
切原たちと別れて早々にとった丸井の行動に、仁王は首を捻った。
昇降口から向かって左の廊下を真っ直ぐに進めば、校内に唯一存在する自動販売機のところへ数分足らずで辿り着くのだが、丸井は廊下を歩み始めて間もなく、右手側から伸びる上階へ続く階段へとその足を向けたのだ。
「前に柳には言ったけど、今日返却期限だったって思い出して、図書室に本返しに行ったんだよ」
「ま、丸井が、本を……」
「仁王てめぇ、何だよそのいかにも信じられねぇって目。課題用に借りてたんだ。まぁ、つまんなくて結局あんま読まなかったけどさ……って、柳と同じ反応とか酷過ぎだろぃ。俺だって本くらい読むっつーの」
拗ねたような表情を浮かべる丸井を中心に、三人は並んで階段を上っていく。
四階にある図書室までの所要時間も五分もかからない。
「前回俺が聞いた時には、図書室では誰とも会わなかったと言っていたな」
「あぁ、図書委員も知らねー奴だったから、特に話もしないで本返してさっさと外出た。多分五分くらいしかいなかったんじゃね?」
丸井は話しながら、図書室の扉を開いた。
入ってすぐの向かって右側にL字に張り出たカウンターがあり、当番らしき図書委員の男子生徒が座っている。彼は、反射的にちらりと一瞬だけ丸井へ視線を向けたが、すぐに手元の本へと興味を戻した。
頭だけを覗き込むような体勢をとっていた丸井だったが、念のためにと三人揃って室内へと足を踏み入れる。
すぐ目の前には、いくつもの本棚が等間隔で列を成して並んでおり、そのどれもが彼らよりも遥かに高い。本棚から向かって左右にはそれぞれ小さな空間が広がっていて、そこにも整然と長机と椅子が敷き詰められている。数人の生徒たちの姿が見えたが、各々が本へと熱心に意識を傾けているために、本のページを捲る、あるいはノートへと書き綴ると言った以外の余計な音という音が削ぎ落されていた。
どうやら丸井は、あまりこういう雰囲気が居心地良いものではないらしく、ぐるりと周囲を軽く見渡してから、もうここに用事はないと言わんばかりに踵を返し図書室を出た。
「この辺りは、まだちゃんと覚えてるんだよな」
独り言のように丸井は零し、再び同じ階段を先導しながら下りていく。そして、三階に差し掛かった時、ふと足を止めて伸びる廊下の突き当たりに視線を向けた。
突き当りを曲がって少し進んだ先に唯のいる美術室がある。彼女たちの姿はまだ見えなかった。
思案する丸井を抜き去って階段を降りる仁王と柳に、丸井もようやく歩き出す。やがて、自動販売機の前へ三人が辿り着いた時には、開始してから十五分が経過していた。
「ここで、飲み物を買ってる時に、向こうから無川が来たんだ」
そう言って丸井が、今しがた自身が進んできた廊下の方を見やった。
彼の言う通り、示し合わせたように廊下の先から唯たちが姿を現す。
「蓮二、そっちの様子はどうだい?」
「今のところは特に特筆すべき点は見られないな。精市の方はどうだ?」
「こっちも同じかな。ね、無川さん」
結局のところ立場は逆転し、幸村とジャッカルの後ろをついて歩く形になってしまった唯はこくりと頷く。そして、二人の隙間からかろうじて丸井の姿を見つけると確かめるように声をかけた。
「ここで、丸井くんと会ったんですよね。でも軽く挨拶をしたくらいで、すぐに別れましたけど」
「あぁ、そうだな。でも、あん時、無川は返してくんなかったけど」
「あ、それは、その……」
「ま、しゃーないか」
返答に困って眉を下げた彼女に、丸井は小さく息をつく。そして、唯の顔をじっと見つめた。
咄嗟に彼女が視線を泳がせれば、再び丸井のため息が響いた。
「お疲れ」
「え?」
「だから、お疲れ」
急なことに、唯は未だ丸井に視線を向けられないまま固まった。丸井の表情が、みるみる不服そうに変わっていく。
どう返せば良いのかと言葉を詰まらせていると、ジャッカルが小声で「答えてやってくれ」と囁いた。
「お、お疲れ様……です」
「ん。じゃあ、これでとりあえずチャラな」
声の調子を緩めた丸井を唯が恐る恐る見上げれば、彼はにぃと唇を吊り上げる。
ころころと表情が変わる彼は、まるで切原と変わらないと、彼女はそんなことを思った。
「うーわー何じゃ、この青春ドラマを見せつけられとる感は。俺は、さしずめ通行人Nかのう」
「言ってろ仁王。ほら、さっさと行こうぜ。時間通りやる必要があるんだろぃ?」
丸井はじろりと仁王を睨みつけてから、一人足早に唯たちの横をすり抜けていく。
そんな彼らの後姿を見送っていた幸村が呟いた。
「ブン太らしいね」
くすくすと小さく笑う彼の姿を唯が見つめていると、ジャッカルが神妙な表情で口を開いた。
「無川、悪いな。その、ブン太はあれでも悪気はないんだ」
「はい。分かってます」
「もう少し、考えてから物事を言えって言ってるんだが、いつもあの調子でな」
歯切れ悪く言葉を選ぶジャッカルに、唯は地面に視線を落とした。
「だから、あんまり無川も気を張らないでやってくれないか?」
「……」
「……そりゃ、まぁ……難しいとは思うけどな」
ジャッカルが気まずそうに唯を見下ろすと、少しだけ口元を持ち上げた彼女と視線が絡む。
それが答えだと理解した彼も安心したように目元を和らげた。