだが、撮影者の念も強く反映される。ましてや藤ヶ谷なら人一倍写真に対する思い入れは強い。写真に意志を持たせて飛ばすなんて芸当は、撮影者本人の藤ヶ谷かジョーカーくらいぜよ」
「ジョーカーだったらどうすんだよ?」
「奴が直接手を出すとは思えんが、それはそれで好都合じゃ。一気にカタをつける。少なくともこの場所は、体育館への渡り廊下を除けば、屋上も含めて外には出ることが出来ん。だから、校内のどこかにいるのは間違いない。問題は、アルバムが全部燃やされる前に藤ヶ谷を見つけることと、無川が間に合うかぜよ」
仁王は軽く息を吐いてから廊下を見やった。
がらんとした寂しげな教室の群れが、口を開けて薄暗い通路に続いている。
「仁王、ここには何度も来たことがあるんだろう?」
「参謀、急にどうしたんじゃ」
「この空間で、校内の火災警報装置が動作するのか知っているか?」
「あぁ、一回、爆竹鳴らしてみたら、校長がすっ飛んできて酷い目に遭った」
「……一体何やってんだよ、お前」
「ピヨ」
仁王の返答に、柳は考え込むような素振りを見せた。
「校舎内の警報設定は、火気、煙気については殊に高くしているはずだ。それこそ、トイレで煙草を吸った煙気でも反応する」
「参謀、何が言いたいんじゃ」
そこまで言って、仁王は「そういう意味か」と呟く。
一方の丸井は、分からないというのを示すように眉を寄せて柳を見つめていた。
「裏を返せば、“どこでも火が使える”わけではないとも言える。写真を燃やしているなら、ある程度の広さと換気も必要だろう。校内であるということも鑑みれば、自ずと場所は限られてくる。いくつか候補は考えられるが……」
「化学室とか調理室とかそれっぽくねぇ?」
閃いたように丸井が声を上げれば、二人も頷く。
「好都合なことに二つの実習室は隣接している。藤ヶ谷のカメラが落ちていたのも同じ二階だ。まさに誂え向きだが、出来過ぎている。罠だとも思えないか?」
「上等じゃ。罠なら、喜んで乗ってやるぜよ」
「んじゃ、決まりだな。急ごうぜ」
仁王の手の中で、写真がじりと嫌な音を立てる。
その光景を目にした三人は、それ以上の推察を一旦放棄し目的の場所へと向かって駆け出した。