
「お疲れ様です」
「あぁ、一弥か。ありがとう」
鷹敷が差し出したタオルとドリンクを受け取りながら、練習試合を終えたばかりの柳はベンチに腰を下ろした。
呼吸こそ乱れてはいないが、柳の顔にはうっすらと汗が浮いている。タオルで軽く拭ってから、柳はドリンクを口にした。彼の喉がリズムを刻む。
すぐ隣に佇みその様子を眺めていた鷹敷は、柳がボトルから口を離した頃合いを見計らって話し始めた。
「すみません。途中で少し抜けたので、一部スコアが飛んでます」
「全て記憶してあるから構わない。それに、無川が来ていたんだろう」
「はい、清算書を受け取りました。あとで、いつもの場所に置いておきます」
「分かった」
使い終わったタオルと交換するようにスコアを記したファイルを柳に手渡すと、鷹敷はちょうど二人の側にやってきた幸村と真田に軽く会釈をしてから場を離れた。
彼の姿が十分に遠ざかったのを確認してから、幸村は柳の隣に腰を据える。
「無川さんが来てたみたいだね」
「横断幕の件で、生徒会に提出する書類を渡しに来てもらった」
「そうなんだ。さっき、赤也の試合を観て、すごくびっくりした顔をしていたよ」
「だろうな」
くすくすと幸村は楽しそうに笑えば、柳も同様に笑みを零す。
テニスコート内は未だに部員や投げかけられるギャラリーの声で騒がしいが、彼らの周囲だけは不思議と落ち着いた空気で満ちていた。
もちろんそれは、三強と呼ばれる彼らが一同に会していることも大きく影響している。
一見すると深刻な話し合いをしているようにも見えるその場に、割って入ろうとする者はまずいない。もしあるとすれば、せいぜい他のレギュラーたちぐらいだろう。
「蓮二、実際のところ、あの件についてこの先どうするつもりなんだ」
腕を組んだまま、周囲の部員たちの行動に目を光らせつつ真田が尋ねた。
何名かの部員は、三人の様子をちらちらと気にしているようだったが、いざ真田の視線が自分に向けられると慌てて目を逸らしたり、自分の持ち場へと戻ったりとあからさまな態度を取る。
真田はそんな彼らに檄を飛ばすべく一呼吸置いたが、寸前で思い直したようで閉口した。
「土日で得られる情報は、まずないと考えている」
「そもそも蓮二の目的はそれじゃないんだろう?」
「精市こそ、初めからそのつもりで無川にあんな提案をしたと思っていたが」
「うん、まぁね」
「……どういうことだ?」
示し合わせたような二人のやり取りに、事情を飲み込めない真田は、怪訝そうに眉を寄せる。
「勿論、ブン太のためというのも嘘じゃないよ。あれから、ブン太はブン太なりに相当気にしているみたいだからね。だけど、犯人探しが三割、残りの七割は仁王の部活のさぼり癖の原因特定、かな」
「精市は、無川が原因だと思っているのか?」
「いや、弦一郎。それはむしろ逆だろう。無川が仁王に巻き込まれたという線だと俺は予想している。精市はどうだ?」
「正直分からないけど、でも、俺もどちらかと言えば蓮二と同じ意見かな」
会話と並行して、柳は鷹敷が記したスコアの不足部分について、迷いなくペンを走らせる。
そして、彼が書き終えたスコア票を受け取った幸村は、その結果を眺めていたが、ふと思い立ったように顔を上げ柳を見た。
「さっき、犯人探しは三割と言ったけど訂正。四割にするよ。蓮二は、今回の犯人について無川さんを疑っているんだろう」
「無川を? それは、全てあいつの狂言だと言いたいのか」
真田が一層険しい表情を見せて、柳へと視線を落としたが、一方の柳は変わらず涼しい顔のままだった。
「あぁ。だがしかし、繰り返すがあくまで推論の一つに過ぎない。俺が引っかかっているのは、自分が手塩をかけて完成させた絵があんな状況になったのにも関わらず、無川のあの希薄な反応だ。どうしても疑念を禁じ得ない」
「確かにね。俺もそれは気になったよ。だけど、自分の絵をそんな低俗なパフォーマンスみたいに扱うのは、描いた本人だからこそ出来ないと思うけど」
「いずれにせよ、蓮二も精市もそれを見極めることが今度の目的なんだな?」
真田が問えば、二人は揃って静かに頷く。真田は彼らの回答に一先ず納得したのか眉間の皺を解き、瞳を伏せた。
「ところで話は変わるが、精市。体調はどうなんだ」
「……大丈夫だよ」
柳の疑問にぱたりとファイルを閉じて幸村は笑う。
茶を濁す彼の態度に、真田は声の調子を下げ、諌めるように尋ねた。
「リハビリがやはり予定通りに進んでいないのか?」
「そんなことはないよ。ちゃんと予定通り進んでる。大丈夫」
「だが……」
「もう、十分過ぎるくらい皆には苦労をかけた」
幸村はきっぱりと二人へ向けて言い切った。
その彼の瞳が僅かに悲壮を帯びていたことに気付いた真田と柳は、互いにちらりと視線を交わしただけで、それ以上、何も言い出すことが出来なかった。