カレイドスコーピオ

インビジブル

08.小さな部屋 / 20

 当初予定していた二十分と言う制限よりも少し早く、美術室へと一番に戻ってきたのは仁王だった。
 三人の期待したような視線が一斉に彼に向けられる。

「仁王くん、切原くんは……」

 柳生が心配そうな表情で仁王に尋ねたが、彼は小さく首を横に振る。
 落胆したように柳生が、「そうですか」と呟いた。

「そっちは?」
「何回か赤也には電話をしてるけど、繋がらないし、連絡もない」

 携帯電話のディスプレイを見つめたまま幸村が答える。
 も切原へメールを送信したあと、携帯電話を繰り返しチェックしていたが、やはり彼からの答えが届くことはなかった。

「柳たちも、そろそろ戻ってくる頃じゃな」
「……一体、何が起きてるんだい?」

 静かな声と共にゆっくりと幸村は顔を上げると、仁王を見据える。
 仁王は、一瞬幸村と視線を交わしたかと思うと、すぐに対象をへと向けた。

無川さんは何も俺に話してないよ。仁王は全部知ってるんだろうと、俺がそう思っただけ。ねぇ、もう、話してくれても良いんじゃないかな。それとも、まだ俺たちは待たなきゃならない?」
「……」
「でも、ブン太の件も赤也の件も、もし仁王に心当たりがあるなら、俺は待てないかな」

 待たされる側も結構じれったいものなんだよと言って幸村は笑う。
 表情を少しばかり強張らせたと柳生の姿を見て幸村は確信を持ったようで、微笑みを絶やさないまま仁王の反応をじっと待っていた。

「今は話せんと言ったら?」
「さっき言ったよね。もう、待てないって。俺たちに話すタイミングを計ってるなら、それこそ今じゃないかな。少なくとも仁王が何を言ったとしても、きっと蓮二は待ってくれないよ。無川さん、ごめんね。俺たちのことで、色々と嫌な思いをさせて」

 視線だけを幸村から向けられて、は肯定も否定も出来ず、困ったように顔を歪めるしかなかった。
 全ての判断は今、ではなく仁王に委ねられている。
 押し黙ったまま何も言葉にしない仁王に、幸村はもう一度「ねぇ?」と声をかけて微笑んだ。
 そんな幸村の横顔を眺めていると、の脳裏には彼と初めてあった美術室での出来事が自然と思い起こされる。彼の様子は、あの時と全く同じだった。
 彼の笑顔は、憂いこそ十分に含んでいるが、それはどこか表面的なものであり、笑顔そのものには意味をなしていなかった。そこから読み取る彼の感情は常に凪のようで、いかなる場合も不変的だ。だからこそ酷く儚げに感じるのかもしれない。
 幸村精市という人間の感情を知る術は、彼が発する言葉が孕む意味からだけだった。
 なぜ、彼はこんなにも危うい笑い方しかしないのだろうか、そんなことを考えるだけで、はどことなく息苦しいような感覚を覚えた。

「……一年の時もそうだったよね」

 ぽつり。
 幸村が落とした一滴の抑揚のない言葉が、彼を中心として静かに室内へ広がっていく。
 仁王の表情は変わらなかったが、隣に座る柳生が僅かに息を飲んだことには気付いた。

「今、同じ目をしているよ」

 繰り返された涓滴は、沈黙を波立たせる。
 これまでもこういう場面は度々あったが、こんなにも空気が揺れ動かない静寂はも経験したことがない。
 “一年の時”というキーワードは、彼女の中で玲瓏たる響きを持ってどこまでも落ちていくが、どうにも掴みどころがない。
 そのが知るはずもない過去の出来事は、今もなお彼らを繋いでいるのだろう。恐らくそれは酷く不安定で、まるで吊り橋そのものであり、橋桁の上に立つ幸村が、静かに、波のように揺らしている。

「興味深い話をしているな。俺たちも混ぜてくれないか」

 こうなることは、幸村が行動に起こすよりも随分と前から彼女にも容易に予想がついていた。
 むしろ、幸村が言う通り、今こそそのタイミングがやってきたのかもしれない。
 ゆっくりとが声の方へと視線を向ければ、そこには、柳たちの姿があった。

「もう少し先延ばしにしたかったが、どうやら潮時みたいじゃのう」

 同じように吊り橋を揺らした仁王に、はこれでいよいよ後戻りは出来ないのだと知る。
 仁王は相変わらず何を考えているのか読み取れない様子を見せていたが、柳生はどこか安心したといった表情を浮かべていた。

無川
「はい」
「丸井とジャッカルへ説明を頼んだ。ざっくりで構わんぜよ。幸村たちには俺から説明する」

 そう言って、仁王は準備室の方へと歩き出す。それを見た幸村は黙って立ち上がると彼に続いた。
 そうして四人が準備室へと消えると、扉が静かに閉じられる。
 ことの成り行きを見守っていた丸井とジャッカルは、互いに顔を見合わせていたが、が自分たちを呼ぶ声に急いで彼女の近くへと歩み寄ってきた。
 皮肉にも、切原が突然姿を消したことで急速に回り出した歯車に、彼女はそれでも柳生と同じようにこれで良かったのだと、どこか安堵している自分を感じていた。

2013/03/24 Up