
鏡の中へ三人が消えるのを目の当たりにした時、唯と柳生を除いた三人は、当然ながらその光景に息を飲み目を見張った。
「……本当に鏡の中に入っていったね」
幸村が恐る恐る鏡面に触れれば、先程とは一転して堅く冷たい感触が彼の肌をざわつかせた。
鏡の向こう側には、幸村の姿に重なるようにして立っている仁王の姿が映っている。幸村が手を軽く上げて合図を送れば、仁王も返事をしてそのままフレームの外へと消えていった。
「じゃあ、俺たちは藤ヶ谷を探してくる」
ジャッカルが呟きながら真田に視線を送れば、彼も頷いて立ち上がった。
そして、幸村から写真を受け取る。未だにそれは、弱々しく鏡の方へと引き寄せられていた。
写真は全部で三枚あり、その内の残りの一枚は鏡の中へ仁王と同行した柳が持っている。
もしかすると、柳が推測した通りこれらの写真は持ち主は藤ヶ谷で、こうして一様に同じ場所を指し示すのは、彼女の元へ帰ろうとしているからなのかもしれない。
望み通り鏡の中へ入った写真の方は、恐らく彼らを更にどこかへと導いているのだろう。
勿論、仁王の言った、必ずしも彼女は鏡の中には居ないという線も十分有り得る話だった。
「離さないように気を付けて。逃がすときっと戻って来ちゃうだろうから」
「あぁ、幸村たちも気をつけろよ」
「無川さんがいるから大丈夫だよ。ジャッカルも弦一郎も気を付けて」
写真を受け取るジャッカルを見つめながらあぁと返事をした真田は、やがて二人連れ立って階段を降りていく。
藤ヶ谷を探すにあたって、更に二手に分かれた方が効率が良いだろうが、予期せぬ事態が発生した時のことを想定してか、単独での行動を禁じたのは他でもない仁王だった。
「こっちの写真は、俺が持ってても良いかな?」
幸村の遠慮がちな質問に、唯も柳生も揃って頷く。
彼の持つ写真は廊下を写したものだった。教室名など場所を絞り込むものはなく、いつ、どこで撮ったのかも全く分からない。
真田たちが出て行ってからの三人は、余所余所しい態度で互いに境界を主張しており、代わりのない日常を代弁するかのように、時折外から生徒の明るい声だけが微かに室内に転がり込んできていた。
「……全然、実感が湧かないものだね」
先程から一心に写真を見つめていた幸村が、嘆息と共にそう漏らした。
「蓮二もさっき仁王に言ってたけど、俺も理解はしていても、心のどこかがやっぱり今も納得していないみたいなんだ。この写真のことや鏡の中に三人が入っていったのを目にしても、冷静に理解している自分と、性質の悪い冗談だろうと納得していない自分が互いに睨み合っているみたいで。無川さんは、頻繁にこういうことを経験しているの?」
「いつもと言う訳ではないです。でも……」
急に言い淀んだ唯を見て幸村は笑った。
「良いよ。無理に言わなくて。でも、やっぱり怖いものは沢山見るんだね。俺には分からない世界だけど、きっと大変なんだろうな」
黙って彼女が肯定の意味を込めて首を振れば幸村はそれ以上聞いてこなかったが、少しだけ空気の緊張が和らいだようで、唯はほっと胸を撫で下ろした。
三手に分かれることを決めた際に、仁王も真田もとりあえず三十分後にこの鏡の前に一旦戻ってくることを決めていた。
前回の時のように、携帯電話を使ってリアルタイムに連絡を取り合うことも考えたが、その手段を用いるとバッテリーの消費が激しく、万が一の際にいよいよ連絡が取れなくなってしまうかもしれない。
結局、仁王が鏡の中に入った際の試験通話だけに留めておき、不測の事態が発生した場合に備えることに決まった。
鏡の前には唯が、階段の上階側に柳生、下階側には幸村が立っており、周囲の様子を見張っていた。
明るいかと思われた踊り場も、窓から差し込む太陽の光が雲に遮られると途端に辺りは薄暗くなる。斑模様に千切れた雲のせいか、まるで切れかけた電球のように目まぐるしく陽光は点滅を繰り返している。
今思えば、予め階段灯を点けておけば良かった話だったのだが、残念なことにスイッチは階下の廊下側の壁に設えてある。
ごく短い時間だったとしても単独行動や鏡の前から離れることは危険であり、致命的に視界が不良でもないことから、結局誰もが照明に関して口にすることはなかった。
やがて、よりいっそう周囲の明度が落ちた。唯が窓に視線を向けると、どうやら太陽が厚ぼったい雲に覆われてしまったようで、踊り場は益々寂しげな色に染まっていく。雲の様子から察するに、しばらくの間は太陽が顔を出す素振りは見えなかった。
ひんやりとした廊下独特の空気を肌で感じながら、唯が二人に向かって話しかけようと口を開きかけたところで、彼女はびくりとその肩を震わせた。
どことなく覚えるのある気配と指先からじわじわと熱を失っていく感覚に、唯は仁王から預かったダーツの入ったポーチを知らず知らずに強く胸に掻き抱いていた。
彼女が横目で見た幸村も柳生もこの不穏な空気を感じ取ったようで、周囲を見回したのち足早に唯の元へ戻ってくる。
息を潜め、三人は周囲を警戒しつつ互いに目配せをする。
唯たちに向かって、何かが音もなく近づいてきていた。