カレイドスコーピオ

インビジブル

08.小さな部屋 / 7

 佐竹と共に連日行っている横断幕制作も、折り返し地点を越えようとしていた。
 当初は一人で行う予定だった作業も、こうして二人で取り掛かれば断然効率も良い。今更ながらは、佐竹の申し出に感謝しきりだった。
 スケジュール通りに工程も進み、本日分の作業を予定よりも早く終えた二人は、互いに帰り支度を始めていた。
 以前に柳から指摘された通り、絵画展用の制作が終わった美術部は、秋の文化祭まで基本的にやることがない。
 だからと言って、部長として放課後の美術室の開錠を怠るわけにはいかないため、実質は、平日の殆どの放課後をここで過ごしている。だが、只でさえ部活に姿を見せない他の部員たちの足は、この時期、益々美術室からは遠のくのだ。
 そうして、雑務も終わった頃、彼女は手帳の間からレシートを取り出して机の上に置いた。
 生徒会が用意してくれた塗料が足りなくなり、先日補充分を購入したのだが、その決算のための書類を記入し、生徒会へと提出する必要があったためだ。

「……何かあったんですか?」

 その声に書面に視線を落としていたが顔を上げると、自分の荷物をまとめていたはずの佐竹が、いつの間にか彼女の向かい側に座っていた。
 彼の眉間には僅かに皺が寄っており、その様子をが見つめていると、佐竹が彼女に視線を合わせたまま、自身の眉間を指でとんとんと叩く。どうやら気付かずに彼女も全く彼と同じ表情をしていたらしい。

「いえ、別に何もないですよ」

 努めて表情を和らげながらは首を軽く横に振る。
 妙な頬筋の緊張を感じたが、彼に悟られるわけにはいかなかった。
 佐竹が絵を裂いたなど、は微塵も思っていなかったが、かと言って丸井が行ったと認めることも、柳の分析の全てを否定することも彼女には出来なかった。
 一体誰が、何のために。
 その答えを導き出すのは至極簡単であり、恐らく切原も当時は同じことを考えていたはずだ。
 ジョーカー関連としか考えられない。
 仁王と柳生へ事の次第を告げた時の彼らの反応も似たようなものだった。

「ふーん。なら良いけど。それ、俺が生徒会に届けましょうか?」

 肩肘をつきながら顎をしゃくるようにして、の記入していた清算書を佐竹が指した。
 彼の声は若干不満げに歪められており、その対象はと言うと、今回は生徒会ではなくへ向けられている。

「いえ、大丈夫です。佐竹くんこそ先に帰って良いですよ」

 佐竹の雰囲気に飲まれないようにが返せば、彼の表情は益々不機嫌そうに険しくなった。

無川部長。最近、独り言が増えたっすよね」
「え?」

 急に話題の毛色が変わり、は目を丸くして佐竹を見る。
 彼はふいと目を逸らして、口調は変わらずに続けた。

「廊下で、良く一人で話してるの見るけど、一体誰と話してるんですか?」

 彼の半ば投げやりな物言いに、どきりとの心臓が跳ねる。
 日頃から注意していたつもりだが、あろうことか佐竹に見られていたことに全く気付かなかった。
 彼に“何と”話をしたのかなど勿論言えるはずもなく、彼女はこういう局面に出くわした時に使おうと思っていた常套句を舌に乗せる。更に肺を満たしている空気でそれらを包もうとしたところで、遮るように佐竹が大きくため息をついた。

「生徒会から横断幕の仕事了承したり、切原と話したり……無川部長、何か変わりましたね」
「佐竹くん?」

 そこまで紡いだところで、はっとしたように目を見開いた佐竹は、小さく舌打ちをすると鞄を抱えて乱暴に立ち上がった。
 あっけにとられているをよそ目に、彼は大股で美術室の出入り口の方へ向かうと扉に手をかけ勢い良く引いた。そのまま室外へ出るかと思われたが、彼は扉に添えた手は崩さずにその場に留まっていた。

「……俺、今年、何でも良いから賞が欲しいんです」
「え?」
「独り言っす」
「……」

 背中越しの佐竹が、今どのような顔をしているのかは、には全く分からない。
 ただ、彼を追従することも出来ずに、思わず彼女は手に持っていたボールペンを取り落とした。木製の床で軽やかに跳ね上がったそれは、少し転がったあと椅子に当たって動きを止める。

「俺も、高校は駿瑛に絶対行きたい。もっと絵のこと、本格的に勉強したい。だから無川部長みたいに推薦狙いたいんです」

 何故、このタイミングで彼はこんな話をするのだろうかと、は困惑したまま転がったボールペンに視線を落としていた。彼の言葉は止まらない。

「でも、無川部長の絵見てると、俺、時々すっげー自信なくなる」

 細く絞り出しながらも芯のある佐竹の声は、を揺さぶるには十分な力を持っていた。

「すいません。お疲れ様でした。お先します」

 独り言であったはずが佐竹は最後に謝罪の言葉を含ませて、結局を振り返らないまま美術室から出て行った。

2013/02/14 Up