
雨がとりわけ強く降る日は、美術部もそうだが、意外にもテニス部の練習も中止になることが多い。
前者は、絵の具の乗りや乾きが悪くなるとことが主な理由だが、後者は、雨によってテニスコートのコンディションが崩れ、試合形式の練習が困難になるため、どうしても基礎練習をメインにした練習に偏ってしまうことにある。
ところが、室内で個人練習をすると言っても、体育館などは他の運動部、例えばバスケットボール部だったり、バレーボール部だったりが主に使用しており、テニス部が利用出来るスペースなどは全くない状況だった。
それでも、校内の階段などを活用すれば、簡単な運動メニュー程度は実施が可能だろうが、こういう状況においては結局のところ、無理して雨の中練習を重ねて体調に異変をきたすよりも、実践的なことが一切行えない以上は貴重な休養と割り切って、レギュラー達は個人練習も行わないことが多かった。
この日は最初こそ、地面に叩きつけるような激しい雨が降っていたものの、放課後になってからは天気予報は外れ、三十分ほどで上がってしまい、今は雲の切れ間から青空すら覗いている。いわゆるゲリラ豪雨と呼ばれる天候に見舞われていた。
それでもテニス部の練習は結局中止になったと、唯の携帯に先程、切原からメールが来たばかりだった。
メールには更に続きがあって、切原はこれからまだ校内に残っていた丸井とジャッカルと国舘で、折角だから簡単な打ち合いをしてから帰るらしい。
本日は、佐竹の都合つかず部活へと顔を出すことが出来ないため、横断幕制作の作業を一人で進めていた唯は、下塗りをした布が渇くのを待ちながら切原からのメールを読んでいた。
切原はメールが割と好きな方らしく、返信の速さもさることながら、仁王と違って他愛のない事でも頻繁にメールを送ってくる。最初こそ戸惑っていたが、今となっては彼女も同様に他愛のない内容でやり取りをするようになっていた。
彼へのメール返信も一区切りがつき、唯がペットボトルに手を伸ばしたところで、その中身がもう殆ど残っていないことに気付く。
もうしばらくは残って作業をする予定であった彼女は、今の内に新しいものを買って来ようと、鞄を片手に美術室を出た。
「……あ」
自動販売機の前に着いた時、唯だけではなく、相手も同時に声を上げ、二人の声が綺麗に重なった。
周囲に人気はなく、この場には二人きりだ。
そして、どちらかが切り出すよりも先に、自動販売機からがしゃんとペットボトルが落ちる音が響き渡った。
彼は屈むと、取り出し口からペットボトルを取り出す。どうやら炭酸飲料の飲み物を買ったらしい。
手中のペットボトルの内側に閉じ込められた気泡が、ゆっくりと上部へ向かって弾けるさまを少し見つめてから、彼はつかつかと唯に向かって歩を進めた。
咄嗟に彼女は廊下の片側に寄り、彼に道を譲ると身体を強張らせた。
「お疲れ」
すれ違いざまに丸井が呟く。併せてぱちんと弾けたチューイングガムの人工的な甘い苺の香りが、一瞬彼女の鼻を掠めた。
彼の言葉が、自分に向けられたものだと理解する頃には、丸井はとうに唯を通り過ぎた後であり、その間、彼女は一言も発することが出来なかった。
はっとして彼女は振り返ったが、丸井はそれから背中を向けたまま、突き当たりの角を曲がるまでの間、一切唯へと向き直らなかった。
はぁとため息をついて、唯は硬貨を自動販売機に入れたものの、ランプが点灯してもボタンが押せずに、しばらくその場に立ち尽くしていた。
やがてもう待ちきれないとばかりにランプが消えたかと思うと、甲高い音を鳴らしながら、硬貨が返却口へと落ちていく。
思い起こせば、丸井と対峙したのは、切原がこっくりさん行った翌朝以来のことだった。
――お前ってさ、何でそんなにおどおどしてんだよぃ?
――っていうか、暗いぜ。お前。
はっきりと唯の脳裏に蘇った言葉は、当時の彼女にとっては、何でもないことのはずだった。
(あれ? あれ……?)
ちくりと指すような鈍い痛みを覚えて、唯は喉元を咄嗟に抑える。
勿論、そこに生まれた傷などなく、それでも、自分の意志とは反対に、呼吸が僅かに上がっていた。自覚のない身体の変化に、唯は戸惑い、地面へ蹲る。
ニ、三度深く深呼吸をすれば、すぐにそれは何事もなかったかのように落ち着き、彼女はほっとして立ち上がると、歪んだスカートの裾を丁寧に正した。
「何だろう。今の」
呟きに答える者はなく、彼女は自動販売機の返却口に溜まった硬貨を再び投入口へと注ぎ込んで、今度こそ迷うことなくボタンを押した。
ペットボトルが叩きつけられる音が、やけに乱暴に響く。取出口からそれを引き出せば、ラベルを見て彼女は目を見開いた。
「あ……間違えた」
唯の手中にあったのは、先程、丸井が選んだ炭酸飲料と全く同じものだった。