カレイドスコーピオ

インビジブル

08.小さな部屋 / 9

 切原からのメールを通して届いた柳からの伝言によれば、清算書の提出について、生徒会室ではなくテニスコートへ直接出向いて渡して欲しいとのことだった。
 テニスコートのある方へと近づくにつれ、生徒のかけ声や歓声が色濃くなっていき、いよいよ辿り着いた頃には、彼女にとって敬遠し難いお馴染みの光景がそこには広がっていた。
 なるべく人垣が薄い場所へと潜り込み柳の姿を探してみると、ちょうど彼は試合をしているところだった。軽快なインパクト音の応酬に重なる歓声。あくまで練習の正式な試合ではないにしろ、それら全てが境界なく混じり合い、独特の熱っぽさを帯びており、見ている者の全てを目を釘付けにするような不思議な魅力で溢れていた。
 左右にリレーする送球をしばらく見つめていたが当初の目的を思い出したのは、柳の対戦相手が打ち返したボールが、大きくベースラインをはみ出し、審判役の部員が声高にアウトコールを響かせた時だった。
 完全に場の雰囲気に飲まれてしまっていた状況に、このままでは試合が終わるまで柳に清算書を渡すことが出来ないかもしれない。だが、どうやら試合はまだ始まったばかりのようで、いつ終わるのか見当もつかなかった。
 さて、どうしたものかとが考えあぐねいていると、フェンス越しに声をかけられた。
 死角から響いた自分の名に、彼女は小さく驚き思わず一歩下がって向こう側にいる彼へと視線を向ける。

「折角観ていたところ、驚かせてしまってすみません」

 片手にバインダーを抱えているその見覚えのない男子生徒は、まるで彼女を良く知っているとでも言うように柔らかな表情を浮かべていた。

「美術部の無川さんですね。柳から話は聞いてます。僕が代わりに受け取ります」

 ちょっとそこで待っていて下さいと言って、彼はテニスコートの出入り口に走っていく。
 が言われるまま待っていると、彼はバインダーの代わりに今度はA3サイズの茶封筒を持ち、フェンスの外にいる彼女のすぐそばへとやって来た。
 レギュラージャージではなく、立海指定のジャージを着用していたことから、恐らく彼はレギュラーではないのだろう。また、柳と親しみを込めて名を呼んだ辺り、彼はと同じ三年生なのかもしれない。
 いずれにせよ、は相手の一切を知らず、どう返して良いものかと視線を泳がせる。そして、彼のジャージの胸元に鷹敷一弥と名前が刺繍されているのを見つけて、ようやく相手の名前を知った。
 更に、その刺繍の色も三年を表す青色をしていたため、少なからずとも彼女の予想は的中することになる。

「蓮二から、あなたが清算書を持ってくるから、受け取ってくれと頼まれていたんです」

 いまだにたじろいだ反応を見せる彼女に、彼は、僕も生徒会の人間ですと付け足せば、あっとは納得しような声を上げ、慌てて口を噤んだ。
 生徒会というキーワードを足がかりに、はそこでようやく鷹敷が、生徒会の副会長であることを思い出したのだ。
 失礼にも程があると彼の様子を窺ってみるが、特に気にも留めていないらしく、相変わらず彼は柔和な笑みを浮かべている。

「あ、じゃあ、お願いします」
「はい、確かに受け取りました。お疲れ様です」

 鷹敷は、から受け取った書類を軽く確認すると、生徒会と大きく判子の押された封筒へと仕舞い込んだ。それから、彼女へ軽く会釈し、再び足早にテニスコート内へと戻っていく。
 その様子をが眺めていると、彼は最初に持っていたファイルを再び抱え、いまだに試合が続いている柳のいるコートへと近づいた。そして、送球の様子を目で追いながら、手元のノートに書き留めていく。

「あ、無川先輩! 珍しいッスね」

 本日二度目の呼びかけにが再び視線を戻せば、満面の笑みを浮かべた切原が立っていた。
 今度は鷹敷の時と異なり、と同じくフェンスの外にいる複数の生徒の視線が、彼女に向かって勢い良く突き刺さる。好奇と疑念と僅かの羨望と、複雑に絡んだ弦から放たれた矢じりは、思いのほか鋭いものだ。

「柳くんに清算書を渡しに来たんだけど、鷹敷くんが代わりに受け取ってくれたんです」
「へー何だ、俺らの練習を観に来たってわけじゃないのか」
「鷹敷くんって、レギュラーじゃないですよね?」
「鷹敷先輩? 鷹敷先輩なら総括マネージャーッス」
「総括マネージャー?」
「うん。テニス部って部員が多いから、マネージャーも何人もいて、その中のリーダーみたいなもん。それと生徒会副会長だから柳先輩とすげー仲良い」
「そうなんだ」
「あ、俺これから打つんスけど、無川先輩観てってよ」

 気付けば周りの視線は和らぐどころか確実に増していた。
 適当に理由をつけて断ろうかとも思っただったが、にこにこと笑顔を絶やさない切原に結局折れて、そのまま彼の試合も観ていくことになった。
 そして間もなく、こっくりさん以来の赤目の切原の姿に彼女が驚愕するのは、また別な話である。

2013/02/21 Up