
「あら? 佐竹くんもう帰っちゃったの? って、無川さんも帰っちゃう感じ?」
からからと扉が開くのと同時に響く声は、もはや誰と言わなくともただ一人しかいない。
唯はその時、清算書を丁度書き終えてそれをクリアファイルに入れていたところで、最終的な戸締りはこれから始めるつもりだった。
「藤ヶ谷さん。えぇ、佐竹くんなら先に帰りました。私ももう帰ろうかと思って」
「あーもー今日はタイミング悪いわね。切原くんたちにも逃げられちゃうし」
「あ、あはは……」
カメラを向けられて逃げ惑う切原たちの姿を思い浮かべて、唯は思わず苦笑を漏らす。
藤ヶ谷は唯の隣の椅子に腰かけると、カメラバックを机の上に置いた。そのまま彼女は窓越しに見える若干色褪せた青空をじっと見据える。
帰る意志は唯なりに伝えたつもりだが一向に動く様子のない藤ヶ谷に、彼女はどうしたものかと視線を寄せるが、彼女は変わらず窓の外に意識を預けたままだった。
「藤ヶ谷さん?」
堪らず声をかけると、藤ヶ谷はゆっくりと時間をかけて唯の方を見た。
彼女らしくない仕草だと唯は首を捻る。
「無川さんは、小さい頃から描いてるの?」
「え?」
「絵よ、絵」
「あ、はい」
佐竹といい藤ヶ谷といい、今日は唯が意図しない会話ばかりが続くと、彼女は内心頭を抱えながら返事をすれば、藤ヶ谷はそっかと呟き、一つ大きく伸びをした。
「ご両親が画家だったりとかする?」
「いえ……」
「そうなんだ。私は、父がカメラマンで、母が雑誌の編集やってるの。だから、物心ついた時からカメラを覗くのも記事を書くのも、ごく自然だったし当たり前だった。冗談抜きで、言葉を覚える前にカメラと鉛筆握ってたのよ。おかしいでしょ」
くすくすと笑って藤ヶ谷は鞄の中から何かを取り出す。
それを見た唯は、彼女の会話の真意が分かったような気がした。
「こんな紙切れで自分の進路をきっちり決めろなんて、無理な話なんだけどなぁ」
藤ヶ谷は紙を机の上に伏せると、指でファインダーの形を作り窓の外へと向ける。そのまま片目を閉じ左手でシャッターを切る真似をした。
「今の私はどっちかって言ったら、写真の方が気持ちの入れようが強いのかな。それに、まだ、どうしても撮りたいものが、上手く撮れないし」
「藤ヶ谷さんの撮りたいものって何ですか?」
「ん? それは内緒。この目で撮るのはすごく簡単なんだけどね。どーしても上手くいかなくて。何回撮っても満足できないの。卒業までには撮れると良いんだけどって、ごめん。無川さんも帰るのに勝手に与太話なんてして。写真は今度また撮らせてもらうわ」
急に思い直したように藤ヶ谷は立ち上がると、訪れた時よりも大分静かに美術室を出て行った。
彼女の意外な一面を目にした唯は、彼女が撮った空の方を見やる。急速に色を失いつつある空は、藤ヶ谷が見たものとは全く異なる気がした。
唯もいよいよ帰ろうと鞄を持ち上げたところで、彼女が座っていた椅子のすぐ近くに封筒が一つ落ちていることに気付いた。
濃茶の封筒は、一般的な手紙を入れるサイズで、まるで床に溶け込むようにそこに横たわっており、もし藤ヶ谷が落としたものだったとしたら、落とした本人が気付かなかったのも頷けた。
唯が拾い上げてみると、想像以上の厚さと重みが伝わってくる。封はされていなかった。
封筒のどこにも宛名などの情報はなく、唯は開封するか否かしばらく迷ったあと、彼女は結局、慎重にフラップへと手をかけた。
「……写真?」
写真と言えば藤ヶ谷しかいない。
そう思った唯は、慌てて廊下に出たが、既に藤ヶ谷の姿はどこにもなかった。
もう一度手元の封筒の隙間から垣間見える写真へ目を落とす。
先の話もあってか、一体彼女はどんな写真を撮ったのか是非見てみたいという好奇心に駆られて、つい彼女の指先が封筒へと潜り込んだ。
写真は三枚あった。
普段見慣れている写真のサイズより大分小さく、ほぼ名刺と同じサイズに見えたそれは、グラウンドとテニスコートと校内と、どれもが見覚えのある景色が写し撮られていた。どれ一つとして人物らしきものは写っていない。
「風景写真にしては、何だか変な感じ」
写真も絵も構図に関しての価値観において似たところがあり、三枚とも対象物へのピントがどこかずれているように唯には感じられた。
元々何か中心に写っていたのではないかという違和感を覚え、唯はまじまじと写真に目を凝らすが、特別、加工をされているようにも見えず彼女は首を捻る。
いくら眺めてみても違和感へと結びつく原因も一向に分からないため、次に藤ヶ谷に会ったら彼女のものか聞いてみようと、唯は写真を再び封筒の中へと戻した。