
「無川部長。そこにあるチャコペーパー取ってもらって良いっすか?」
「はい。押さえてるから、佐竹くん、そこからなぞってって下さい」
広げた布に拡大したデザイン画を置き、佐竹がその線の上を木のヘラで強くなぞっていく。時折、紙を持ち上げては布へ転写されているか確認をすれば、蘇芳色の布地にくっきりと薄桃色の線が走っていた。
単調な作業だが、油断をすれば、布のたわんだ部分のせいで、折角描いたラインが歪んでしまう。二人が神経を尖らせながら順調に作業を続けていると、少し離れたところからシャッター音が響いた。
二人とも今やすっかり慣れてしまったのか、全くそれに動じないまま互いに声を掛け合う。
「失礼しまーす。うげっ!」
美術室の扉をノックもなく開けた瞬間、いち早く藤ヶ谷と目が合った切原が呻き声を上げた。
彼はどうやらいまだに彼女に慣れていないらしい。
「だから何で切原くんは、私を見る度にそうやって嫌がるかなぁ」
「アンタが、何でもかんでも勝手に俺の写真撮りまくるからだろ!」
藤ヶ谷に向かって指を突き立て非難の声を上げる切原は、作業の手を止め彼の方を見ていた唯とその隣に立つ佐竹の姿を目に捕え、軽く咳払いをしてから手を降ろした。
「どうしたんですか? 切原くん」
「あ、コレ、柳先輩に頼まれて届けに来たッス」
今度はと彼は小さく呟いてから、唯へとバインダーを手渡した。それを受け取った彼女は、一体何だろうと表紙を捲る。すぐ隣に並んだ佐竹も、彼女の手の中を覗き込んでいた。
とじられていた数枚の紙を見た彼の表情が、みるみる内に嫌悪感に満たされ歪んでいく。
「進捗管理簿!? はぁ? 何だよアイツ、こんなことまでいちいち生徒会に報告させるつもりかよ!」
「あ? てめぇ、柳先輩のことアイツ呼ばわりかよ」
心底嫌そうにそんな言葉を吐き捨てた佐竹を、切原がきつく睨み付ければ、売られた喧嘩は買うとばかりに佐竹も切原を睨み返す。
どことなく本質が似通っている二人の、まさに一触即発といった雰囲気に、唯は狼狽えながら二人の顔を見返すことしか出来なかった。
「あーそりゃ悪かったな。ちゃんと受け取ったんで、柳センパイにもそう伝えてくれよ」
鼻を鳴らして佐竹は答えると、唯の手から管理簿を奪い取るように掴み、ぽんと机の上に投げ置く。
それを見た切原は舌打ちをし、大股で佐竹に詰め寄った。
「はい、チーズ!」
フラッシュと共にシャッター音が二人を包み込む。
ちょうど佐竹の肩に触れたところで、切原は動きを止め、たまたまフラッシュを瞳で受け止めてしまった佐竹は、ニ、三度目を瞬かせた。二人はそのまま主犯である藤ヶ谷に視線を向ける。
「あはははっ! ホラ、見て見てー」
カメラのディスプレイを藤ヶ谷は裏返すと、口元を押さえながら唯の方へとやってくる。
写真を見た彼女は、思わず小さく笑い声を漏らした。
唯の反応に、切原も佐竹も慌てて藤ヶ谷の手元を見ると、彼女は二人にも見えるようにカメラのディスプレイを傾けた。
「二人とも半目だし、顔真っ白だし、写真映り最悪ー」
けらけらと未だに笑い続けている藤ヶ谷は、ふとにやりと唇を釣り上げた。その目元は、悪戯っ子のように楽しげに細められている。
「これ、次号のNG集に載せても面白そうね。保存っと」
「げっ! 藤ヶ谷先輩、それ消して下さいッス!」
「おい、ふざけんな! 藤ヶ谷先輩! 消せよ!」
ピッという小さな電子音に、切原と佐竹は揃って抗議の声を上げるが、彼女は、全く気になどしていない。
にんまりとした表情のまま、二人にもう一度ディスプレイを付きつれば、そこには真っ黒な背景に“削除しました。”の文字が中央に浮かんでいた。
「次は遠慮なく載せるわよ。私がカメラを通す時は、皆、大事なモデルなの。さ、切原くんは、用事が終わったなら、とっとと部活に戻って。これからレギュラーとの集合写真撮るんだから」
「ちょっ、結局また写真かよ!」
「卒アル用よ。ホラ、駆け足!」
藤ヶ谷に追い立てられるように、唯には軽く会釈を、佐竹には、やはり僅かに冷ややかな視線を送りながら、切原は美術室を出ていった。
ようやく普段通りの静寂が訪れたが、残された二人はしばらく無言のまま立ち尽くしていた。
やがて、ばつが悪そうに頭を掻いた佐竹が、本当に申し訳ないという声色で唯に向かって謝罪をする。
「あの、何ていうか、その……すいません」
「とりあえず、今日の分を進めて、生徒会に報告しちゃいましょう」
「……はい」
あのままだと自分に彼らを止めることは難しかっただろうと、唯は藤ヶ谷の機転に感謝しながら、一足先に作業に戻った佐竹に続いた。